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ばんえい十勝の可能性

  • 2014年10月17日(金) 18時00分


まだまだ多くの人や競馬ファンに知ってもらえる余地がある

 先週、10月11〜13日の東京競馬場では、『ばんえい十勝フェア』が行われていたのはご存知だろうか。ばんえいグッズや十勝地方の物産の販売、ばんえい競馬の紹介などで、11日の昼休みにはスタンド前の表彰スペースでトークショーも行われた。これらは昨年(同じ10月の東京開幕週)に続いて2度めのこと。


 同じ“競馬”とはいっても、地方競馬の中でもばんえい競馬だけは、馬の種類がまったく違うこともあって、これまで中央競馬とのつながりがほとんどと言っていいほどなかった。毎年秋分の日に世田谷区の馬事公苑で開催される『愛馬の日』に、ばん馬を連れてきたりということは少し前から行われていたが、北海道の札幌・函館を除く中央の開催中の競馬場でばんえい競馬関連のイベントを行うというのは、おそらく昨年が初めてだったと思われる。

 ぼくも11日は『ばんえい十勝フェア』のテントのところで案内などのお手伝いさせていただいたのだが(12、13日は盛岡競馬場の取材でした)、そこに立ち寄るファンの方々の反応はたいへんに興味深い。

 まず年配の方は、「昔よく行った」または「行ったことがある」という懐かしむ系。10年、20年、もっと前に活躍していた馬や、当時のトップジョッキーなどの話や、今はなくなってしまった岩見沢、旭川、北見競馬場の思い出などでしばし盛り上がる。家族連れでは、ばんえい競馬の映像やポスターに、子供の視線が釘付けになる。競馬ファンでもレースの映像を初めて見るという人も少なくない。今年多かったのが、「『銀の匙』で見た」というもの。

 一方で、ばんえい競馬ではずっと以前から一定割合で必ずあるのが「馬がかわいそう」という感想。これについては、「本当に馬がイヤだと思ったら動かないし、1トンもある馬を人間が動かすことはできないですよ」と丁寧に説明するしかない。

 それで思うのは、ばんえい競馬は、まだまだ多くの人や競馬ファンに知ってもらえる余地があるなあ、ということ。

 話は逸れるが、このコラムのタイトルが『地方競馬に吠える』であるにもかかわらず、最近は“吠える”ことが少ないことにお気づきだろうか。ここ2年ほど、地方競馬の売上げが全体的にアップするなど好循環で、あえて指摘するようなネタが少なくなっているというのが正直なところ。特に情報発信やファンサービスという面では、どこの主催者もかなり充実した。売上げが下がり始めた平成の初期の頃、地方競馬にはファンサービスという概念すらないところも少なくなく、それを思うと隔世の感がある。程度の差こそあれ、これ以上あとは何を望まれるのかというほど頑張っている主催者(関係者も含めて)もあり、それをかなり限られた人数でやっていて感心させられることも少なくない。

 そして驚くべきは、地方競馬IPAT発売のない、ばんえい競馬の馬券の売上げが、ここ2年度連続で、前年比10%以上の割合でアップしていることだ。2011年度には1日平均の売得額が6700万円余りまで落ち込んでいたのが、今年度は4〜8月の1日平均で8000万円余りにまで回復している。

 かつてばんえい競馬は、地元の人以外ではよほどマニアックな競馬ファン以外にはあまり知られていなかった。それが皮肉にも脚光を浴びることになったのが、2006年の存廃の騒動だ。単に地方競馬のどこかの競馬場が廃止になるかどうかというのとは違い、世界中でも北海道でしか行われていない(草ばん馬は東北地方でも行われている)ということで、一般のニュースでもかなり大々的に取り上げられた。これによって、競馬ファンではない一般の人たちにも、「北海道でやってる大きい馬がソリを曳く競馬ね」くらいの認識はかなり広まった。

 東京競馬場で、たまたま通りかかった方々の反応を見ていると、競馬ファンに対してだけでも、ばんえい競馬を今以上に知ってもらえる余地はまだまだかなりあると思う。ばんえい競馬の可能性、さらにはばんえい競馬をとりまく環境、つまりは十勝地方の観光資源や食文化などが持っているポテンシャルの高さは、思っている以上に大きいことをあらためて感じさせられた。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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