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嘉藤貴行騎手/ダービー『ついに掴んだ夢舞台 デビュー16年目の初ダービー』

  • 2015年05月27日(水) 18時01分
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▲騎手を辞めることも考えたという嘉藤、“夢のよう”という語るダービーへの思い


騎手デビュー16年目にして、初めて日本ダービーに騎乗する嘉藤貴行。成績が低迷した時期もあったが、本人の努力と応援してくれる馬主や関係者の助けによって、ここ数年、再び成績を盛り返してきた。そして昨年夏に出会ったのが、ダービーでコンビを組むコメート(牡3・美浦・土田稔)だ。デビュー前からずっと手綱を取り続けているコメートとともに、大舞台に挑む心境や意気込みを、嘉藤騎手に話を聞いた。(取材・文:佐々木祥恵、撮影:佐々木祥恵、編集部)


調子に乗る新人の1人になってた


 嘉藤に騎手になった理由を尋ねると「背が小さかったからです」という答えが返ってきた。

「競馬の世界とは縁のない家で育ちましたが、周りでダビスタが流行っていて、友達もやっていました。それを見ているうちに、漠然と背が小さいし、ジョッキーはおもしろそうだなと思って、試験を受けに行きました。ダビスタ世代というのもあって、競馬学校にはたくさんの人が集まっていて、絶対に受からないと思っていましたので、合格した時には本当にビックリしました。乗馬経験もなかったですし、なぜ受かったのだろうと不思議でした」

 全くの白紙の状態からジョッキーとなった嘉藤は、2000年に無事デビューを果たす。当時は新人でも、騎乗チャンスに恵まれていたと嘉藤は言う。

「初勝利で騎乗していたリアルヴィジョンは、多分誰が乗っても勝てるだろうという良い馬でした。そういう馬に乗せてもらえましたし、ムチを使わないで勝つことも結構ありました」

 1年目に19勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞を受賞した。

「初めは良い馬に乗せて頂いて勝っていましたから、もう完全になめていました(笑)。調子に乗る新人の1人になっていました」

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▲「初めは良い馬に乗せて頂いて勝てていた、完全になめていましたね」


 2001年から2003年までは18勝、19勝、11勝と2桁勝利をマークしていたが、2004年から成績が下降し、騎乗数も勝利数も落ち込んでいく。減量の特典がなくなって騎乗数が減るという悪いスパイラルに、完全に嵌っていた。

「高くなった鼻もへし折られて(笑)、ちょっとふてくされて…。自分が努力しているわけでもないのに、何故乗せてくれないのだろうと思っていました」

 と嘉藤は当時を振り返る。だが、完全に嵌った悪いスパイラルから、嘉藤は抜け出した。

手繰り寄せたコメートとの出会い


「腐ってしまう人もいると思うんですけど、腐らずに自分にできることをやりました」

 やがてミルファームをはじめ、応援してくれる馬主や関係者が現れ、騎乗馬が増えていった。2011年の騎乗回数は108回だったが、2012年は311回、2013年は311回、そして昨年は344回に増加している。

「僕にできることは、限られていると思うんです。攻め馬を一所懸命するとか、真面目に生活をするとか、ちゃんと挨拶をするとかですね。そのような基本的なことしかできないと思うんです。自分に厳しくではないですけど、地道な努力の積み重ねが大きいのかなと思います」

 地道に積み重ねてきた努力が、やがて1頭の馬との出会いを引き寄せる。

「昨年5月にケンレーシング(組合)さんのチーフテンという馬で8着になったのですが、オーナーがそれをとても喜んで下さいました。続けてチーフテンに乗せて頂いて、人気薄(15人気)で3着に来たのですが、この時もとても喜んで下さって、新馬に乗せて頂けるということになりました」

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▲きっかけとなったチーフテンでの好騎乗


 その新馬が、黒鹿毛のコメートだった。入厩した当初から、嘉藤はコメートの手綱を取っている。

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GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。

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