スマートフォン版へ

ジョッキー通訳・安藤裕さん(3)『カナダ競馬史上初!日本人ジョッキー誕生』

  • 2014年09月15日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲カナダで日本人第一号のジョッキーとなった安藤さん

調教師を目指してイギリスに渡り、様々な人との出会いに身をゆだねながら、どんどんとホースマンへの道が拓けていき、ついには憧れのフランキー・デットーリ騎手とも懇意となった安藤さん。順調な日々の中で、とあるきっかけからカナダへと移ります。そして、なぜだかジョッキーになることに!? 安藤さんの運命を大きく動かした出来事とは。(第2回のつづき、取材:赤見千尋)

◆ムチが使えない!? ノーウィップでの過酷なデビュー


赤見 イギリスで充実した生活を送られていて、そこからどうやってカナダでジョッキーになられたのか想像できないですが(笑)。どんな展開になっていくんですか?

安藤 ジョン・ゴスデン調教師が厩舎を離れることになったんです。「ハッピー、俺についてこいよ」って言ってくれて、僕も「うん」って。ひとまず勉強のためにアメリカかドバイに行くという話になったんですけど、ジョンが「ドバイはダメだ。ドバイに行ったら、お前は死ぬぞ」って。

赤見 え??

安藤 「女の子を見て触ったりしたら手を切られちゃうって聞くし、歩きながらビールを飲んだら死刑になるかもしれないんだ。ドバイはいいところだけど、ルールがわかっていなくて、英語もそこまで話せないお前を送ることは、俺としてはできない。だから、アメリカに行こう」って。

ただ、アメリカはビザがおりないんですよ。「それならカナダにしよう。アメリカに近いし、競馬も同じだから」って。競馬のレベルとしてはそこまで高くはないけど、過去にニジンスキーやノーザンダンサーを生産した背景もあるから、すごく興味はありました。

それで、イギリスのシーズンが終わった後に行くんですけど、1月に行ったら馬が1頭もいない…。それはそうですよね。気温がマイナス25度とかですから。その間、馬はアメリカに行っているんです。それで、僕もアメリカのフロリダまで行くことにしたんです。カナダに着いた次の日に安い車を買って、それで行こうって。まぁ、距離は3600キロあったんですけど…。

赤見 何日ぐらいかかったんですか?

安藤 1日です! 23、24時間くらいだったかな? 高速が直線にずっと続いているので、120とか130キロで走り続けて。そこで出会うのが、僕の師匠になるフィリップ・イングランドです。アフリートの調教師なんですけど、その人に出会って、カナダに戻ってから厩舎でお世話になることになったんです。

厩舎のみんなもすごくいい人で、「人種差別が全くない、こんな国があるんだ!」って感動しました。あと、向こうは馬医療がすごく進んでいます。それはイギリスでジョンにも言われていたんです。「イギリスのバンデージの巻き方は忘れろ。向こうはキツさも早さも全てがプロフェッショナルだから」って。イギリスの人たちは「アメリカの調教内容はまだまだ」って言うんですけど、馬医療に関してはアメリカが群を抜いてすごいというのは、ヨーロッパ全体が認めています。

おじゃ馬します!

▲安藤「アメリカの医療技術は、僕も群を抜いていると思います」


赤見 イギリスとはまた違うところで、勉強になることがあったんですね。

安藤 そうです。それで、厩舎にフィリップの右腕となって働いていた人がいたんですね。僕にとってはお父さんみたいな人なんですが、僕が馬に乗っている姿を見て、とても厳しく指導するんです。フィリップもフィリップで、追い切りにばっかり僕を乗せるし、これはどういうことか? と思ったら、いつの間にか彼らの間で、僕はジョッキーになるという話になっていたんです。

赤見 ええ! 調教師を目指していたのに?

安藤 「これはジョッキーになるための修行だ」なんて言うから、「いや、僕は調教師になりたいんだ!」って。そうしたら「調教師はいつでもなれる。でも、ジョッキーは体が恵まれていないとなれないんだ。だから、お前はジョッキーになるんだ!」って。「なるほど。そういう考え方もあるのか!」と思って、ジョッキーを目指すことにしました。

赤見 前向きな発想の転換! それで、カナダで騎手デビューとなるわけですね。

安藤 そうですね。カナダの新人ジョッキーになるには、永住権を取らないといけないんです。でもその時、「9.11」の影響でビザがなかなかおりなかったんです。アメリカに飛行機が着陸できなくて、その飛行機がトロントの空港にどんどん降りてきて。怖かったですよ。そういう状況の中で、調教師さんが全部対応してくれたから、僕はひたすら待つだけ。普通なら1年のところ、2年かかりました。

赤見 じゃあ、デビューしたときは「ようやく」という思いで?

安藤 多分、これを聞いたらびっくりすると思うんですけど、向こうの新人って、5レースまではムチを持てないんです。ムチなしでデビュー。レースで馬をコントロールできるか、あのスピードの中で冷静でいられるか、それを試すためにアメリカもカナダもノーウィップ。だから騎乗馬を見つけるのが難しいんですよ。

赤見 新人の上にムチがないんですもんね。初勝利はどうでした?

安藤 初勝利は、さすがにできなかったですね。ノーウィップでは(笑)。勝つのは次の年です。開幕してから3週間後。26戦目だったかな? 次の日にも勝って、その後2週間で5勝しました。結局1年目が24勝で、2年目が66勝。ジョッキーとしては、騎乗馬にすごく恵まれていたと思います。

おじゃ馬します!

▲うれしい初勝利、カナダのウッドバイン競馬場にて


おじゃ馬します!

▲安藤さんが使っていた鞍、日の丸をイメージしたデザイン


赤見 ひょんなことから騎手になって。それが、すごく順調にいったんですね。

安藤 僕ね、ケンタッキーダービーが一番好きなレースなんです。あれはまさに“アメリカンドリーム”。すごく高い馬が出てくることって少ないし、同じ勝負服の馬もいないんです。大体が「この馬、どこから出てきたの?」みたいな馬ばっかり。今年勝ったカリフォルニアクロームも、カリフォルニアの小さな牧場の種馬の仔なんですよね。

そこまでみんなにチャンスがあるGIって、多分、世界で唯一だと思うんです。だって、シェイク・モハメドも勝っていないでしょう? 資金もあって、アメリカにも拠点があるけど、レースに出ることすら難しいんですもん。

赤見 ローテーションとかもみんな違って、いろいろなところを使って頂点まで来るという感じですか?

安藤 そう。地方の高崎競馬場からはい上がって、南関東の馬たちと対戦して、JRAのGIで対決みたいな。ジョッキーたちも、そこの人たちが下手かといったらそうじゃないんですよね。彼らは自分たちでローカルを選んでいるだけであって。

赤見 それって、一番いいピラミッドかもしれないですね。安藤さんご自身、重賞も勝って、どんどん活躍されていって。

安藤 それでも、減量がある新人の時に比べて、減量が取れてからは厳しかったですよ。向こうは減量ジョッキーが大好きですから。減量がなくなって勝てなくなって、自分のやり方が間違っているんじゃないかと思って。それで、シンガポールとかマレーシアに行ってみたんです。そうしたら、それがすごく勉強になりました。

とにかく動かない馬ばっかりなんですよ。アメリカとかカナダの馬は、「行くよ」って言ったらすぐにアクセルが入るんですけど、向こうの馬は「行くぞ、行くぞ」って言っても「何の話?」って、全然聞こえてないみたいに。こういうものなんだなって思ったら、逆にすぐに動く馬のタイミングがわかるようになりました。

赤見 それで技術と自信をつけて、カナダに戻られて。

安藤 カナダに戻って、最初のうちはやっぱり乗り馬は少なかったです。でも、エージェントに「僕は人気薄の馬ばかりには乗らない。負けてばかりのジョッキーになるのは嫌だ。新聞にたくさん名前が載らなくてもいいから、確実に勝ちたい。騎乗馬が少なくても確実に勝っていけば、絶対にみんな戻って来てくれる」って。

そういう作戦を組んで次のシーズンを迎えて、1か月で10個乗って7つ勝ちました。ちょうどそのタイミングで、リーディングジョッキーが怪我をしたんです。その分の馬も僕にまわってくることになって。

それで乗った1頭目でした。足を怪我したんです。前の馬がよれてラチに当たって、ラチがはずれたところに僕の足がひっかかって…。神経も全部切れてしまいました。自分でもわからないくらい、あっという間のことで。それでも、カムバックはするんです。3か月で戻れたんですけど、足の感覚がない。だから、乗っていても全然楽しくないんですね。(次週へつづく)

→好評連載中!エスポジート騎手の密着コラムはこちら

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング