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【祐一History vol.26】『自分の目に映る“ジョッキー・武豊像”』

  • 2015年02月24日(火) 18時01分
祐言実行

▲福永祐一から見た武豊と、そこから見える今の自分とは


豊さんに「負けたくない」


 関西リーディングという形ですぐに結果が現れたことで、コーチのメソッドが自分に合っていること、方向性として間違っていないことに確信を持ち、このまま続けていこうと決心することができた。馬の巡り合わせだけではなく、以前より馬を速く走らせることができている手応えもあった。

 とはいえこの年、自分が関西リーディングを獲れたのは、9月から11月にかけての岩田くんの休養や、なにより豊さんの4か月にわたる戦線離脱が大きく影響していたことは否めない。

 そういえば、豊さんへの憧れから始まった自分のジョッキー人生。半生を振り返るなかで、肝心の豊さんという存在についてまだ触れていない。今回はいったん時間を止めて、自分の目に映る“ジョッキー・武豊像”、そして“武豊像”を通した自分の今について、少々書きたいと思う。

 今、改めて思うのは、やはり“武豊”というジョッキーは、偉大であるということだ。関西リーディング、全国リーディング、MVJと獲ることができたけれど、自分がどれだけ技術を高めていったところで、到達できないところにあの人はいる。自分のなかではいつまで経ってもスーパースターで、実際、あんなに華があって、存在感のある人はいない。それはもう、次元が違うといってもいいくらいだ。

 技術的に優れているのはもちろん、豊さんのセルフプロデュース力は半端ではない。「自分がどうしたいか」ではなく、「“武豊”としてどうするべきか」を常に考え、それを実践してきた人だと思う。

 奇しくも、先月の対談で四位さんが「祐一はセルフプロデュースがうまい」と言ってくれたけれど、自分からすればとんでもない。どちらかといえば、自分は思ったことをポンと口に出してしまうほうだし、仮に自分を客観視できる目を持っているとしても、豊さんの足元にも及ばない。豊さんは、自分を客観視したうえで、さらに“武豊”というブランドをきっちり貫くことができる稀有な人。とにかくプロフェッショナルなのだ。

 さらに豊さんがすごいのは、これだけの結果を出してきたにも関わらず、向上心と野心を決して失わないこと。思えば競馬学校時代、岡部さんや豊さんの乗り方は、教科書に載ってた教材そのものだったし、実際そう教えられてきた。でも、豊さんのフォームは、

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祐言実行とは
2013年にJRA賞最多勝利騎手に輝き、日本競馬界を牽引する福永祐一。まだまだ戦の途中ではあるが、有言実行を体現してきた彼には語り継ぐべきことがある。ジョッキー目線のレース回顧『ユーイチの眼』や『今月の喜怒哀楽』『ユーザー質問』など、盛りだくさんの内容をお届け。

1976年12月9日、滋賀県生まれ。1996年に北橋修二厩舎からデビュー。初日に2連勝を飾り、JRA賞最多勝利新人騎手に輝く。1999年、プリモディーネの桜花賞でGI初勝利。2005年、シーザリオで日米オークス優勝。2013年、JRA賞最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、初代MVJを獲得。2014年のドバイDFをジャスタウェイで優勝。

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