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きっかけは地方新聞の記事 馬主になった女性と愛馬の物語【動画有り】

  • 2014年11月25日(火) 18時00分
(前回のつづき)

第二のストーリー

▲今週は高知で活躍したエイシンドーサンの物語


オーナーになる決意『ドーサンと私』


 この4月に淡路島でミヤマリージェントの取材をした際、お世話になった角山喜信さんに教えていただいたのが、徳島県の山間にあるクラブコルツで暮らすエイシンドーサン(セン20)の存在だった。クラブコルツの代表・井村泰信さんによると、大阪府在住の珠姫さんという方が半自馬の形でドーサンのオーナーになっているという。必ず月に1度、珠姫さん一家が大阪から泊りがけでドーサンに会いに来るという話を聞き、その方を虜にしたドーサンに会いたくて、徳島県まで取材に来たと言っても過言ではない。

 クラブコルツには、前回登場した国体優勝のピサノガッシュ(セン16)や、競走馬時代に新潟ジャンプS(J・GIII)で3着になっているグランドハヤブサ(セン21)もいる。グランドハヤブサも、ピサノガッシュに負けず劣らず馬房の中で元気一杯で、写真撮影に苦労する。この日、コルツまで案内してくださった角山さんが、見かねて餌を差し出してくれ、やっとシャッターチャンスが訪れた。

第二のストーリー

▲グランドハヤブサと角山喜信さん



 珠姫さんによると「普段は大人しくてあまり動かない」というエイシンドーサンまで、この日は少しソワソワしている。こちらも撮影に苦労し、何とか数枚だけまともな写真が撮れた。

 ドーサンの馬主である珠姫さんのホームページ『どおさんの馬房』で、ドーサンとの出会いや馬主となる経緯を読ませてもらったが、その内容は心が震えるものだった。徳島から戻った私は、このコラムを書くにあたり、再度ホームページ内の記事を熟読し、珠姫さんと連絡を取った。

 1994年にアメリカで生まれたエイシンドーサンは、1997年に中央競馬でデビューした。途中で栗東・坪正直厩舎から美浦・畠山吉宏厩舎に転厩し、中央時代は25戦して3勝の成績を挙げている。高知に移籍したのは2001年。そこからドーサンの活躍が始まり、移籍2戦目には珊瑚冠賞(2001年11月)、2002年8月には建依別賞という重賞レースに優勝している。

 当時、高知競馬で走っていたナムラコクオーの大ファンだった珠姫さんがエイシンドーサンの名を知ったのは、高知新聞が高知競馬に密着取材して連載した「『高知競馬』という仕事」という記事をまとめたサイトだった。「高知」と書かれている幌付きの小さなトラックで遠征の旅に出るドーサンと竹内昭利調教師…、笠松や佐賀に遠征してレースに挑んでは惨敗するドーサンの記事を涙ながらに何度も読むうちに、ドーサンの名が珠姫さんの胸に刻みつけられた。高知競馬の公式サイトに「ドーサン、頑張れ」と何度か書き込みもした。

 するとある日、サイトの管理人からメールが届いた。ドーサンを応援してくれるお礼を珠姫さんに伝えてほしいとの竹内調教師からのメッセージだった。当時は連敗記録で人気者となったハルウララがブームを巻き起こしていた。その最中に、ドーサンを応援するメッセージを書き込んでくれたことが、竹内調教師には嬉しかったようだ。それがきっかけで竹内調教師と繋がりができた。しかし情が移ることを懸念した珠姫さんは、ドーサンにはしばらく会わずに時を過ごした。

 ところが事態は、急変する。2004年3月いっぱいで、竹内調教師が厩舎を畳むこととなり、同時にドーサンの引退も決まったのだ。馬房で初めて顔を合わせたのは、ドーサンの引退レースの2日前だった。

 ドーサンをこよなく愛した竹内調教師からは、知人が経営する徳島の乗馬クラブに引き取ってもらうことになったと報告を受けていた。しかし一緒にそのクラブに移動する別の馬は気に入ってくれたものの、ドーサンは「僕の夢を叶えてくれた馬ですけん」と竹内調教師がお願いする形での引き取りだったと併せ聞いて、珠姫さんの胸に不安がよぎる。もしかすると、乗馬に向かなくて出されてしまうかもしれない。処分されていくドーサンの姿が目に浮かんでは消えた。

 自分が引き取るにしても、家のローン、医療費がかかる病弱な自分、仕事も辞めるかもしれない、夫にも迷惑をかけるだろう…、頭の中を様々な考えがグルグルと回った。そして「高知競馬の仕事」という記事で取り上げられたあの馬がこの世にはいない、そんなことが許されるのか、ドーサンを心配する気持ちだけあればそれで良いのか、何とかしたければまず自分が動くべきではないのかと、珠姫さんは自問自答し続ける。

 珠姫さんのホームページの中にある「ドーサンと私」で、彼女の葛藤するこの場面を読み、とても理解ができたし、どうしようもなく胸がざわついた。経済的に不安定なのに安易に馬を助けると言ってはいけないという思いと、人間のために頑張ってきた馬を安心できる場所で過ごさせてやりたいという思いの狭間で、自分もいつも揺れているからだ。

 激しい葛藤の中で、珠姫さんは「自分が出来ることを全力でこの子に注いてやればいいのだ。それでドーサンの命が助かり、更にちょっと彼が幸せを感じればいいのだ」という境地にたどり着く。ドーサンに小さな手を差し伸ばそうと心に決めた珠姫さんは、もしもの時は引き取るという内容の手紙を持って、徳島県の乗馬クラブに赴いた。そこがクラブコルツだった。

自分のできることをやればいい


 コルツで再会したドーサンは元気だった。クッションが良くて乗り心地は良いし、無理に走らせようとしなければ、大人しくて初心者でも乗れた。しかし、駈歩をしない。ムチを入れると尻っぱねして反抗する。競走馬時代も癖馬と言われていたらしく、成績にもムラがあった。井村さんが竹内元調教師にどうしたら動くのか聞いたら「動かんのよ」という答えが返ってきたという。誰もが乗れたり、障害が飛べるような優秀な乗馬への道は、前途多難のようだった。

 この先を心配する珠姫さんに、井村さんから「クラブの馬としてお客さんや会員さんが乗っても構わないという条件付きで、珠姫さんが飼育費の一部を負担する。そのかわり勝手によそには出さない」という提案がなされた。ドーサンは当時10歳。養老牧場で草を食べて過ごすにはまだ若い。仕事があった方が良いと珠姫さんも思っていた。

 願ってもない提案に、ご主人とも相談の上、快諾した。珠姫さんのドーサンを愛する気持ちが、馬思いの井村さんの心にも響いたのだろう。珠姫さんの「自分のできることをやればいいのだ」という勇気が、状況を動かしたのだ。ドーサンの行く末の心配がなくなり、珠姫さんの心は晴れやかだった。

 ドーサンが珠姫さん一家のかけがえのない家族となって約10年。ドーサンも20歳になった。珠姫さん一家は、ドーサンの馬主になってから、ほぼ毎月、片道5時間かけて大阪から徳島まで通っている。途中、スーパーマーケットに寄って、ドーサンが好みそうなものをたくさん買い込む。

「歯が部分的にないので、水分が多くて柔らかい梨やリンゴですね。梨の季節が終わると、リンゴです。王林かつがるを持っていきます」(珠姫さん)

第二のストーリー

▲珠姫さんの愛情をたっぷり受けて、穏やかに暮らすエイシンドーサン


 そんなドーサンは、夏に弱い。今年の夏も体調を崩して食欲がなく、点滴を3回も受けたが、その時はスイカなら食べていたという。涼しくなってすっかり元気を取り戻し、10月には毎年恒例のお祭りにも参加した。

「女の子が好きで、年下のナナちゃんや、年上のフローネと一緒に放牧に出ていると、2頭を追いかけまわしてますよ(笑)。でも私が行くと、その2頭を押しのけてこちらに来るんです」(珠姫さん)。ドーサンは、珠姫さんがオーナーだということをちゃんとわかっていて、大好きなはずの牝馬を押しのけてでもやって来るのだ。「可愛くて仕方ないです」という珠姫さんの一言からは、ドーサンへの深い愛情が伝わってきた。

「以前、高知競馬でドーサンの名前でレースに協賛をした時(『エイシンドーサンメモリアル特別』)に、「『高知競馬』という仕事」を書いた記者の方が会いに来てくださったので、ドーサンは元気にしていますと話をしたら、ものすごく喜んでくれました。あのような気性だから、乗馬には向かないと思っていたみたいですね」(珠姫さん)

 高知新聞の記者は、ドーサンはもうこの世にはいないかもしれないと半ば諦めていたのだろう。このエピソードからも、引退した競走馬が命を繋いでいくことの難しさの一端を垣間見たような気がした。最初は大きな期待がかけられていたはずの競走馬も、勝てなければ馬の価値はどんどん下がっていく。生き延びられる馬はほんの一握りで、ほとんどが乗馬と言う名の処分が待っている。

 人間のために命を賭けて頑張って走り続けても、報われない馬たち。馬の命の重みとは、何なのだろうか。珠姫さんと話をし、エイシンドーサンの物語を書きながら、考えを巡らせている。命の重みは同じはずだ。けれども救えない命が多過ぎる。厳しい現実に立ちすくみそうになるが、そんな時「自分が出来ることを全力でこの子に注いてやればいいのだ」という珠姫さんの言葉は、勇気を与えてくれる。少しずつでもできることをする。厳しい現実を乗り越えるには、それしかないように思う。

「少し太ったので、この間ドーサンをお散歩させたら、止まるんですよね(笑)。引っ張るんだけど、止まるんですよ」(珠姫さん)。11月半ば、ドーサンに会った時の出来事を嬉しそうに話をしてくれた。ムラ駈けだった競走馬時代、乗馬になってからも駈歩をしたがらない頑固な性格、嫌なものは嫌だと意思表示をするドーサンらしさは、相変わらずのようだ。


「ヤンチャっぽい面もありますが、甘えっ子ですよ。現役時代のドーサンの差し脚はカッコ良かったです。1番後ろから進んで最後は何頭もごぼう抜きにしてくるんです。多分、走るのが面倒くさくて、最後にそろそろ本気出さなきゃという感じで伸びてくるんだと思うんですけど。変わり者なのだと思います」(珠姫さん)

 ドーサンの話をする珠姫さんは、本当に楽しそうだ。電話の向こうからそれが伝わってきて、こちらも幸せな気持ちになった。「12月半ばにまた会いに行きます」(珠姫さん)。ドーサンもまた、クリスマスプレゼントをたくさん持った珠姫さん一家が、コルツに訪れるの日を心待ちにしていることだろう。(了)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)

観光乗馬 クラブコルツ
徳島県那賀郡那賀町谷内字中分103
電話 0884-62-3434
HP http://www.c-colts.com/

珠姫さんのホームページ
「どおさんの馬房」
http://www7a.biglobe.ne.jp/~eishindosan/index.htm

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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