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【特別企画】苦痛なく安らかな死を… 渡辺牧場の苦悩と決断/引退馬の現状と未来(2)

  • 2014年09月16日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲渡辺牧場で暮らすメテオシャワー(左)とナイスネイチャ(右)


※引退馬の現状と未来(1)「引退馬協会の取り組み」を無料公開中

『馬の瞳を見つめて』


 北海道・浦河町絵笛にある渡辺牧場を訪ねたのは9月上旬だった。笑顔で出迎えてくれた渡辺はるみさんは、早速放牧地に案内してくださった。放牧地にいたのは、あのナイスネイチャ(セン26・引退馬協会フォスターホース)とメテオシャワー(セン19・個人オーナー所有)の2頭だ。

 はるみさんに促されて放牧地に入ると、2頭がワーッと近寄ってきて、付きまとってくる。だが手に人参がないのを確認すると、2頭ともくるりと身をひるがえして軽快に走り去っていった。「現金なやつらと言われているんですよ」と、はるみさんは楽しそうに2頭の後ろ姿を見送っていた。

 いつもはセントミサイル(セン24・引退馬協会フォスターホース)を含めて3頭で放牧されているのだが、股関節を痛めたミサイルは、少し離れた場所に1頭で過ごしていた。一方、ナイスネイチャは、以前は1頭で放牧地に放たれていた。

「ミサイルとメテが仲良く一緒の放牧地にいたのですけど、それを見ているナイスネイチャの寂しさがヒシヒシと伝わって来るんですよ。でも以前、放牧地が隣同士だったナイスとミサイルは2頭で放牧地の直線を柵越しに併せ馬で走っていたんですよね。10往復くらい(笑)。2頭は張り合う仲でしたし、その時に柵を蹴ったナイスが左後ろ脚にケガをしたこともありましたし」(はるみさん)

 そのような過去の経緯も気にはなったが、食欲もなくなるほどのナイスネイチャの寂しげな様子を見て、はるみさんは思い切ってミサイルとメテの放牧地にナイスを入れてみた。「ミサイルは蹴ったりしていましたけど、ナイスは仲間に入りたいので蹴らずに、謙虚にしているんですよね。そうするうちに段々打ち解けてきました。馬は群れで生きる動物ですし、良かったかなと思います」(はるみさん)

 はるみさんが語る馬たちのエピソードに、グイグイ引き込まれた。ナイスネイチャとミサイルが張り合って併せ馬をしている様子、寂しげなナイスの姿、仲間に入りたくて謙虚に振る舞うナイスの仕草など、こちらまで目の当たりにしたかのような錯覚に陥る。はるみさんは、馬たちのすべてをスポンジのように吸収する感受性の強い人で、それを生き生きと語る姿に馬への深い愛情を感じた。

第二のストーリー

▲ニンジンを期待して走ってきたメテオ(左)とナイス(右)


第二のストーリー

▲ないとわかるや、さっさと戻っていく二頭


知ってしまった引退馬の現実


 渡辺牧場はナイスネイチャを生産した牧場としても名前を知られていたが、現在は生産を打ち切り、引退した馬たちのための養老牧場に衣替えしていて、現在は前述した3頭の他、ナイスネイチャの母のウラカワミユキ(牝33・引退馬協会フォスターホース)、騎馬隊で活躍したトウショウヒューマこと春風ヒューマ(セン21・春風ヒューマの会所有)、キャプテンベガ(セン11・個人オーナー所有)などが、のんびり余生を送っている。

『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房)という本がある。手に取ったのは既に絶版になった後で、amazonの中古本で購入した。この本の著者こそが、渡辺牧場の渡辺はるみさんなのだ。

『馬の瞳を見つめて』は、衝撃的な内容だった。繁殖を引退した牝馬を養い、行き場がなくなった生産馬を引き取る。放牧地で青草をいっぱい食べさせてのんびり過ごさせた後に、苦しまない方法で安楽死をする。そうするに至った事情や安楽死の様子などが、実に赤裸々に描かれていた。

 まだ生きられる馬を安楽死させる。その事実に、正直気持ちがついていかなかった。一方で、ほんの少しだけれども、はるみさんの苦しみや葛藤、安楽死を選択した心情や事情も理解できた。はるみさんは馬たちの瞳を見つめ続け、その命の尊さも愛らしさも、苦しみも悲しみもすべてをスポンジのように吸収してきたのだと、綴られた文章を読んだ時にも感じた。そして今回、実際に会ってみても、本から受けた印象そままの女性であった。

 三重県で生まれて名古屋近郊で育ったはるみさんは、幼い頃から動物が大好きで、獣医を目指して大学に進学した。夏休みにアルバイトに訪れた渡辺牧場ですっかり馬のとりことなり、馬の1年のサイクルを学ぶために大学を1年間休学して、再び渡辺牧場にやって来た。そこでご主人となる渡辺一馬さんにも魅かれ、大学を退学して北海道・浦河町の渡辺牧場に嫁いできたのだった。

 初めは競馬の仕組みなどわからないまま、馬たちに愛情を注いでいた。競走馬を引退して乗馬になると聞けば、素直にそれを信じた。生産馬がいる乗馬クラブに会いに行こうとさえ考えていた。けれどもいざ調べてみると、ある生産馬が行ったはずの乗馬クラブは見つからず、その馬は行方知れずとなっていた。それを契機として、はるみさんは競走馬の現実を次々知ることになる。

「ナイスの弟のグラールストーンの世代は続々と相馬野馬追に行ったんですよね」(はるみさん)。当時は、そのような祭りがあるのも知らず、野馬追に参加する数百頭の馬たちの多くが、祭りの後に淘汰されてしまうこともあるという厳しい現実も認識していなかった。「ちょうどその頃に『いななき会』の方と知り合って、引退した馬についての情報がどんどん入って来るようになりました」

 いななき会は1972(昭和47)年から現在まで馬の保護活動を行っている団体だ。活動に共感したはるみさんは、同じ考えを持つ女性たちと『いななき会』の会報をコピーして、牧場に配り歩いた。テレビ朝日の『ザ・スクープ』で、引退した競走馬の末路など競馬の裏側を取材した特集や、青木玲さんが自主制作した『優駿の門―競走馬、その生涯―』というビデオを目にしたのも同時期だった。

「ビデオに九州で乗馬クラブを経営するカウボーイハットをかぶった男の人が出てきたんです。『自分には家族もいるし、従業員もいますから…』と話し始めて、その後に、生計も立てていかなければいけないから、役に立たなくなった馬は割り切らなければいけないという言葉がいかにも出てきそうな雰囲気がしたんですけど、違ったんですよ。『教育や人間同士の繋がりが50万(当時の馬の肉値)で買えるのなら、それでいいのではないか。役に立たなくなったら捨ててお金に換えればいいと、子供まで考えるようになったら怖い』というようなことを話したんですよ。

それで亡くなった馬は、自分で弔う。大きな穴を掘って埋めてあげて、耳や鼻の穴に土が入らないように馬の顔に自分のシャツをかけてあげる。こうして馬を自分で看取って、葬式をすると、もっとああすれば良かった、こうしてやれば良かったという悔いがいろいろとこみあげてくる、家畜商に渡してお金を渡すというのではなく、自分で何度か埋葬をする経験をしなければいけないというようなことを話していたんですよね」

せめて苦痛なく安らかな死を…


 この九州の乗馬クラブ経営者の言葉は、はるみさんの胸に深く刻まれた。そして1992年(平成4)に放送された『ザ・スクープ』で見た、最後を迎える場所に向かう時の馬たちの恐怖と不安に満ちた瞳が脳裏に焼き付いた。悲しいかな、多くの元競走馬たちの最後の場所が、屠場なのだ。『優駿の門』に登場した九州の乗馬クラブのように、最後を看取ってもらえる場所は本当にごく一部だ。

 愛情を注いできた馬たちが、恐怖と不安で満ちた最後を迎える。この事実は、はるみさんには耐えがたいことだった。

「牧場育ちで長年馬に関わってきた元調教師の方が『馬はたいてい暴れて死んでいく、壮絶な死に方をしていく』と、生前おっしゃっていたんですよ。骨折した時も、腹痛にしてもそうですよね。その方は安楽死という話まではしていなかったですけど。でも馬の習性として、壮絶な亡くなり方が多くて、安らかに息を引き取るという馬はなかなかいません。それでどこかで恐怖と苦しみを味わって亡くなるのなら、例え命は短くても、せめて麻酔薬を使って苦しませないように安楽死という締めくくり方があっても良いのではないかと考えるようになりました」

 亡くなった元調教師の言葉、『優駿の門』に登場した九州の乗馬クラブの経営者、『ザ・スクープ』で目にした最後を迎える前の馬の恐怖と不安に満ちた瞳、渡辺牧場でそれまでに看取った馬や行方知れずになった生産馬たち…それらが「亡くなる時は、せめて苦痛なく安らかな死を迎えさせたい」というはるみさんに宿っていたこの考えを後押ししたように思えた。

 一般的に行われている安楽死の方法にも問題があるいう。「安楽死には、馬産地でもパコマという消毒薬を使うのが当たり前になっています。厩舎などを消毒する薬です。それを直接血管内に打つんです」

 パコマを打つと、赤血球が破壊されて組織呼吸が妨げられ、最後は窒息死に至る。パコマが息を引き取るまでの時間が1番短いようだが、安楽死に消毒薬を使うという話は知らなかったし、窒息と聞いて安楽死という表現が果たして合っているのだろうかと疑問を覚えた。

 はるみさんも一般的な安楽死の方法に疑問を覚え、安楽死を行う時には、まず鎮静剤を打ち、麻酔薬をたっぷりと使う。麻酔がしっかりと効いたのを確認してから、最後の薬を獣医師に入れてもらっていると話した。馬をいかに苦痛なく天国に送るか。気が重くなる話だが、はるみさんの表情も雲っていた。

 役目を終えた繁殖牝馬や、再び連れ戻した生産馬をのんびりと放牧地で過ごさせた後に、安楽死をする。病気や骨折の苦しみを長引かせないための切迫屠殺ならともかく、いくら苦しまない方法だからと言って、元気な馬の安楽死を嫌う獣医師もいた。その獣医師の気持ちもとてもわかる。まだ生きられる動物を殺すことに抵抗を感じない人は、ほとんどいないと思うからだ。

 だが一方で、競走馬は人間のエゴで生産され、人間のエゴで見捨てられるのだ。中には乗馬として大切にされている馬もいるし、すべての馬が恐怖や苦しみを味わって亡くなるわけではない。だが圧倒的多数の馬の最後は屠殺だ。乗馬も厳しいが、繁殖牝馬になったとしても、受胎率が悪かったり、産駒が走らなければ、牧場に置いておけないために出されてしまう。

 繁殖牝馬から乗馬になるという話もほとんど聞かない。運が良ければ、他の牧場で繁殖牝馬になれるケースもあるようだが、それ以外は屠場送りだ。毎年相当数の繁殖牝馬が、命を落としているのは間違いないだろう。それを考えた時に、はるみさんの取ってきた安楽死という形は、決して責められるものではないのではないか。特に、生産の現場を知らない、実際に馬という命と真剣に向き合ったことのない私のような人間には、責められないと感じた。

馬と真正面から向き合っての命のやり取り


「個別の馬だけ見ていれば、その馬を助けることに力を注げるかもしれませんけど、たくさんの馬となると、30年の寿命を生かすというのはよほどの大金持ちでないとできないですよね。自分も安楽死というのは、決して良いことだとは思っていないんです。何か月も前から覚悟を決めて、その日を迎える。罪悪感がものすごく残りますしね」(はるみさん)

 昨年も3頭の馬を見送った。およそ1年前のことだ。

「うちは馬には本当に優しくしているんですよね。例えば少しでも寒いとすぐに馬房に入れます。秋の冷たい雨や冬の凍えるような寒さの時など、1つ1つのシーンを見てきていますから、馬たちが辛くないようにといつも考えてやっています。

去年見送った3頭のうちの1頭は、繁殖にほしいという人もいましたけど、生きながらえることが果たして本当に幸せかというのは、わからないですからね。サラブレッドにとって、環境の変化はストレスですし。うちに生まれたから命短くてと、本当に申し訳ないという思いが残りましたけど。特に1頭は繁殖として生きられる可能性がありましたから、特にですね」(はるみさん)

 ならば、繁殖として他の牧場に譲った方が良かったのではないかという思いが、正直頭をよぎった。だからと言って、はるみさんの馬への愛情は本物であるとも思う。馬と真正面から向き合って命のやり取りをしたことのない人間が、批判する立場ではないという気持ちが湧いてくる。

「うちの牧場が生ませた馬たちの責任は、何とか取りたいと思っています。生産をもっと早くに辞められれば良かったのですけど、経済的な事情もあってなかなかそれもできなくて。自分もだいぶ年も重ねてきましたし、あと何年生きられるかなとか、経済的な面などいろいろなことを総合的に考えあわせて出した安楽死という結論なので、一般の人に全て理解していただくのも、難しいのでしょうけど…」(はるみさん)

第二のストーリー

▲渡辺牧場の預託馬たちは大自然の中で穏やかに暮らしている


 はるみさんの牧場は生産を辞めて、これから渡辺牧場に戻ってくる馬の数は少なくなった。生きられる馬たちに安楽死を選択する苦しみも、いずれなくなるに違いない。けれども、競馬がある限り毎年何千頭というサラブレッドが生産され、数え切れないほどの馬たちの命が失われていくのには変わりない。そう考えると絶望的な気持ちになるが、前回ご紹介した引退馬協会や、これまで「第二のストーリー」でご紹介してきた牧場や乗馬クラブのように、それぞれの立場で馬たちのために行動を起こしている人々が日本全国にいる。

 生産を打ち切って養老牧場として再出発した渡辺牧場にも、ナイスネイチャの産駒・セイントネイチャーの里親の会を設立という新しい動きがあった。「経済的に余裕があるわけではないですし、渡辺牧場の生産馬ではないこの馬を引き取ることに、最初はためらいがありました」(はるみさん)

 だがセイントネイチャーの里親の会は設立され、その余生は保障された。次回は会設立の経緯と手を差し延べてくれた会員さんとの交流、渡辺牧場の馬たちの様子や渡辺牧場の今後についてお伝えしたい。(次週へつづく)

(取材・文:佐々木祥恵)

※有限会社渡辺牧場は見学可です。
浦河郡浦河町絵笛497-5
年間見学可能
見学時間 9:30〜11:00 14:00〜16:00
直接訪問可能(団体のみ3日前に連絡)
(詳細はふるさと案内所まで)

競走馬ふるさと案内所日高案内所
電話 0146-41-2121
FAX 0146-43-2500
http://uma-furusato.com/

渡辺牧場HP
http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/

渡辺牧場ブログ
浦河 渡辺牧場の馬たち
http://watanabeuma.cocolog-nifty.com/blog/

認定NPO法人引退馬協会
http://rha.or.jp/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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