スマートフォン版へ

野馬追にも出場 ナイスナイスナイスとタマモヒビキの馬生

  • 2015年04月28日(火) 18時01分
(つづき)

年を取っても“チャカチャカ”のナイスナイスナイス


 毎年相馬野馬追で活躍しているマーベラスタイマーが元気に暮らす、福島県南相馬市の大瀧馬事苑は、これまで引退した競走馬を数多く受け入れてきた。

 例えば岡部幸雄元騎手が騎乗してダイヤモンドS(GIII・1987年)に優勝したドルサスポート(父レッドアラート)は、大瀧康正さんが騎乗して、甲冑競馬でも素晴らしい走りを披露した。道営競馬で3戦0勝だったメビウス(父ダイタクヘリオス)は、大瀧馬事苑で一時期乗馬として過ごしていたが、後にキャスパーと名前を変え、71歳でロンドンオリンピックに出場したことでも知られる法華津寛選手とコンビを組んで全日本馬場馬術大会を5連覇したほどの名馬となる。

第二のストーリー

▲大瀧馬事苑の大瀧康正さんとクォーターホース(左)ダブルセカンド(右)(競走馬名アサクサバロック、セン29・父サドンソー)


第二のストーリー

▲福島競馬場で行われた甲冑競馬、先頭が大瀧さん


 最近では、ナイスナイスナイス(セン)とタマモヒビキ(セン)という2頭の重賞勝ち馬も、大瀧馬事苑で余生を過ごしていた。

 ナイスナイスナイスは、父ナイスダンサー、母トキノコウジンの間に、1986年4月25日、北海道浦河町で生まれた。栗東の長浜博之厩舎から1988年9月にデビューし、4歳(馬齢旧表記)時にきさらぎ賞(GIII)に優勝。クラシックでの活躍を期待されたが、故障のために3冠レースすべてを棒に振ってしまった。

 それでも5歳(馬齢旧表記)時には京都記念(GII)に優勝し、その後も重賞戦線を賑わせてきた。ナイスナイスナイスという馬名からも人気だった同馬は、1992年3月の阪神大賞典(GII)6着を最後に、通算17戦4勝の成績を残して競走馬を引退した。

 引退後は東京競馬場の誘導馬を務めるなどしていたナイスナイスナイスが、大瀧馬事苑の一員になったのは2007年。

第二のストーリー

「兵庫県の三木ホースランドパークから来ました。後ろ脚に慢性のフレグモーネがあったりしてもう結構な年(当時21歳)だったけど、性格ははしゃいじゃう方でしたね(笑)。チャカチャカチャカチャカ(笑)。野馬追にも1度使ったことがありますが、お行列の時なんか、これまた黙って歩いてくれない(笑)。年を取ってもイレ込む方だったんだね。馬房の中では大人しいし、普段はそんなことはしないんだけど、野馬追になるとやっぱり、チャカチャカチャカチャカするんだよね(笑)。多分、競馬の時もそうだったんじゃないかな」

野馬追を前に急逝、格好良くて評判だったタマモヒビキ


 一方、ナイスナイスナイスと対照的だったのがタマモヒビキだ。

「あの馬は優秀だったよ。ドシッとしていてね。自分も以前お行列に乗っていたんだけど、ドシッと落ち着いていました。神旗争奪戦には息子が乗って参加していましたね。でも甲冑競馬には使いませんでした」

 競走馬時代はハナを切ることが多かった同馬が、甲冑競馬に参加しなかったというのは、少し意外だった。

「いやあ、すぐ引っ掛かるんですよ。雲雀ヶ原(相馬野馬追が行われる雲雀ヶ原祭場)に行ったら、乗り手の言うことはきかない。バーッと行っちゃって、止まらなくなるんです。もう走り過ぎちゃって、脚を痛めてしまいますから。それくらい走っちゃう。元々、エビ(屈腱炎)だったというのもありますしね。ここに来る前は函館競馬場にいて、スポーツ少年団でも使っていたみたいですけど、やっぱり駈歩になったら止まらなくなったりするみたいで(笑)。それでウチに来ました」

第二のストーリー

 タマモヒビキは、1996年5月22日に北海道新冠町で誕生した。父コマンダーインチーフ、母タマモハッピーで、2歳年上の兄に1999年のダイヤモンドS(GIII)に勝ったタマモイナズマ(父タマモクロス)がいる血統だ。1998年11月に栗東の小原伊佐美厩舎からデビューした同馬は、2000年12月の尾張S(1600万下)、2001年3月には大阪城S(OP)を勝ち、6歳時には小倉大賞典(GIII・2002年)に優勝している。

 それまでの勝利はすべて逃げ切りだった同馬が、この時は中団からレースを進め、直線では力強く馬群から抜け出すと、追いすがるウインシュナイトをねじ伏せてトップでゴールインしたのだった。その後、8歳まで現役を続けたタマモヒビキだが、競走馬として1番輝いていたのは、小倉大賞典を制したあの日だったようにも思う。

 大瀧さんが、1枚の写真を取り出して見せてくれた。

第二のストーリー

▲相馬野馬追に参加したタマモヒビキと、大瀧さんの息子さん


「これがせがれ(啓之さん)が乗って神旗争奪戦に参加した時の写真です。この時はせがれが旗を取って上に上がって行きましたよ」

 神旗争奪戦で奪い取った旗を高く掲げた騎馬武者が、本陣山の坂を一気に駈け上がっていく。その時の人馬は、勇壮かつ誇らしげに映る。場内の喝采を浴びながら、坂を勢い良く駆け上がっていくタマモヒビキと啓之さんの姿が、脳裡に浮かんだ。

「格好良かったですよ、タマモは。片方の眼が三白眼で、しかも黒い馬体でしたから。まるで殺し屋みたいだって言っていた人もいたくらい(笑)。写真のタマモは、三白眼じゃない方の眼がこちらを向いているけどね」

 タマモヒビキは、小倉大賞典に優勝したあの日のように、野馬追でも輝いていた。

 ナイスナイスナイスとタマモヒビキは、東日本大震災時に起きた福島第一原子力発電所の事故の影響で、前回登場したマーベラスタイマーとともに、北海道の日高町家畜自衛防疫組合(旧五輪共同育成センター)に、約8か月の間、疎開した経験も持つ。2011年8月に北海道に渡り、大瀧馬事苑に帰ってきたのが2012年4月。

 元の生活に戻って1年余りたった2013年6月26日、ナイスナイスナイスは老衰のために静かに息を引き取った。享年27歳。大往生だったと言って良いだろう。そしてちょうど1年後の2014年6月26日、野馬追を待つことなくタマモヒビキが急逝した。疝痛だった。享年18歳。まだ野馬追でも活躍できただけに、その死は非常に惜しまれる。

 今年は7月25日(土)、26日(日)、27日(月)の3日間、相馬野馬追が開催される。大瀧馬事苑からは、マーベラスタイマーやロードエルドール(セン7)ほか、昨年10月に競走馬を引退して大瀧馬事苑にやって来たローマンエンブレム(セン6)も、野馬追デビューを予定している。なお同馬は、2002年の京成杯(GIII)を制したローマンエンパイアの数少ない産駒の1頭でもある。

第二のストーリー

▲今年の野馬追に参加予定のロードエルドール


第二のストーリー

▲ローマンエンパイアの数少ない産駒の1頭、ローマンエンブレム


 福島第一原発の事故もまだ収束していないし、除染作業も終わってはいない。大瀧馬事苑のある南相馬市にも、帰還困難区域に指定されている地域がある。まるで出口のないトンネルに入り込んだように課題は山積している中、相馬野馬追は今年も行われる。引退した元競走馬たちも、数多く参加する。今回、南相馬に足を運び、大瀧馬事苑の取材をさせて頂くうちに、今年は2年振りに相馬野馬追に足を運んでみようかという気持ちになった。

 祭りには特別なエネルギーがある。そして馬は神の使いとも言われる。1日も早く福島第一原発の事態が収束し、この地域が、そして東北が復興できるように…。祭りのエネルギーが1つになって天に届くことを祈りたい。

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※マーベラスタイマーは見学可です

大瀧馬事苑
〒975-0037 福島県南相馬市原町区北原字平11
電話 090-3642-1095

展示時間 10時00分〜15時00分
(見学申込方法 要事前連絡7日前まで)

引退名馬(meiba.jp)のマーベラスタイマーの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1994106946

引退名馬(meiba.jp)のナイスナイスナイスの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1986104036

引退名馬(meiba.jp)のタマモヒビキの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1996101545

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング