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君に会えてよかった

  • 2015年04月11日(土) 12時00分


 パドックの真ん中に、ショウワモダンで2010年の安田記念を制して右手を挙げる後藤浩輝騎手の写真が置かれた。その後ろに、彼の名を記した横断幕が7枚下げられ、大型スクリーンに「後藤浩輝騎手メモリアルセレモニー」の文字が浮かんだ。朝から降りつづいてた雨が、いくらか小降りになった。

4月5日、中山競馬場で後藤浩輝騎手のメモリアルセレモニーが行われた。


 4月5日、中山競馬場。最終レース終了後、2月27日に亡くなった後藤浩輝騎手の引退にともなうメモリアルセレモニーが、パドック内で行われた。

 冬のような寒さのなか、2000人ほどのファンがセレモニーに参列した。

 参列者が1分ほど黙祷を捧げたあと、スクリーンに後藤騎手の足跡を振り返る映像が流れた。

 関係者と遺族を代表し、まず師匠の伊藤正徳調教師が思い出を語った。

「私のところに来たときは坊主頭で、すごくかわいい子でした。うちの子供たちと一緒に公文をやったりと勉強の好きな子でしたね。『歌の上手い子しか弟子にとらない』と言っていたら、本当に歌の上手い子でした」

師匠の伊藤正徳調教師が生前の思い出を語った。


 伊藤師からも、ほかの参列者からも笑みがこぼれた。司会者に「思い出深い勝利は?」と問われると、こう答えた。

「ローエングリンの中山記念です。ただ、うちの馬ではあまり勝っていないんです。うちの馬に乗るとなぜか下手に乗って、負けてばかりいましたね」

 たくさんのファンが、泣きながら笑っていた。伊藤師はこうつづけた。

「彼は、私の子供です。こんなにいい子はいない。記録をいっぱい残している騎手はいますが、記憶に残る騎手だった。師匠冥利に尽きます」

 おそらく伊藤師は、後藤騎手が存命だったとしても、同じことを言っただろう。

 師の顔を見ていると、その数時間前のやりとりが思い出された。

 私はこの日、大阪杯を見に阪神競馬場に行く予定だったのだが、週中に伊藤師に訊ねたところ、このセレモニーが後藤騎手を送る最後の機会になるとのことだったので、予定を変更して中山に来た。

 中山競馬場に着くと、まずセンタープラザを目指した。スタンドからそこにつながる通路に、ファンから贈られた、彼の写真などがたくさん並べられていた。

 センタープラザには大きな献花台があり、GIを勝った直後の後藤騎手のパネルが5枚、こちらを向いていた。

センタープラザには献花台が設置され、多くのファンが花を手向けた。


 献花して手を合わせ、目をとじた。

 ――そうか。騎手・後藤浩輝は本当にいなくなってしまったのか。

 彼の不在が、このときの風の冷たさと同じように、自分にはどうにもできない現実として実感された。

 メッセージカードにメッセージを書き、記帳してから、脇に「関係者受付」があることに気がついた。

 こうして送りに来たことを、できるだけきちんと彼自身に伝えたい気持ちだったので、そこにも住所と名前を書き、関係を記す欄の「報道」と「友人」の両方にチェックを入れた。

 そのとき、ポンと背中を叩かれた。伊藤調教師だった。

「きょうは来てくれてありがとう」

「はい」と答えながら、きょうのセレモニーはみんなで一緒に悲しむものではなく、賑やかなことが好きだった彼の思い出を共有するためもので、だから「ありがとう」なのだと思った――。

 セレモニーでは、伊藤師につづいて、競馬学校騎手課程で同期だった、同校の小林淳一教官にマイクが向けられた。

「騎手として妥協を許さず、不可能を可能にしてきた男だと思います。大きな怪我を2度も克服した姿を見て、あたらためてすごいと思いました。1度目の怪我のとき、リハビリとして競馬学校の生徒と一緒に乗ってもらったのですが、そのとき生徒たちの後藤を見る目が尊敬の目で、すごく刺激になっていた。偉大なジョッキーでした」

 後輩の三浦皇成騎手はこう語った。

「公私ともにお世話になった先輩で、騎手としても人としても見習うことが多く、ずっと尊敬していました。イギリスに行ったときも、つらいなか精神面でも支えてくれて、感謝してもし切れないですね。後藤さんはファンの方々に自分のすべてを見せていたと思うし、ファンあっての競馬というのを一番意識していたと思います」

 つづいて、全国の3万415名から寄せられた記帳、メッセージが、後藤騎手の両親と麻利絵夫人にわたされた。

麻利絵夫人が、集まった人々へ感謝の気持ちを述べた。


 麻利絵夫人は、目に涙を浮かべ、こう話した。

「本日は、主人である後藤浩輝のために、多くのみなさまからメッセージをいただき、誠にありがとうございます。こんなに多くの方々に主人は愛され、支えられてきたのだとあらためて感じました。たび重なる怪我から復帰できたのも、多くの方々の応援の声があったからこそだと思います。怪我をしたままではなく、必ず競馬場に戻って、ファンのみなさまの前で引退したいと言っていました。彼の望みでもあった引退セレモニーをひらいていただきまして、ありがとうございました。みなさまの胸のなかで騎手・後藤浩輝をいつまでも輝かせてあげてください」

 麻利絵さんが話し終えたときも、母の聡子さんが思い出と周囲への感謝の気持ちを語り終えたときも、パドックはあたたかな拍手につつまれた。

 最後に、この日中山で騎乗していた20人ほどの騎手が出てきて、後藤騎手のパネルを囲んで記念撮影し、そして、そのパネルを胴上げするようにして、仲間を送り出した。

 パネルをどんなふうに胴上げすべきか騎手たちが戸惑っていると、場内から笑いが起きた。

後藤騎手のパネルを胴上げした騎手仲間。笑顔と拍手で送り出した。


 騎手たちにも笑顔があり、拍手で「お疲れさま」とねぎらっていた。

 天国の後藤騎手も、きっと喜んでいるだろう。

 ファンであり、取材者であり、友人でもあった私は、

 ――このセレモニーで彼にきちんとお別れを言いたい。

 と思っていたと同時に、自分の気持ちに区切りをつけたいと思っていた。

 騎手・後藤浩輝がいない競馬を、明日からきちんと受け入れるための区切りだ。そうして気持ちに区切りをつけるには、さまざまな事情を「納得」することも必要なので難しいのだが、人の心のなかを見ることはできないのだし、納得するかしないかは、彼ではなく、こちら側の問題だ。

 彼は、死に方も生き方のうちだと考えたのかもしれない。が、それは彼でなければわからない……と、堂々巡りをするばかりだったのだが、不思議なもので、セレモニーに参列して形式上の区切りをつけたことで、納得するしないとは別に、「騎手・後藤浩輝のいない競馬」を受け入れることが、どうにかできそうな気がしてきた。

 セレモニーというのは、そうして残された者たちの気持ちを整理するために行われるものなのかもしれない。

 彼へのメッセージカードに何を書いたか正確には覚えていない。が、こう書いたことだけは覚えている。

 君に会えてよかった。ありがとう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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