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高橋康之調教師(3)『名門・池江泰郎厩舎から独立する決意をした時』

  • 2014年08月18日(月) 12時00分
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8年間の受験生活の末、難関の調教師試験を突破した高橋康之調教師。「ジョッキー出身だとほとんどが中卒。だから、勉強の仕方から分からないんです」と。そこで頼りにしたのが「勉強会」の存在。同じ志を目指す人が集まって、切磋琢磨し合うと言います。今週は、騎手を辞めるきっかけとなったこと、そして知られざる「勉強会」に迫ります。(第2回のつづき、取材:東奈緒美)

ジョッキー時代の自分を思い返すと


 前回ディープインパクトのお話を聞かせていただきましたが、池江泰郎厩舎には騎手として9年所属していらっしゃって。ディープの調教をされていた時は、まだ所属だったんですか?

高橋 いや、その時はもうフリーになって、手伝っていたはずです。フリーになっていろいろな厩舎を手伝わせていただいて、その時に師匠のところも手伝いに入っていたんです。

 フリーになられたのには、何かきっかけがあったんでしょうか?

高橋 一つは、厩舎の馬になかなか乗れなくなってきたというのがありますね。厩舎に入ってくる馬主さんの層が厚くなって、自分が乗せてもらえる数が少なくなっていったということ。それと、やはりいつまでも師匠におんぶに抱っこというわけにはいかないですからね。自分で行動を起こして、ステップアップしていこうというのがありました。ちょうど結婚をした後でしたし、いろんな厩舎で勉強させてもらって、“馬乗り”というのをさらに学んで行きたいと思ったんです。

 今は早くにフリーになるジョッキーさんも多いですけど、9年ですもんね。その分だけ、独立の時はいろいろな思いがよぎったりも…?

高橋 そうですね。所属していた頃は、師匠とケンカをしたこともありましたね。僕も若かったのもありますが、今思えば、随分失礼なことをしてしまったなと(苦笑)。よくあの時、師匠は笑って見てくれていたなと思いますもん。師匠が大人なんですよね。自分が師匠の立場だったら、きっと笑ってなんて見ていられないと思います。ジョッキー時代を振り返ると、人に対する感謝、いろんなものに対する感謝、いろいろな人の支えがあってジョッキーをさせてもらっているという意識が薄かったなと思います。

 その当時は?

高橋 そうですね。思い返すとそういう自分がいたなと。若気の至りでもあったんでしょうけど、自分一人の力でやっているんだって勘違いして。そういうところでの感謝が足りないまま、ジョッキー人生が終わってしまったなというのはあります。だからこそ、今はその大切さが余計に分かるんですけどね。そういうことにもっと早く気がついていれば、もうちょっと違っていたのかもしれないですけど。ジョッキーを辞める時、悔いはなかったですが、思い起こせばそういう気持ちがあります。

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▲高橋「周りへの感謝が足りないままジョッキー人生が終わってしまった。だからこそ今はその大切さが分かる」


30歳の時に、調教師になろうと


 いつ頃から調教師を目指そうと思われていたんですか?

高橋 ちょうど30歳のときですね。障害も乗っていたんですけど、3年連続で怪我をしたんです。入院するくらいの怪我で、このままでは命がなくなってしまうんじゃないかというところもあって。今後の自分を考えたときに、やはり馬しかない人生だと思ったので、そのためにどうしていくのがいいかなって考えながら、いろんな厩舎を回って勉強させてもらっていたんです。そういう中で、調教師と馬の仕上げとか管理の部分で、意見がぶつかることも何度かあったんですね。それなら自分が調教師になって、自分の思う競走馬を育てたいなという思いになっていったんです。

 その当時から、思いが強かったんですね。

高橋 馬を育てることは、何が正解というものでもないですけどね。次の競馬に向けてもうひと追いしたいとか、飼い葉の量を増やした方がいい、減らした方がいいとか。そういうところで自分なりの考えを持っていたりして。どっちかと言うと、当時はレースより調教に乗ることが多かったので、「この仔を何とかレースでいい結果を」ということをすごく思っていてたんです。そういうことから調教師になりたいと思うようになって、その頃に池江泰寿先生に声を掛けていただいて、勉強を教えてもらうようになったんです。

 あっ、角居調教師が勉強会をされているというのを聞いたことがあります。

高橋 そうそう。もともとは角居先生が泰寿先生に教えていらして、それを泰寿先生が引き継いで、僕もそこに入れさせてもらったという流れです。

 そうだったんですね。勉強会から合格された方って、たくさんいらっしゃるみたいですよね。

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▲東「勉強会から合格された方って、たくさんいらっしゃるみたいですよね」


高橋 多いですよ。去年は合格者の13人中8人が、この勉強会の出身でした。この世界は大学まで出ている人って少ないですし、特に僕のようなジョッキー出身だと、ほとんどが中卒です。だから、勉強の仕方から分からないんですよね。最初はそれこそ、大学ノートの作り方みたいなことから教えてもらいましたもん。

今までの調教師試験って、勉強を始めて受かるまでの期間がとにかく長かったんですよね。早くても5年、長ければ10年以上かかっていました。やっと受かった頃には、もう意気消沈…。それを角居先生が、早く受かればその分元気のあるうちに調教師業ができるでしょうというので、この勉強会を立ち上げられたんです。そのためのノウハウを伝えていこうというのが、この勉強会の目的です。

 実際、若くして受かっていらっしゃる方が多いですよね。30代の方もいるし、40代で受かる方も多い。

高橋 そうですね。僕が受かるまでの8年の間に、いっぱい踏まれていきました。後を引き継いで僕が勉強会をやっていたんですけど、おかしいな……。俺が教えていたはずなのに、いっぱい踏んでいきましたね(笑)。

ただ、受かった人は受かった人で、そのノウハウをまた伝えていくんです。「調教師になってみて、こういうことで苦労している」とか、調教師試験の口述テストで「こういう馬主さんにはどう対応する?」「こういうスタッフがいたらどうする?」という問題が過去にあったので、「実際にうちでこういう問題があったよ」というように、教えてくれるんですね。それがラインとしてずっとつながっていくんです。

 ライバルだけど、助け合っている存在なんですね。

高橋 勉強会に来ている人たちは、みんなお互いをライバルだとは思っていないと思います。自分自身との戦いと思っているでしょうからね。勉強会の中でも、例えばネットが得意な人はその情報を教えたり、僕はこの競馬界にいて長いので、持っている人脈をいかしてみんなと共有したり、それぞれの得意分野で協力し合っている感じです。そうやってきた仲間なので、みんなが合格できればうれしいですね。(次週へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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