スマートフォン版へ

「旭堂南鷹」改名記念パーティーに出席させていただきました

  • 2014年08月19日(火) 18時00分
競馬の職人

旭堂南鷹さんと橋口調教師



旭堂南鷹さん「講談というブランド力を広めていきたい」

 みなさん夏バテしていませんか? 台風やゲリラ豪雨で日本列島は大荒れですが、各競馬場では、無事にレースが行われよかったですね。

 さて今週は札幌記念が行われ、小倉では北九州記念が行われます。札幌記念はGIレースのような豪華メンバーです。その先には、凱旋門賞へと夢が広がっていきます。

 先日はゴールドシップ初の公開調教が函館競馬場で行われたんですよね。鞍上には横山典騎手というからファンにとって最高の夏休みプレゼントですよね。

 ゴールドシップの持ち味の回転のいいフットワークで徐々に加速し重心をぐっと下げギアをもう一段上げるとラスト1ハロン13秒2の上々の出来上がり。

 鞍上の横山典騎手は、シップとの会話を大事にし、気持ちに沿いながら感触を確かめたようです。納得、といった表情でしたね。

 ハープスターも札幌のダートコースで調教を行いました。3頭併せで馬なりのままゴールし順調に調整ができているようでした。追い切り後は札幌競馬場のパドックをスクーリングするほどの余裕。

 両馬とも凱旋門賞へ向かう重要なステップレースですが視線の先は世界へ広がっています。10月5日にフランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞の“門”が大きく開いてくれることを願いましょう。

 サマーシリーズも終盤になってきました。関屋記念を制したクラレント(橋口厩舎)が夏のマイル王に王手をかけ、鞍上の田辺騎手もサマージョッキーシリーズ2勝目と快進撃中。

 クラレントは、重賞5勝目。粘りのある力強いレースで勝ち秋のレースも楽しみになってきました。

競馬の職人

関屋記念を制したクラレント(撮影:下野 雄規)



 橋口調教師の快進撃はまだまだ続きます。そこで少し前のお話になるのですがずっとぼくのなかで温めていたお話です。

 今週は、少し内容をかえてコラムをお届けします。

 2014年6月15日(日)、競馬講釈師でお馴染みの太平洋さんの「太平洋」改メ「旭堂 南鷹」(なんおう)改名記念パーティーに出席させていただきました。

競馬の職人

「太平洋」改メ「旭堂南鷹」改名記念パーティー



 南鷹を応援する会や発起人などはそうそうたるメンバーでした。

 南鷹さんは、「太平洋」という名で皆様もよく知っておられると思います。競馬ブックのコラムや新聞・競馬講談などを独立独歩で新作講談師として活躍されてきましたが、講談をもっと広めていきたい。もっと極めていきたいという思いと古典芸能の重要性を再認識し、さらなる飛躍のために旭堂 南左衛門師匠の門をたたき、旭堂 南左衛門師匠に弟子入りを許可していただくことになりました。

 芸名に「鷹」と名付けていただいたのは、大きな力となる男になるために天高く舞い飛ぶ鷹のようにおおらかでゆったりとした気持ちを持ち、また狙った獲物は、逃がさぬがごとく自らを厳しく戒め、日本の伝統芸能、講談を高めていきたい。講談というブランド力を広めていきたいと抱負を語っていました。

競馬の職人

旭堂南鷹さん「講談というブランド力を広めていきたい」



 僕が、はじめて太平洋さんにお会いしたのは、騎手デビューしてすぐのころでした。競馬会で幅広く活躍しトレセンへ取材に来られるかたわら大阪の南で講談会をやっていました。GIレースの前夜祭などでも講談会をしていました。和田騎手と一緒にゲストに出たことがありました。

「あいつはおもろいやつや」と広めたのが乗峯栄一さん(競馬ブックでコラムを連載、馬券総合倶楽部で予想を公開中)だそうです。

 乗峯さんもかなり面白い方なんですが、乗峯さんが言うのだから南鷹さんは実力者だと思います。南鷹さんの講談は迫力があり、話の乗りに抑揚もはっきりしていて自分もどんどんその世界に引き込まれていきます。

 講談のなかで納得したり、笑ったり感激し最後は、笑いで終わる。などと起承転結がはっきりしているので飽きません。一度聞くとまた聞きたくなります。古典の話でも競馬講談の話でも歴史の流れを感じることができるので思わずそうやったなーとうなずいたり納得したりします。

「サンクスホースデイズ」(角居調教師が中心になって活動しているイベント)理念は、馬と人が共存できる社会を目ざし普及するためのイベントなのですが、そういったイベント司会や某騎手の結婚披露パーティーの司会もやっています。

 なんたって声がいいんですよ。ちょっと甘くて済んだ声でよく通る。しゃべりにメリハリがある。聞きやすい。一番印象に残っているのは、「テイエムオペラオー物語」だったのですが、この日に聞いた「橋口調教師物語」には、感動でした。

 この会場には橋口先生も来られ、ほか乗峯さんやもちろん和田騎手、他にも数名の騎手や助手など競馬関係者含め100人くらい出席していました。

競馬の職人

壇上でコメントする和田騎手



 橋口先生とダービー馬「ワンアンドオンリー号」との出会いには、これだけの偶然とドラマがあったのか!と改めて知り、競馬を通して馬との出会いの奥深さを実感しました。

 ***南鷹 講釈 講談「橋口調教師物語」***

 扇子を片手にパパンパンパンパン

 僕は、まだ第81回日本ダービーの余韻のなかにいる。できすぎたドラマだった。

 ダンスインザダークの痛恨2着から始まった。橋口ダービーの2着の歴史が、すべて連続ドラマのシナリオにさえ見えた。平成2年「ツルマルミマタオー号」で初めて日本ダービーの舞台に立った。その時の感動は、今もはっきり覚えている。

「俺を初めてダービーへ連れて行ってくれた」のは甲斐正文厩務員だった。それから16回18頭の馬をダービーへ送り込む。2着4回の悔し涙を飲む。そして厩舎解散が一刻一刻近づきつつある。

 そんな時甲斐の息子、甲斐純也が厩舎入りを願いでた。厩舎はあと4、5年で解散だから、若い調教師のもとで働くようにと説得。だが「幼いころからずっと見てきた父が働いたこの厩舎で仕事をするのが夢なんです。」

「お前の親父に初めてダービーに連れて行ってもらった。今度は、純也が初めてダービーを勝たせてくれ」と願うと「ワンアンドオンリー号」との出会いが使命とつながる。

 橋口先生は「どんなレースでも、勝ち馬は1頭しかいない。その中でもダービーは最も勝つのが難しいのが競馬。おれほどその難しさを知る人間はいないだろうな」と言いつつ勝つという強い気持ちが伝わってきた。

 しかし甲斐純也は違っていた。「先生は難しさを知っているが、僕にとっては、初めてのダービーだから怖さも緊張もない。あるのは先生にダービーを勝ってもらいたい!」

 2014年6月1日 第81回ダービー馬ワンアンドオンリー 橋口調教師の悲願達成となる。

 ダービーを勝つことにより、勝つまでのドラマがある。過去19頭の挑戦馬たちに「ありがとう」を伝えたい。

 それらを支えたスタッフたちに「ありがとう」とねぎらう。

 入厩した数えきれない馬たちに「ありがとう」。

 それらを支えてくれた関係者に「ありがとう」と橋口調教師は言う。

***完***

 巧みに伝わる声の響きに感動を覚える僕でした。テイエムオペラオー物語から始まって「橋口厩舎物語」も南鷹さんの講談で語り継がれることでしょう。

 こうして古典の講談に交じって語り継がれていく競馬って本当に面白いスポーツだと思います。皆さんも是非一度聞いてみてください。難波の大融寺で講談をやっています。講談ゴリンジャーというチームもできたそうです。

競馬の職人

皆さんも旭堂南鷹さんの講談を是非一度聞いてみてください



 南鷹さんありがとうございます。僕の引退の時も、競馬場に駆けつけてくれそのあとトークショーにもゲストで呼んでもらいました。これからもどんどん広めていってください。

 橋口厩舎の活躍も楽しみですね。先生はいつも「ありがとう」があいさつです。僕も見習いたいと思います。

 このコラムで何を伝えたいかって・・・・そうお思いでしょうか?

 馬への思いや人への思いがつながって勝利につながっていく。いろんな形や方法で競馬というスポーツが波紋を広げていくことを僕自身が実感し感動したので皆さんに伝えたかったんです。ありがとうございました。

つねかつこと常石勝義でした。

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング