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応援していた馬、携わった馬に会える喜び ―引退名馬繋養展示事業

  • 2015年04月14日(火) 18時01分
(つづき)

第二のストーリー

▲今週はヘッドライナー(左)ら3頭のストーリー


今でも“きつさ”健在、ヘッドライナー


 高知県にある養老馬の牧場「土佐黒潮牧場」には、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルが実施している「引退名馬繋養展示事業」の助成を受けて暮らしている馬がいる。2012年(当時は軽種馬育成調教センターが管轄)には助成を受けられる年齢が14歳以上に引き上げられたが、2015年度からは10歳以上と見直しがされ、それにより土佐黒潮牧場でもアドマイヤスバル(牡12)、オースミダイドウ(牡11)、ヘッドライナー(セン11)、マンハッタンスカイ(セン11)、フィールドルージュ(セン13)の5頭が新たに助成対象となり、現在は計10頭の馬たちが引退名馬として繋養されている。

 前回紹介したアドマイヤスバル、オースミダイドウに続いて、2012年に土佐黒潮牧場に仲間入りしたのが、2010年のCBC賞(GIII)を逃げ切ったヘッドライナーだ。2004年に北海道白老の社台コーポレーション白老ファームで生まれた同馬は、父サクラバクシンオー譲りの快速を生かして、スプリント路線を賑わせた。

「社台さんから連絡がありまして、ウチに来ることになりました」と土佐黒潮牧場の濱脇敬弘場長。2012年2月26日の阪急杯(GIII・15着)を最後にターフに別れを告げ、土佐黒潮牧場に到着したのが3月2日だった。

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▲短距離界で活躍したヘッドライナー


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▲無防備に横たわってお休み中


 ヘッドライナーといえば、肩のあたりに汗が白く浮き、口を割り気味に首を振って走る…いかにも激しそうな馬というイメージがあった。2007年4月の3歳未勝利戦でデビューしてからの戦歴を改めて眺めると、勝ったと思えば大敗が続くなど、成績が安定していない。

 さらに映像を見返してみても、逃げ馬なのにスタートがいまひとつで、騎手が押して押して、時には出ムチをくれてハナに立つパターンが多く、逃げ切る時もあれば、直線で馬群に飲み込まれる時もあるといった具合だ。その気性のせいなのか、4歳春までは牡だったのに、その年の夏の函館戦ではセンという表記になっていた。

「現役時代にセン馬になっていたこともあって、今でもきついところがありますよ。まあ持って生まれたその馬の本質は、去勢されていても変わらないと思うんですけどね」と、濱脇場長は現在のヘッドライナーの様子を教えてくれた。そして「走る馬特有の雰囲気がありますね」とも付け加えた。

 トレセンの取材時、パッと目についた馬の調教ゼッケンの番号を調べてみると、重賞勝ち馬だったりオープン馬だったということが多々あるが、それらの馬は、ただ歩いているだけなのに独特の雰囲気を醸し出していて、嫌でも目に飛び込んでくる。場長もその独特の雰囲気を、ヘッドライナーから感じ取っているのではないかと想像した。

種牡馬を経て入場したマンハッタンスカイ


 2013年7月5日には、マンハッタンスカイが北の大地から南国土佐に足を踏み入れた。2004年に新冠町のカミイスタッドに生まれた同馬は、同年の北海道セレクションセールで2,205万円で取引され、2006年7月にヒダカ・ブリーダーズ・ユニオンの所有馬として函館競馬場でデビューした。

 初勝利を挙げるまで11戦を要したものの、3歳秋には菊花賞(GI・15着)にも駒を進め、4歳時にオープン入りを果たすと、その年の11月には福島記念(GIII)で重賞勝ちを収めている。それ以降は重賞勝ちこそなかったものの、重賞の常連として8歳までコツコツと走り続けた。年齢別に見ると2歳時5戦0勝、3歳時13戦3勝、4歳時15戦2勝、5歳時15戦1勝、6歳時10戦1勝、7歳時7戦0勝、8歳時3戦0勝。地道に積み上げてきた成績は68戦7勝というものだった。

「ユニオンさんからウチに話があったのですが、この馬の血を残したいという思いもあったのでしょうね。北海道で種牡馬生活をした後に、こちらにやって来ました」(濱脇場長)

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▲北海道で種牡馬生活を経てやってきたマンハッタンスカイ


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▲馬房で見せるリラックス姿


 新ひだか町の岡田牧場で種牡馬入りした同馬だが、当初から種牡馬としての供用は1シーズン限りと決まっていたという。2013年の種付け頭数は3頭で、牡1頭、牝2頭の計3頭が岡田牧場で生まれている。子供たちは明け1歳。来年の無事デビューを祈りたい。

 土佐黒潮牧場では唯一、種牡馬経験のあるマンハッタンスカイは、入場前に去勢手術を施されてから第三の馬生を歩み出した。

「1度種牡馬を経験するとうるさくなる馬もいますし、セン馬になってからウチに来ましたが、人懐っこくて大人しく、とても扱いやすい馬ですよ」

 濱脇場長の言葉通りに、マンハッタンスカイは穏やかに南国での日々を満喫している。

担当厩務員とも再会! フィールドルージュ


 2014年8月21日に土佐黒潮牧場のメンバーに加わったのは、フィールドルージュだ。2002年4月27日に三石町(現・新ひだか町)で生まれた同馬は、栗東の西園正都厩舎から2004年9月にデビューした。2011年に引退するまで、ダート路線で活躍した。

 交流重賞の名古屋グランプリ(JpnII)に続いて川崎記念(JpnI)に連勝し、2番人気に推さながら左肩跛行で競走中止となった2008年のフェブラリーS(GI)が今も忘れられない。重傷ではなかったのが不幸中の幸いだったが、1番充実していたと思われる時期だっただけに、馬群から取り残されていく同馬の姿がなおさら脳裏から離れないのかもしれない。

 その後のフィールドルージュは、ツキに見放されたような感がある。4着と敗れた2008年秋の彩の国浦和記念(JpnII)で屈腱炎を発症して長期休養を余儀なくされ、およそ2年5か月振りの復帰戦となったアンタレスS(GIII)でスタート直後に落馬で競走中止、続く東海S(GII)では右肩跛行で出走取消となった。帝王賞(JpnI・5着)、JBCクラシック(JpnI・6着)と交流GIを2戦したものの、以前の輝きを取り戻せないまま、2011年11月に引退が決まった。

 函館競馬場、馬事公苑、大学馬術部など転々とし、土佐黒潮牧場に落ち着いたのが昨年のことだ。競走馬生活同様に、引退後もまた紆余曲折だった。

「この子はとても人懐っこいですよ。でも馬にはきつい(笑)。負けん気が強いです」と濱脇場長。人懐っこいということは、居場所を転々として落ち着かないながらも、行く先々で可愛がられてきたのかもしれない。

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▲男前なフィールドルージュ


「現役時代の担当厩務員さんが会いに来てくれるんですよ。ヘッドライナーとフィールドルージュは同じ西園厩舎ということもあって、ヘッドライナーの担当厩務員さんと一緒に来てくれましたわ」(濱脇場長)

 その話を聞いて「馬たちは厩務員さんを覚えているようですか?」となぜか野暮な質問をしてしまった。「そりゃ、覚えてますわ。ヘッドライナーは厩務員さんをずっと目で追っていますよ」と、場長からは当然の答えが返ってきた。馬と人の絆は、そう簡単に切れるものではない。

 ヘッドライナーやフィールドルージュのように、厩務員さんがかつて担当した馬に会いに来るというのは、実はレアケースと言っても過言ではない。その理由の1つとして、引退した馬の居場所がわからなくなるという現実がある。重賞勝ち馬や種牡馬を経験した馬でさえ行方知れずになるのだから、条件クラスで終わった馬ならなおさら推して知るべしだろう。また乗馬クラブに在籍していても、競走馬時代と馬名が変わっていて元の名前がわからなくなる場合も見受けられる。その現実が、引退した馬の後は追わないという風潮につながっているようにも思う。

 けれどもかつて携わった馬が元気でいると関係者に伝えると、たいてい喜んでくれるし、会いに行きたいという会話になる。牧場や乗馬クラブへのアクセス方法をネットですぐに調べていた調教師さんもいたほどだ。

 ファンの方もそれは同じだ。応援していた馬が、引退後も元気で過ごしていると知れば、ホッとするし、嬉しくもなる。今回紹介させて頂いた「引退名馬繋養展示事業」で助成金を受ける馬たちの情報は、ホームページやFacebookを通じて広く公開されているため、今後牧場や乗馬クラブに実際に足を運んで、馬たちと触れ合うファンも増えていくだろう。引退したすべての競走馬の居場所がわかるというわけではないが、この事業は引退馬のその後を知る上で、大きな役割を果たしていることは間違いないだろう。

 そして土佐黒潮牧場で穏やかに余生を過ごす馬たちのように、安心して生きていける馬が1頭でも多く増えるよう、これからも引退馬に関わる取材を続けていきたい。(了)

(取材・文:佐々木祥恵、写真:土佐黒潮牧場)


土佐黒潮牧場
高知県須崎市浦ノ内出見5番地
年間を通して見学可能
見学時間9時〜12時
必ず前日までに連絡をして、許可を得てから訪問してください。

引退名馬土佐黒潮牧場紹介頁
https://www.meiba.jp/farms/view/1000145

土佐黒潮牧場HP
http://tosa-kuroshio.sakura.ne.jp/

土佐黒潮牧場ブログ
http://intaiba.exblog.jp/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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