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裁決の新ルール開始から2年 変更の背景と運用の実情とは

  • 2015年02月23日(月) 18時01分
教えてノモケン

▲勝負のかかる直線、公正かつ明瞭な運用を目指す裁決問題の実情に迫る


どんな競技でも、審判は損な役回りだ。うまくやって当然。問題が起きれば全責任を背負う。競馬の場合、即時の判断を求められない半面、馬券購入者の懐に影響を与えるという負担がある。売り上げが巨大な日本では、審判への不満が間欠的に提起されてきた。こうした中、国際交流の活発化を受けて、競馬施行各国は「競走当日のルールの調和」に向けた作業を進め、日本も一昨年から裁決のルールを大幅に変更。既に2年余りが過ぎた。変更の背景と運用の実情を点検してみる。

発端は米国 提起したのは日本


 作業が始まった発端は、米カリフォルニア州ゴールデンゲートフィールズ競馬場で03年に行われたあるレース後の採決だった。入線は(1)A(2)B(3)Cの順。だが、AはBを4コーナーで走行妨害し、直線ではBがCを妨害した。2件とも降着処分の対象となるもので、本来なら「(1)C(2)B(3)A」となるべきだが、実際の着順はなぜか「(1)A(2)C(3)B」とされた。

 この件は米国内でさほど問題とはならなかったが、後に国際競馬統括機関連盟(IFHA)などの場で、日本が問題提起した。国際競走が広がる中で、「ゲートから入線までは極力、同じルールで行われるべき」との問題意識だった。その後、07年1月にアジア競馬連盟(ARF)ドバイ総会で国際裁決委員会議が初開催され、同年12月にはIFHAに新設された専門部会の初会合が行われた。

 議論が進むとともに、裁決の方向性に関して、大きな2つの流れの存在が明確化した。(1)「入線順位=馬の能力」と捕らえ、その結果を極力、尊重するという考え方と、(2)「反則は反則」と考え、被害馬と加害馬の力関係に関係なく罰を与える――の2つである。後に、(1)を「カテゴリー1」、(2)を「カテゴリー2」と呼ぶようになった。

 07年時点で、英国、豪州、香港などがカテゴリー1で、カテゴリー2は日本と米国、フランスなど少数派だった。以前は英国や豪州もカテゴリー2に属していたが、徐々に変化したという。競走結果はセリ名簿に反映される。主要レースで上位に入ると、レースの格に応じて馬名の活字が大きくなる(ブラックタイプ)。遅れて入線した馬が先の馬より大きな活字となる不都合が、問題視され始めた結果のようだ。

「失格のみ」から降着多発へ


 歴史的に見ると、日本は91年の降着制度導入まで、「着順変更=失格」だった。70年代には判定を巡って入場者の一部が騒ぐ事態もあった。83年の日本ダービーでは、後の3冠馬ミスターシービーが他馬の進路に影響を与え、吉永正人騎手(故人)が開催日4日間の騎乗停止処分を受けた。降着制度で、こうしたルールの不備は解消され、導入後は91、94年に降着処分件数が37。年間競走数の1%を超えた。

 その後、96〜05年は比較的少なめに推移したが、06、08年は再び37件に増加。失格も01、03、07年に各10回を記録した。数字はどこまでも主観の積み重ねで、傾向を読み取るのは難しいが、2000年代に入って失格・降着が増えた理由を、JRAの中村嘉宏・審判部長は「不服申立の増加も一因」と説明する。

 不服申立制度は降着制度から3年遅れて94年に新設されたが、可否を審議するのが当該判定を下した人とほぼ同質という事情もあり、当初は休眠状態だった。だが、00年に坪正直調教師(当時)が、札幌での降着処分の取り消しを求めたのが第1号となり、12年までに8件を数えた。レース後の異議申し立ても2桁を超えた。「こうした流れを受け、判定が厳しくなった面はある」というのだ。

 ともかく、失格以外に着順が動かない状況は、ラフプレーへの抑止力が乏しい面があったが、降着制度の導入で状況は変わった。後に外国人や地方騎手の参戦が広がると、「中央競馬はクリーン」という評価が定着していった。競馬学校騎手課程の教育方針とも相まって、良く言えば紳士的、悪く言えば厳しさに欠ける競走文化が根付いた。外国人や地方騎手はこの文化の弱点を突いた面もある。

日本もカテゴリー1へ移行


 カテゴリー2の考え方に関し、中村審判部長は「行き詰まりを感じていた」と話す。野球のホームランや、テニスのイン・アウトの判定は機械の力を借りることも可能で、「正解がある」が、競馬の判定には正解がない。「妨害がなければ着順が変わっていたかどうか」の判断は主観の領域で、主観的な判断で入線順をどこまで覆すべきかは悩ましい。

 10年のジャパンCでは、1位入線したブエナビスタがローズキングダムの進路を妨害したとして2着に降着となった。当時、2位ローズキングダムと3位ヴィクトワールピサの着差は鼻。ゴール寸前で逆転した。順位が逆ならヴィクトワールピサが“漁夫の利”で優勝するところだった。従来の制度が抱える矛盾点も、移行を後押しする要素として働いた。

 もう一つの問題は実は

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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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