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オルフェーヴルを破ったギュスターヴクライの新たな任務【動画有り】

  • 2014年10月28日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲忍者ホースクラブで過ごすギュスターヴクライ


川島信二騎手がつないだ縁


 忍者ホースクラブの敷地に一歩足を踏み入れると、愛嬌たっぷりの犬たちが尻尾をパタパタと振り、子犬たちが飛ぶように軽やかに駈けてくる。しなやかな動きですり寄ってくる愛想の良い猫の背中を撫でながら厩舎を覗くと、ほとんどの馬たちが一斉にこちらを向いた。ここでやっと代表の宮本佳英さんに「どうもどうも」という感じでご挨拶をし、馬たちの顔を見ながら、それぞれの馬のエピソードを聞かせてもらった。

 たくさんのお守りが飾られている馬房からは、額に星のある眼光鋭いメルシーエイタイム(牡12)がこちらに睨みをきかせている。前回もご紹介した通り、彼の左後ろ脚は不自由ながらも、至って元気だ。そのお隣は、ワイルドな前髪を額に垂らしたメルシーモンサン(牡9)。2010年の中山大障害(JGI)に優勝している。メルシー2頭の向かい側には2012年の阪神大賞典(GII)を制したギュスターヴクライ(牡6)と黒っぽいイケメンの馬がいた。他にも2004年の皐月賞(GI)で5着となり、重賞でも好走歴のあるミスティックエイジ(セン13)など、忍者ホースクラブのブログでおなじみの面々が顔を揃える。

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▲重賞でも好走歴のあるミスティックエイジ


 エイタイムの列の奥に栗毛の馬がいた。もしやこれはと思って近づくと、やはりオースミグラスワン(セン12)だ。新潟競馬場で誘導馬をしていたはずだったのが、気が付けば忍者ホースクラブのブログに登場していた。

 グラスワンが忍者の一員になったきっかけを作ったのは川島信二騎手だった。

「川島君は昔から僕の友達だったんですけど、ある日電話がかかってきましてね。なかなか本題に入らなくて、いつもの感じと違うんですよ。どうしたの? って聞いたら、オースミグラスワンが誘導馬を退いて新潟競馬場を出ることになったので、ウチで引き取ってもらえないだろうかという相談でした」(宮本さん)

 オースミグラスワンの戦績を見返すと、川島騎手が騎乗したレースは32戦中5戦と決して多くはない。けれどもグラスワンは、川島騎手がデビュー時からずっと所属していた安藤正敏厩舎ゆかりの血統。安藤調教師が勇退したために、新規開業した荒川義之厩舎に転厩となった馬だった。

「彼、あの血統が好きなんですよね。姉のオースミハルカも、個性的でしたもんねえ。確かグラスワンの調教もずっと乗っていたはずですし、グラスワンの最後のレースにも彼が乗っていましたよね」(宮本さん)

 グラスワンの姉のオースミハルカは、のちに牝馬三冠となるスティルインラブをチューリップ賞(GIII)で、名牝ファインモーションをクイーンS(GIII)で破るなど大物食いとして名を馳せ、エリザベス女王杯(GI)では2年連続、2着と惜敗するなど、その個性的なレース振りにファンも多かった。

 弟のオースミグラスワンは、新馬勝ちした2歳秋のデビュー戦以来、休養を挟んで4歳の年明けまで8連対(8戦4勝2着4回)を果たす。9戦目の中京記念(GIII)で9着と連対は途切れはしたが、4歳春には新潟大賞典(GIII)で優勝と、飛躍が期待されていた。だがメンタル面に問題もあったようで、その後約2年間は勝ち星から遠ざかり、2桁着順も経験するスランプに陥ってしまう。その間、前述した通り、安藤正敏調教師の勇退により、荒川義之厩舎に転厩となって、6歳時には、上がり3ハロン31秒9という驚異的な数字を記録し、2度目の新潟大賞典制覇も果たしている。

「川島君も頼みづらかったと思うんですよね。たくさんの馬を養っていくのは大変やし、馬がいつまで生きるのかもわからへんし、自分1人の発言でウチに飼って下さいというのもどうかな…とか、そういう思いを川島君の中で募らせた上で電話かけてきてくれたんやと思うんですよね。個性的な馬でしたし、ファンの多い馬でもあったしね。それもあって引き取ってくれませんかという感じやったので、良いよって言ったんです」(宮本さん)

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▲川島信二騎手に導かれたオースミグラスワン


 思い入れが強いグラスワンを、安心できる場所で過ごさせてあげたい、川島騎手はそう考えたのだろう。そして安心して託せる場所というのが、忍者ホースクラブだったのだと想像がつく。その川島騎手の熱い気持ちが、宮本さんにも伝わり、グラスワンは5月23日夜、忍者ホースクラブに到着した。

「脚部不安もあって誘導馬を引退することになったのだと思いますね。馬運車を降りてきた時は、かなりハ行していましたから。乗馬のトレーニングや誘導馬をやっている中で痛めたような感じでした。右前脚はまだ腫れていますけどね。ウチに来ている鉄屋(装蹄師)さんは、このような症状の脚元を数多く見られている方なんで、工夫して装蹄してもらってすぐにちゃんと歩けるようになったんです。ウチに来て5か月弱くらいになりますが、炎症も治まってきましたし、競技会に出してみようかなとも考えているんですよ」

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▲オースミグラスワンは変顔が得意!?


 取材中、グラスワンはずっと馬房から顔を出していた。こちらの会話を子守唄にしていたのか、目は半分閉じかかって眠たげで、下唇は緩み気味だ。

「結構、変顔が得意なんで(笑)」と宮本さん。リラックスしたグラスワンの表情から、忍者での暮らしがすっかり板についていることが窺えた。

牧場の重要業務を担うギュスターヴクライ


 忍者ホースクラブの代表・宮本佳英さんが、馬に乗り始めたのは18歳と決して早くはない。アルバイトに行っていた乗馬クラブでそのままインストラクターとして勤務した。その後、長浜市にある三田馬事公苑に移り、そこで初めて競走馬に関わった。

「乗馬クラブは接客業ですから、最初に馬ありきというわけではないんですよね。純粋に馬に関わりたいと思ったら競走馬の方ですから。それで30歳になってから競走馬の世界に来ました。珍しいんじゃないですかね、30になってからなんて。三田馬事公苑には500mのトラックがあるんですけど、そこで乗り付けから全部やるんですよ。最初は1歳の鞍付けをまずお手伝いさせてもらって、一から勉強させてもらい、その後、乗せてもらえるようになりました。

それまで十何年馬に乗ってたとはいえ、何せトラックにデビューしたのが30歳過ぎてからなので、トラックを走るのはめっちゃ怖かったですね(笑)。ウェイトもあるし、暴走されたら馬を壊すんじゃないかなとか考えたりして。でも競馬はすぐ結果につながるじゃないですか。自分が乗っていた馬がレースに出走したり、勝ってくれるのは楽しいですし、やりがいがありましたよね。それで独立して、自分でやってみようということになったんですよね」

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▲宮本さん「独立して、自分でやってみようと」


 育成牧場&乗馬クラブを始めるために準備を進めている過程で、温泉付きの現在の土地を借りられた。この土地の地主の宮嶋勤さんがご自分のルーツを調べたところ、忍者に関係していたことがわかったために、それにちなんで湧き出た温泉は忍者温泉と名付けられ、宮本さんの施設は忍者ホースクラブという名称になった。

 クラブ開設に向けて、宮本さんたちが草をむしったり、走路に砂を敷いたりして準備をしていた時に、1本の電話がかかってきた。馬を引き取ってほしいという相談だった。

「その時はまだ馬がいなかったですし、これから施設を使って行くのに馬がいないとダメやし、練習用に良いかなと言うことで、是非引き取らせてくださいと返事をしました」(宮本さん)

 やって来たのは、ギュスターヴクライだった。ギュスターヴクライは、秋華賞(GI)を勝ち、JC(GI)でも2着になった名牝ファビラスラフィンを母に持つ良血馬だが、阪神大賞典でオルフェーヴルを破ったことで一躍有名になった。いくらオルフェーヴルが逸走しかけたと言っても、持っている能力が高かったからこそ相手に土をつけることができたのだ。いよいよ本格化かと思われた4歳秋のアルゼンチン共和国杯では1番人気に推されていたが、最後の直線でいつもの伸びが見られず6着に敗退。レース後に右前浅屈腱不全断裂が判明し、競走能力喪失という診断が下っていた。

 あれから約2年。忍者ホースクラブで傷を癒したギュスターヴクライは、「ギュス君」と呼ばれて、休養に来た競走馬の調教パートナーを務めるほか、初心者向けの乗馬として、はたまた競技会の障害飛越競技にも出場するなど、幅広く活躍するまでになっている。

 忍者ホースクラブを訪問した10月3日には、ギュス君が調教のパートナーを務める現役の競走馬・ダンディーズムーン(牡3・栗東・中村均厩舎)が、神戸新聞杯(GII・15着)に出走したのちに丁度放牧に出てきた日でもあった。黒っぽいイケメンの馬と前述したが、そのイケメンこそがダンディーズムーンだ。切れ長の澄んだ瞳が魅力的なその馬は、春には未勝利、アザレア賞(3歳500万)と連勝し、京都新聞杯(GII・14着)にも駒を進めている。この日は「ダン」ちゃんと呼んで可愛がっているオーナーの田島大史さんも訪れていて、それこそダンちゃんに付きっきりだった。

 やがてダンちゃんとギュス君に馬装が始まった。ダンちゃんは夏の間北海道で過ごしたので、ギュス君とは久々の再会だ。馬装が終わり、2頭が馬場に出てくる。

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▲オーナーの田島大史さんが見守る中、トラックに出たダンディーズムーン(内)とギュスターヴクライ(外)


 初めはダクを踏み、少しずつペースを上げていく。やがてキャンターになった。競走能力喪失という重傷だったギュスターヴクライが今、目の前で走っている。しかも現役の競走馬と一緒に。知らなければ、そんな大怪我を負った馬とは誰もわからないだろう。それくらい自然に走っている。そしてこの若い競走馬のパートナーを自分が務めているのだということを、ギュス君はちゃんと理解しているように見えた。

 人にもそれぞれ生まれてきた意味、役割があると言われるけれど、後輩と一緒に真剣な眼差しでコースを回るギュスターヴクライの姿を目の当たりにして、馬にもそれぞれ役割があるのだと、強く感じたのだった。

 忍者ホースクラブには、ギュスターヴクライをはじめ、重賞勝ちの実績がある馬が4頭いる。予後不良になっても不思議ではなかったメルシーエイタイムを引き取ったこともあり、すっかり引退馬専門の牧場のように勘違いされているが、決してそうではない。それぞれの馬の個性を重んじながら、競走馬の育成や乗馬の調教を行っている。むしろこちらが本業なのだ。そしてギュスターヴクライは、本業の働き手として、忍者ホースクラブにはなくてはならない、重要な存在となっていた。(つづく)


(取材・文:佐々木祥恵、写真:佐々木祥恵、編集部)

※忍者ホースクラブは見学可です。訪問される前には、事前に連絡をしてください。

忍者ホースクラブ
滋賀県東近江市瓜生津町745-1
電話 0748-23-7822
メールでのお問い合わせはHP内のメールフォームからお願いします。
http://biwako-ninja-hc.com/

忍者ホースクラブのブログ
http://blog.livedoor.jp/ninjyahc/

メルシーエイタイム他を支援したい方はこちらへどうぞ。
お疲れお馬の支援本部
http://sweet-love-horses.jimdo.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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