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シンデレラボーイの誕生/菊花賞

  • 2014年10月27日(月) 18時00分


にわかには信じがたい好走

 シンデレラボーイが誕生した。信じがたいレコードで快走したのは、つい1-2カ月くらい前まで、みんなの知らなかった少年である。4コーナーを回ったトーホウジャッカル(父スペシャルウィーク)のタテガミは京都の逆光にかがやき、ゆれる尾花栗毛は黄金色に光っていた。

 しかし、それにしてもすごい馬がいたものである。乗っていた酒井学騎手(34)は自信があったのだろうが、谷潔調教師も、生産牧場の竹島さんも、オーナー代表の高橋さんも、多くのファンにしても、先頭に立って後続を離しはじめたトーホウジャッカルをみて「おい、本当におまえなのか」と叫んだかもしれない。藤代三郎さんふうに…。

 初勝利は7月。デビューしてまだ5カ月。大震災の日に生まれた馬で、病気で競走馬になれそうもないと思われたことなど、関わる話題にはこと欠かないが、谷潔調教師の父は谷八郎(元)調教師であり、あのヒカルイマイ(父シプリアニ。1971年の皐月賞、ダービー馬の2冠馬)につづき、父子で牡馬3冠を達成したという記録がすばらしい。若い日にヒカルイマイの衝撃を目にしているファンは、みんなもう60歳以上の方である。いま、30代くらいで「田島光」などという名前の方は、父か、母か、あるいはおじいさんが熱狂のヒカルイマイ信者だったのである。

 先週の秋華賞が1分57秒0のレースレコードで、10月12日には1200mで1分06秒7のコースレコードが飛び出した今季の京都の芝とはいえ、「60秒9-61秒3-58秒8」のバランスで「3分01秒0」。間違いではないのか、という大レコードである。2400m通過は日本ダービーと大差ない2分26秒1であり、全体に予測を上回るハイペースで展開しながら、最後800mのレースラップは「11秒7-11秒7-11秒6-11秒6」だった。

 これがほかの馬だったら、あまりの高速記録に、芝コンディションの整備方法に少なからぬ疑問さえ生じかねないが、驚異の新星トーホウジャッカルが勝ち馬だったことにより、伝説の「3000m 3分01秒0」として長く残るかもしれない。

 4分の3同血の姉トーホウアマポーラ(父フジキセキ)は、今年7月のCBC賞1200mの勝ち馬であり、全6勝が1400m以下(1200mで5勝)である。いくら父がスペシャルウィークに変わって、姉に比べれば距離はこなせそうな体型とはいえ、姉が1200mのGIIIを勝った翌週、同じ中京の芝1600mの未勝利戦を3戦目に勝った馬が、3カ月半後には歴史的なレコードで3000mの菊花賞を快走しているとは、にわかには信じがたい不思議である。

 種牡馬スペシャルウィークは、ブエナビスタと、シーザリオと、トーホウジャッカルの父。でも、平均点は低い。ステイゴールドと似ている。

 書く内容に困り、血統に関わることをレース検討や回顧に使うこともあるが、菊花賞のころになると必然のファミリーを持ちだし、トーホウジャッカルの3代母は、1998年のケンタッキーダービーを制したリアルクワイエットの父クワイエットアメリカンの母と姉妹である。などとしたところで、トーホウジャッカルが平気で3000mを快走する可能性の根拠にもならない。

 血のつながりや、広がる可能性の不思議を前面に押し出してくるのが菊花賞の3000mである。

 菊花賞の歴史は大きく変わっている。これで最近15年の勝ち馬のうち半数以上の「8頭」は、春の2冠には顔を出していない馬である。トーホウジャッカルは5カ月間に7回も激走している。スリーロールスや、ソングオブウインドにしてはならない。陣営はオーバーホールをほのめかしている。みんな大賛成である。シンデレラボーイの再出発を、しばらく待とう。

 2着のサウンズオブアース(父ネオユニヴァース)は、11番人気で11着にとどまった日本ダービー当時とは、別馬のようにたくましくなり、にじみ出る馬体の迫力がちがった。あえてテン乗りになる蛯名騎手を配した陣営の期待に、十二分に応えた3分01秒1だった。「口惜しいが、あれで負けたら仕方がない(藤岡調教師)」であり、「すべてうまくいったが、追いついたらもうひと伸びされた(蛯名騎手)」。そろってトーホウジャッカルを称えた。惜敗した2着馬の陣営が、勝者を賞賛するのは素晴らしいことであり、このことによってレースの価値が高まる。

 しぶとく3着に盛り返すように粘ったゴールドアクター(父スクリーンヒーロー)は、これで長距離区分に入る2200m以上【3-2-1-1】となった。着外も青葉賞2400mの4着(0秒1差)であり、今回も苦しくなってから簡単にあきらめず、決して音を上げなかった。長距離重賞での活躍はみえた。しかし、スタミナ型には今回はあまりに勝ちタイムが速すぎた。

ワンアンドオンリーは蓄積した疲れが直前に出てしまったのかもしれない

 断然の1番人気で、9着に沈んだワンアンドオンリー(父ハーツクライ)には、当日の心身の高揚で露呈することになった体調異変があった気がする。「ダービーだけの1冠馬は、菊花賞では苦戦する」などと、レース検討でつまらない記録を並べたが、あれは、実際には根拠の乏しいクラシックの不思議にすぎない。

 パドック後半から、不安を思わせる発汗がいつもより激しくなったワンアンドオンリーは、日本ダービー馬である。6月1日のダービーを激走し、9月下旬の神戸新聞杯2400mで、「ダービー馬らしいレースをしなければならない(橋口調教師)」のは、大変なことだった。馬体を大きく緩める休息は取りにくい。中途半端にもなりかねないオーバーホールから、いきなりダービー馬らしい秋初戦を勝ったワンアンドオンリーは、あのときみんなが「負けた」と思ったレースを勝ってしまった。あの形で負けるわけにはいかないが、あれは痛い。結果的に120点のレースをしてしまった。あのあと、順調に休み明けを1戦した良化を示しているように映ったが、逆に、さらに蓄積した疲れが直前にどっと出てしまったのかもしれない。

 コース形態からして、圧倒的に不利な外枠から発走すると、最初からリズムが悪すぎた。陣営のミスでも、体調不備でもない。「運がなかった(横山典弘騎手)」というレース後の談話が伝わったが、それはさまざまな意味を含めた「ダービー馬ゆえのつらさ」であるようにも聞こえた。まだ、3歳の秋。ワンアンドオンリーの競走生活は、これからが本当の本番である。立て直そう。

「3着はあったかもしれない」と、外の16番サトノアラジン(父ディープインパクト)を買っていた記者が嘆いた。外枠からのロスを避けるために最後方近くを追走する思い切った騎乗から、内を通ってスパート体勢に入ったが、少なくとも2回は大きく寄られ(タガノグランパの菱田騎手は開催日4日間の騎乗停止)、進路がなくなって立て直す不利があった。3着馬とは0秒2差の6着は、記者ならずとも残念だったろう。体型からみてあまり長距離向きではないと考えていたが、体つきがシャープに映るように変わってきた。見方を大きく変えたい。

 一方、最終的に2番人気に支持されたトゥザワールド(父キングカメハメハ)は、落ち着いて絶好の仕上がりとみえたが、同じ位置にいたグループががんばるなか、直線で完全にガス欠状態となって16着に大敗。「スタミナ不足(川田騎手」は明らかだが、追い切りも、体つきも見た目には絶好とみえて、実際には、それほど満足のいくデキではなかったのかもしれない。セントライト記念の2着(0秒2差)は、あれは中身のある価値ある内容と判断したが、ワンアンドオンリーの場合と同じ見方をすると、セントライト記念は100点に近い競馬で力を出した。でも、トゥザワールド自身にしてみれば、「やっぱり、イスラボニータにはかなわない」。心身に疲弊感の生じた悲しい完敗だったかもしれないのである。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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