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後藤浩輝騎手の死に思う

  • 2015年02月28日(土) 12時00分


 こんなときでも、いや、こんなときだからこそ原稿を書かなければならないのだから、つくづく因果な商売だと思う。

 ニュースで知ってから3時間ほど経つのだが、まだ事実として受け入れることができないし、信じられないし、信じたくない。

 以下に、2月27日(金)午前11時41分にアップされた「スポーツ報知」公式サイトの記事の前半部分を引用する。

<JRAのトップジョッキー、後藤浩輝騎手(40)=美浦・フリー=が27日未明、自宅で死亡した。27日の明け方、茨城県内の自宅で首を吊っているところを、家族が発見したという。

 突然の衝撃だった。度重なる故障から何度も這い上がってきた同騎手。前日まで栃木県内の病院でリハビリを行い、帰宅したばかりだった。インターネット上の交流サイト「フェイスブック」では、死亡が確認される24時間以内に3度、笑顔の写真入りで楽しそうな近況をアップしており、悩みをほのめかすようなことは一切なかった>

 私の知っている「後藤浩輝」と「自殺」「自死」という言葉がしばらく結びつかなかった。

 ――なぜだ、何かの間違いじゃないか、嘘だろう……。

 何度も同じ思いが浮かんでは消えた。

 嘘ではないとわかっていても、親しくしているスポーツ報知の椎名竜大記者に電話をして、「本当なんだよね……」と訊いた。

「ぼくも信じられない思いでしたが、美浦にいる記者によると、事実です」と椎名記者。

 こういうとき、人間という生き物の弱さを思い知らされる。後藤騎手ではなく、その死を受け入れることに怯えている自分の弱さ、である。

 日時を決めていたわけではないが、彼とはいくつか約束をしていた。

 昨年の2月の初め、私は後藤騎手と、『盲導犬クイールの一生』などの著者として知られる石黒謙吾さんと3人で食事をした。後藤騎手が、石黒さんの著書を数冊読んでいたほか、「おすぎとジーコ」「カヌー姉妹」といったダジャレを石黒さんが筆書きした掛け軸を買っているなどファンだったので、会うことになった(このあたりの経緯は前にも本稿に記した)。

 その後、「また石黒さんと3人でメシ会をやりましょうね」と話し、私はずっと楽しみにしていた。

 暮れには中山競馬場で拙著『虹の断片』をわたし、「時間のあるときにでも読んで、感想を聞かせてください」「わかりました」といったやりとりもあった。
 約束はお預けになってしまった。

 私の贔屓のスマイルジャックと、彼の手綱で2010年の安田記念を勝ち、スマイルを3着に下したショウワモダンの話を、もっとしたかった。私がスマイルかわいさのあまり、「あのときは負けたけど、競走能力としてはスマイルのほうが上だったのでは……」と、主戦騎手に対して失礼なことを口走ってしまったら、「ぼくもそう思います。ただ、モダンは雨が大好きで、雨降りだったら本当に強かったですよ」と笑い、こうつづけた。「だから、あの馬が馬事公苑の馬房で事故死したときも、雨が降っていたと聞いて納得しました。雨音を聞いて嬉しくなって、外を見ようとして厩栓棒の間に首が挟まったんでしょうね。あの馬らしいなと思いました」

 その話を一緒に聞いていた石黒謙吾さんに電話したら、知人から連絡があったらしく、後藤騎手の死を知っていた。

 まだ気持ちに整理がつかず、とりとめのない文章になることをお許し願いたい。

 人の死というのは、周囲を立ち止まらせ、時間や思考に区切りをつける。

 そして、何か大切なことを思い出したり、自分の来た道を振り返ったり、今後について考えるきっかけとなる。

 今回、後藤騎手は、私にどんな区切りをつけたのだろう。

 まず思い出したのは、同じように自死した知り合いのことだった。彼は私より少し年上の元アナウンサーだった。

 彼も、後藤騎手も、なぜ自死を選んだのか、私にはわからない。

 私は、大人が自死する理由や動機は、「自死しようと思ったこと」だと考えている。子どもがいじめを苦にして……というのとは異なり、だからこそ大人なのだ、と。子どもの「いじめ」に相当するものがあったとしても、それは「背景」ととらえるべきだと思っている。

 それでも「なぜ」と思ってしまう私は、やはり弱いのだと思う。

 悲しいし、寂しい。時間がこの喪失感を癒す薬になってくれるだろうか。

 後藤騎手は1992年、美浦・伊藤正徳厩舎所属としてデビューした。これまでJRAで1447勝、重賞53勝を挙げている。2002年にアドマイコジーンで安田記念を勝ちJRA・GIを初制覇。交流競走を含めGIを8勝している。日本を代表する騎手のひとりだった。

 2012年のNHKマイルカップで落馬し、頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷と診断されてから、休養と復帰を繰り返し、昨年11月に3度目の復帰を果たしたばかりだった。

 ファンとの交流イベントを企画したり、馬に乗ってプロ野球の始球式に登場したり、本や歌を出したり……と、エンターテイナーとしても一流だった。殴打事件などを起こしたこともあったが、徹夜で競馬場に並ぶファンにカイロを配ったりと、気持ちの優しい男だった。東日本大震災の被災地にもいち早く足を運んでいた。

 後藤浩輝騎手。あなたのことは忘れない。

 別れ方は残念だったが、本当にありがとう、と言いたい。

 やすらかに眠ってほしい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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