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ジョッキー通訳・安藤裕さん(1)『ジョッキーにも、プロ野球選手にもお願いしていること』

  • 2014年09月01日(月) 12時00分
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▲9月のゲストは異色の経歴を持つ、ジョッキー通訳の安藤裕さん

来日する外国人ジョッキーを支える通訳。レース時の通訳はもちろん、慣れない日本での生活までサポートする、縁の下の力持ちです。今月はジョッキー通訳の安藤裕さんをゲストにお迎えします。安藤さん自身、カナダで日本人第一号という元ジョッキー。怪我でその道を断たれ、帰国後はプロ野球の球団通訳となり、たくさんの貴重な経験を生かして、現在は再び競馬界で活躍中です。知られざる通訳という仕事について、そして世界を渡り歩いてきた安藤さんだからこそ知る、日本競馬の魅力を伺います。(取材:赤見千尋)

“たった一言で関係が変わる”日本の礼儀の文化


赤見 現在は来日中のマリオ・エスポジート騎手の担当をされていますが、これまで担当されたジョッキーと言いますと?

→好評連載中 エスポジート騎手の密着コラムはこちら

安藤 今年1月に来日したマキシム・ギュイヨン(仏)が初めてです。この時、実はちょっとしたアクシデントがあったんですよ(苦笑)。調教師のアンドレ・ファーブルと、「朝の調教はしない」という条件で来たそうなんです。3週間の滞在だし、怪我をしたら困るということだったようですが、僕らはそれを聞いていなくて。関空から栗東に行く車の中でそう言われて、もうビックリ…。

赤見 レースだって怪我の危険はあるのに…。それで、どうされたんですか?

安藤 そう。JRAの方にも全く同じことを聞かれました(笑)。「水曜木曜の追い切りの時は必ず調教スタンドに行って、調教師と一緒に追い切りの様子を見ます」ということで。そんな通訳デビューでした(苦笑)。

赤見 いきなり試練でしたね。

安藤 もうね、笑えて仕方なかったです(笑)。どの先生にも謝りに行きました。ただ、身元引き受けの矢作先生は、「それなら仕方ない」ってすぐに理解してくださって。しかも、フランス人って人を寄せつけないような独特の空気があるんですが、矢作先生のおかげであっという間に溶け込めていました。

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▲ギュイヨン騎手と今年3月のドバイで再会


赤見 安藤さんご自身、競馬界の人たちとはもうつながりがあって?

安藤 いえいえ、全然。怪我でジョッキーを辞めて、2008年から横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の球団通訳をしていたんですけど、スポーツ新聞のベイスターズの担当記者が競馬担当でもあったんです。それで、矢作先生を紹介してもらって、今でもお世話になっているんです。

赤見 そういうつながりだったんですね。それにしても、競馬から野球という、まったく別の世界に行かれたのがすごいです。

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▲赤見「競馬から野球という、まったく別の世界に行かれたのがすごい」


安藤 本当は競馬に戻りたかったんですけど、ジョッキーを辞めてすぐに戻ってしまったら、また乗りたくなってしまうと思って。最低3年は違う世界でやろうと決めていたんです。それで、2011年に自分の会社を作りました。調教師さんたちが馬の管理をするためのシステムを作っています。このシステムはカナダにいたときに厩舎で見せてもらったんですけど、馬の入厩管理や調教の日誌って、出先で必要になることもありますが、パソコンを持ち歩くのは面倒じゃないですか。それをタブレットやスマホや携帯でも見られるようにするというシステムなんです。

赤見 それは便利。通訳であり経営者であり、安藤さんにはいろいろな顔がありますね。

安藤 いや、通訳は僕の中では、仕事とは少し違うんです。9月の下旬から、矢作厩舎のバンデのオーストラリア遠征にも通訳として一緒に行かせてもらうんですが、それもそういう認識です。

 通訳は自分の成長のためといいますか。これまで海外でいろいろ経験させてもらって、「日本の馬が世界で一番強い」と思っていて。それを証明していく立場として、何かできることがあればと思っています。だから、通訳を生活の糧にはしない方がいいなと思って、それとは別に固定のお金が稼げるようにしたかったんです。システムなら、僕が常にいなくても動いているので、今回のような海外遠征にも行けますしね。通訳として、自分の体験が日本の競馬や関係者の役に立つのであれば、幾らでも参加させてもらいたいです。

赤見 ベースにそのお気持ちがあっての、通訳のお仕事なんですね。

安藤 そうですね。だからマリオに関しても、預かった以上は日本の競馬をリスペクトしてほしい。その気持ちがないんだったら、僕はこの国に来て乗ってもらう必要はないんじゃないかと思っています。それは、野球もそうで。メジャーから来る人で「俺はメジャーでこんなにやっていたんだ!」みたいな選手は、あまり活躍しないでしょう。「そういう気持ちなら、もう帰ったら」って。

赤見 えーっ! そんな強気な。

安藤 だって、お金はアメリカの方がいいですもん。でも、使ってもらえなくて日本に来ているのなら、日本で成功してたくさん稼げばいいのにという考えです。その点マリオはベテランだし大人なので、その部分をすごく分かってくれています。ありがたいですね。

 僕が通訳を担当する時に最初にお願いすることは、一つだけなんです。これはギュイヨンにもお願いしたことなんですけど、「馬から降りたらお礼を言ってください」。それだけ。

赤見 それだけですか?

安藤 はい。どんな馬に乗っても、降りたときには日本語で「ありがとう」。それ以外に関しては、例えば何か文句があるときとかは僕に言ってと言っています。「ありがとう」って言われたら、先生たちもみんな笑顔になるでしょう。それは野球のときにすごく勉強になりました。

 1年目にバッターを担当していたんですが、バッティング練習の時は、バッティングピッチャーにボールを投げてもらいますよね。アメリカでは特に挨拶もしないで始めるらしいんですけど、日本は元選手の人たちが投げていますし、挨拶ができない人はすごく嫌らしいんですね。

赤見 日本は礼儀を大事にする文化ですもんね。

安藤 そう。それで、通訳の先輩に聞いたんですけど、西武やオリックスにいたカブレラ選手、最初にヘルメットを取って挨拶するそうなんです。それが僕の中ですごく印象に残っていて、自分の担当選手たちにも、始める前はヘルメットを取って挨拶するようにお願いしました。そうしたら、バッティングピッチャーが「あいつ、いいやつだな」って、やっぱり言ってくれるんですよね。

 3年目の時、今度は日ハムで活躍したスレッジという選手が来たんですが、スレッジさんは日本の文化をすごく理解しているんですね。もう一人、ベネズエラから来た選手がいて、向こうで監督と喧嘩をして、雇ってくれる球団がなくなって日本に来たんです。規律を守らないところがあったようなんですが、スレッジさんが先輩だから、そういうことをすごくちゃんと教えてくれたんですね。そういう気持ちとか順応性がなければ、日本では残れないんだなって実感しました。

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▲横浜ベイスターズ時代にお世話になったスレッジ選手のユニフォーム


赤見 安藤さんのように、海外で何年も生活して、仕事もしっかりされて日本に戻ってきた方って、どっちかというと海外に目が向いているのかなというイメージがあったんですが、日本の良いところをすごく感じていらっしゃるんですね。

安藤 そうですね。でも、僕もそこは、海外に行って気づかされたところです。例えば親の大事さ。「自分は自分だし」みたいな感じでいたんですけど、外国の人に「親を大事にできないやつはだめだ」「礼儀がちゃんとしていないやつはだめだ」って言われたんです。逆に「日本人には侍魂があるよな」「格好いいな」って言ってもらって。そうしたら、日本の良いところしか見えなくなりました。(次週へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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