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アメリカ競馬実況の第一人者、トム・ダーキン氏が実況の仕事に終止符

  • 2014年09月03日(水) 12時00分


最後の実況レースではゴール後、勝ち馬ではなくダーキン氏の姿が競馬場内で大写しに

 アメリカにおける競馬実況の第一人者として知られるトム・ダーキン氏(63歳)が、8月31日をもって43年にわたったアナウンサー生活に別れを告げた。

 1950年11月30日にイリノイ州シカゴで生まれたダーキン氏。演劇の勉強をすべく大学に進んだが、アーリントンパークをはじめとするイリノイ州の競馬場で流れていたフィル・ジョージェフ氏の実況に魅せられ、競馬実況の道に進むことを決意。1971年にウィスコンシン州におけるカウンティフェアの競馬でトラックアナウンサーとしてのデビューを果している。

 その後、フロリダ州のフロリダダウンズ、ケンタッキー州のマイルスパーク、イリノイ州のクオッドシティダウンズといったローカル競馬場で実況の腕を磨く一方、競馬専門紙のデイリーレーシングフォームで、レースの公式結果に全出走馬のレース振りをコメントとして網羅する仕事などに従事。競馬に対する造詣を深めていった。

 その後、フロリダ州のハイアリアやガルフストリームパーク、ニュージャージー州のメドウランズなど、徐々にメジャーな競馬場での実況を任されるようになり、1984年にブリーダーズCが創設されると、イベント全体のチーフアナウンサーに指名され、以降2005年まで20年に渡って、北米最大の競馬の祭典における実況を務めることになった。

 ブリーダーズCを通じて一躍全国区となったダーキンのもとに、1990年、トラックアナウンサーとしてのオファーを出したのがニューヨーク州競馬協会(NYRA)で、以後ダーキンは、ベルモントパーク、アケダクト、サラトガの各競馬場で実況を担当することになった。

 ダーキンは更に、2001年から2010年まで10年にわたって、北米3歳3冠のテレビ実況も担当。すなわち、アメリカにおける主要競走のほとんどが、ダーキンの実況とともに競馬ファンの目と耳に届けられることになったのだ。

 ダーキンの実況は、演劇の道を志した時期があっただけにドラマチックで、語彙が豊富で、時には自らの見識にのっとった評論が散りばめられることでも知られていた。

 アラジが制した91年のBCジュヴェナイル、シガーが制した95年のBCクラシック、3冠がかかったリアルクワイエットが鼻差で敗れた98年のベルモントS、自身にとってケンタッキーダービー初実況となった01年のケンタッキーダービー、ボレゴが制した05年のジョッキークラブゴールドC、牝馬のラグストゥーリッチーズが制した07年のベルモントS、同じく牝馬のレイチェルアレグザンドラが制した09年のウッドウォードSなど、名実況として語り継がれているレースをあげたら枚挙に暇が無い。

 あるいは08年7月、ベルモントパークのメイドンレースで「ドレミファソラシド」という名前の馬が勝利を収めた時には、ゴール前で勝ち馬の名をコールする時に、音階を付けて歌い上げるという、掟破りの実況を行なって話題となったこともあった。

 こうした名実況や珍実況はYou Tubeなどで御覧いただけるはずで、ご好きな方はぜひ、お聴きになることをお勧めしたい。

 そんなダーキン氏に、自身にとって一番記憶に残っている実況は、と聞くと、返って来る答えはここ数年、「09年のケンタッキーダービー」と決まっていた。マインザットバードが勝ったレースだが、直線で先頭に立ったマインザットバードを認識出来ず、ゴール目前まで2着馬や3着馬の名前ばかりコールするという、名人にしては希有な大失態をダーキン氏が犯したレースがこれだったのである。

 この年のケンタッキーダービーは、ウィンスターファームが3頭出し、ゴドルフィンが2頭出し、ロリとジョージのホール夫妻が2頭出しで、そうでなくとも服色の識別に神経を尖らせなければならなかった上に、この日のチャーチルダウンズは不良馬場で出走各馬と各騎手はいずれも泥まみれ。そして、マインザットバートは19頭立ての17番人気という超伏兵で、この馬が抜けて来ることを予測していた観客はほとんど居なかったという、実況アナウンサーにとっては実に気の毒な状況が整っていた。

 誰にも間違いはある、としながらも、2千万人もの人々が見ているレースで間違いを犯すのは、どうしようもなくバツが悪かったと、ダーキン氏は当時を振り返っている。

 ダーキン氏は今年5月に、8月一杯で実況の仕事に終止符を打つと宣言。8月8日にサラトガで行われた今年の殿堂入りセレモニーでは、彼の功績を讃えるコーナーが設けられ、多くの関係者がその引退を惜しんだ。

 ダーキンにとって最後の実況となったのが、8月31日のサラトガ開催でメインレースとして組まれていたG1スピナウェイSだった。

 場内に流れたレース映像の片隅には、実況するダーキンの姿が終始ワイプで映し出され、ゴール後、通常ならば勝ち馬の姿がクローズアップされるところ、最後の実況を締めくくるダーキンの姿が大写しになるという、異例中の異例とも言える放送がサラトガ競馬場内に流された。

 更にレース後には、ウィナーズサークルでダーキンの引退セレモニーが行なわれている。

 今後は、ニューヨークとフロリダにある自宅を往復しつつ、競馬との関わりは絶やさぬ毎日を送りたいとするダーキン。まずは、ニューヨーク競馬協会から餞別として送られたイタリア旅行に、友人たちと出かけるそうである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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