◆北橋先生の顔を見て、込み上げてくるものが…
結局、小倉大賞典でのマルカコマチは幸四郎に乗り替わり、勝ったスエヒロコマンダーからコンマ1秒差の3着。自分は腎臓を摘出し、3カ月半以上休養した。大きなケガだったが、当時はまだ若かったからか、競馬が怖くなるといった心理的なダメージはなかった。もしあのとき、競馬や馬に恐怖心を抱くようになってしまっていたら、自分の環境からして本気でジョッキーを辞めることも考えたはずだ。
ただ、どんなケガでも、若いときと年がいってからでは、心理的、身体的ダメージが違うはず。ベテランの域に達しようとしている今、ケガだけは絶対にしたくない、人にさせたくないと強く思う。
マルカコマチは自厩舎の馬で、98年1月のデビュー戦から、ずっと乗せてもらっていた馬だった。小倉大賞典からさかのぼること2カ月半、99年1月の京都牝馬特別で重賞初制覇。思えば、これまでレースに勝って泣いたのはそのときだけだ。
マルカコマチはサンデーサイレンスの牝馬で、とにかく巧く乗ることができなかった。新馬、矢車賞(3歳500万)、900万と3
つ勝ってはきたものの、自分が巧く乗れなかったことで取りこぼしたレースも本当に多く、オーナーや先生、厩舎スタッフに迷惑を掛けていることは十分にわかっていた。京都牝馬特別は900万を勝った直後で、いわゆる格上挑戦。乗せてもらえたことがうれしかったと同時に、プレッシャーも感じたレースだった。ブロードアピール、エガオヲミセテ、レディボナンザに次ぐ4番人気だったが、サンデーの牝馬らしい鋭い脚で一気に差し切り勝ち。今でも鮮明に思い出せるくらい、本当にうれしい1勝だった。
表彰式で、ふと北橋先生を見たら、ホッとしたような顔をしていた。そんな先生の顔を見ていたら、込み上げてくるものがあった。もちろん、勝ったことに対するうれし涙ではない。それまで散々迷惑をかけてきたという思いが、一気に溢れたんだと思う。もう亡くなられたが、マルカの馬主さんにも本当にお世話になった。本来ならば、ご存命のときに恩返しをしたかったが、それはもう叶わない。それでもやっぱり、マルカさんの馬でGIを勝ちたい。それはずっと持ち続けている目標のひとつだ。
そういえば、京都牝馬特別の表彰式のあと、泣き腫らした目をして調整ルームに戻ったら、ユタカさんに「お前、