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シルバーチャームが種牡馬を引退、アメリカで余生を過ごすことに

  • 2014年10月29日(水) 12時00分


JBBAスタリオンに移籍する際、種牡馬を引退時はスリーチムニーズファームに返すという条項が契約に盛り込まれていたシルバーチャーム

 日本で供用されていたシルバーチャーム(20歳)が種牡馬を引退し、生国に帰りかつての繋養先であるケンタッキーのスリーチムニーズファームで余生を過ごすことになった。

 1994年2月22日にメアリー・ルー・ウートン女史の生産馬としてフロリダで生まれたシルバーチャーム(父シルヴァーバック)。母ボニーズポーカーは現役時代11勝、祖母ワットアサプライズは7勝、3代母ミリタントミスは9勝と、代々丈夫に走ってたくさんの勝ち星を挙げて来た家系ではあるが、母にも祖母にも3代母にも重賞勝ちはおろか特別勝ちもなく、近親にもこれといった活躍馬がいないファミリーで、ありていに言えば血統的には脆弱な馬である。

 95年だから、シルバーチャームが生まれた次の年の秋、同馬の母ボニーズポーカーがシルバーチャームと同じシルヴァーバックを受胎した状態でOBSオクトーバーセールに上場され、わずか4200ドルで売却されていることからも、当時のこの馬の血統的価値が推しはかれようというものだ。

 肝心のシルバーチャームはと言えば、1歳夏にOBSオーガストセールに上場され、ピンフッカーのハートリー・デレンゾに1万6500ドルで購買されている。そして2歳の春、OBSエイプリルセールという、現在でこそマーケットとしての格を上げているものの、当時ははっきり言って三流の評価だった市場に上場され、シルバーチャームは10万ドルでカナダの馬主C・J・グレイ氏に購買されている。

 そこから先、どのような事情があったかは定かではないが、OBSエイプリルセールの直後に、調教師ボブ・バファートの仲介で、馬主のロバート・ルイス氏が庭先売買でシルバーチャームを入手。その時の価格は、8万ドルとも8万5千ドルとも言われている。

 バファート厩舎の一員となったシルバーチャームは、2歳8月にデビュー。2戦目で初勝利を挙げると、次走はいきなり夏のデルマー開催における2歳牡馬チャンピオン決定戦であるG2デルマーフューチュリティ(d7F)に挑み、そこまで無敗で来ていた大本命のスイスヨーデラーらを相手に快勝。初重賞を手にするとともに、シルバーチャームの下克上物語が幕を切って落としたのだった。

 3歳春にはG1ケンタッキーダービーとG1プリークネスSの2冠を達成。3冠がかかったG1ベルモントSではタッチゴールドの3/4馬身差2着に敗れ、わずかのところで歴史的快挙を逸してしまったが、この年の全米3歳牡馬チャンピオンに選出されている。

 4歳時のシルバーチャームは更に充実し、9戦して6勝。ドバイに遠征して勝利したG1ドバイワールドCを含めて、6勝は全て重賞競走であった。ただし、シーズン後半の大一番であるG1BCクラシックではオウサムアゲインの2着に敗れ、年度表彰では無冠に終わっている。

 5歳時も現役に残ったが、2度目の参戦となったG1ドバイワールドCでレース中に鼻出血を発症して6着に敗れたのを発端に、全盛期のパフォーマンスが見られなくなり、このシーズンを最後に現役を退いている。

 通算24戦12勝、通算収得賞金694万ドルを記録したシルバーチャームは、2000年からケンタッキーのスリーチムニーズファームで種牡馬入りし、初年度の種付け料は2万5千ドルと設定された。

 同じ年に種牡馬入りしたフレッシュマンサイヤーでは、G1キングズビショップS(d7F)を制していたフォレストリー(父ストームキャット)の種付け料が最も高くて5万ドル。G2ストゥルブS(d9F)などを制していたものの、G1未勝利のイヴェントオヴジヤーが4万ドル。2歳年下のケンタッキーダービー馬カリズマティックと、ストラヴィンスキーが3万5千ドル。アータクスとエクスプロイットが3万ドルで、シルバーチャームの2万5千ドルはその下だった。競走能力の高さに比べるとかなり控えめな設定だったのは、やはり血統面での弱さが響いたのだろうか。そして、当時のアメリカ人ホースマンの、種牡馬シルバーチャームに対する低評価は、決して的外れなものではなかったことが後年実証された。

 初年度産駒から、G2サンフェリペS勝ち馬プリーチンアットザバーが、3年目の産駒からG2ランパートH勝ち馬スプリングワルツが出たものの、残念ながら父の面影を彷彿させるような産駒は出ないまま、2004年暮れに日本への売却が発表された。

 実はこの時、シルバーチャームの日本行きをおおいに惜しんだのが、北米の競馬ファンであった。

 記事の前段で述べたような、下層階層から伸し上がって成功を収めた、アメリカ人好みのサクセスストーリーを体現したのがシルバーチャームだ。非常にファンが多く、現役引退後も繋養先のスリーチムニーズファームまで会いに来るファンが後を絶たなかったという。

 そういう経緯があって、JRAに購買されて静内のJBBAスタリオンに移籍する際には、シルバーチャームが種牡馬を引退した暁には、スリーチムニーズファームに返すという条項が、契約に盛り込まれていたのであった。

 その後も、スリーチムニーズファームからは定期的に担当者が来日し、シルバーチャームの現況をカメラに収め、レポートとともにスリーチムニーズファームのウェブサイトに掲載されていた。

 残念ながら、日本でも目立った産駒を残すことが出来なかったシルバーチャーム。今年の春も9頭に種付けを行なったが、来春には21歳という年齢を迎えることから、JBBAもこのあたりが潮時と判断したのであろう。種牡馬引退が決まり、当初の契約通り、ケンタッキーに帰ることになったものだ。

 11月27日に成田を発つ便での出国が予定されているシルバーチャーム。現役時代の雄姿を忘れずにいるであろう、たくさんの競馬ファンが待っているケンタッキーで、幸福な余生を送ってもらいたいものである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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