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興行的にも大成功となった今年のロイヤルアスコット

  • 2015年06月24日(水) 12時00分


最高のパフォーマンスを見せたのは4つの重賞を含む9勝を挙げたライアン・ムーア

 先週は、英国でロイヤルアスコット開催を堪能してきた。

 日本でも、初日と2日目の模様がグリーンチャンネルで生中継されたが、アスコット競馬場のスタンド7階にコメンタリーポジションを確保したグリーンチャンネルの、左隣がフランスの競馬チャンネル「エキディア」で、右隣が中東の「アルジャジーラ」と、ロイヤルアスコットが年々国際色を強めていることを、実況ブース周辺でも体感することが出来た。ちなみにエキディアで解説を務めていたのは、元トップジョッキーのドミヌク・ブフだった。

 結果もまた、全30競走のうち13競走を、英国以外を拠点としている馬が優勝。遠征馬の勝利数としては、前年に記録した11を上回る、ロイヤルアスコット史上の歴代最多となっている。

 概ね好天に恵まれたこともあって、今年のロイヤルアスコットは興行的にも大成功となった。観客動員数は、3日目の木曜日のみわずかに前年割れしたものの、残る4日はいずれも前年を上回る数字を記録。5日間トータルの29万3303人というのは、前年比で2.6%の増加、2年前に比べると5%の増加となっている。

 大観衆が見守った中、最高のパフォーマンスを見せたのが騎手のライアン・ムーアだった。5日間で、グレンイーグルスで制したG1セントジェームズパレスSをはじめとして、4つの重賞を含む9勝を挙げ、3勝のフランキー・デトーリを大きく引き離して開催リーディングを獲得。9勝というのは、1965年と1975年にレスター・ピゴット、1989年にパッド・エデリーがマークした8勝を上回る、ロイヤルアスコットの近代史における最多勝記録となった。

 最多勝記録と言えば、ロイヤルアスコットにおける現役最多勝騎手のフランキー・デトーリが、オゼイラに騎乗して2日目のLRサンドリガムHを制した時点で、ロイヤルアスコットにおける通算勝ち星が50勝に到達。その後も、最終日のG1ダイヤモンドジュビリーSを北米調教馬アンドラフテッドで制するなど、通算勝ち星を52まで伸ばしている。

 ただし、今年9勝のライアン・ムーアが、ロイヤルアスコットにおける通算勝ち星を36まで積み上げてきており、フランキーとの差はまだだいぶあるものの、現在の勢いを考えるとムーアがフランキーを超える日が来てもおかしくはない情勢だ。

 調教師による開催最多勝は、グレンイーグルスで制したG1セントジェームズパレスS、ウォータールーブリッジで制したG2ノーフォークSという2重賞を含む5勝を挙げたエイダン・オブライエンだった。

 一方、ロイヤルアスコットにおける現役最多勝調教師のマイケル・スタウトが、5日目のG2ハードウィックSをスノウスカイで制し、ロイヤルアスコットにおける通算勝利数を73に伸ばしている。スタウト師は今年のロイヤルアスコットに17頭を出走させていたが、4日目までにこのうちなんと3頭がレース半ばで競走を中止。中でも4日目のG2キングエドワード7世Sに出走し、1番人気に支持されたストラヴァギャンテは、レース後に搬送されたニューマーケットの診療所で予後不良と診断されて安楽死になるなど、どん底と言ってもよい状態にあっただけに、スノウスカイの勝利をことさらに喜んでいた。

 調教師と言えば、拠点のカリフォルニアからアメリカ大陸と大西洋を越えて9頭の管理馬を送り込み、2日目の2歳G2クイーンメアリーSをアカプルコで、最終日のG1ダイヤモンドジュビリーSをアンドラフテッドで制したウェスリー・ワード調教師の手腕も見事だった。

 米国調教馬が欧州の主要競走に出走する機会は滅多にない中、2009年からロイヤルアスコットに馬を送り始め、積み重ねてきた勝ち星は今年で6勝となったから、もはや完全に欧州競馬で勝つためのノウハウを確立したと見てよさそうだ。

 実はダイヤモンドジュビリーSの前日、同行していた長女のデネイちゃんが顔面麻痺の発作を起こし、フライムリーパーク病院に入院。娘を溺愛するワード師も病院で一夜を過ごした後、アスコット競馬場に駆け付けるというアクシデントが発生。幸いにして、症状が好転したデネイちゃんもアスコットに来ることが出来、父にとって初めてとなるロイヤルアスコットG1制覇を見届けることが出来た。レース後のインタビューで、お嬢さんが回復して良かったですねと問われたワード師が、涙ぐんで言葉に詰まる場面があった。



こうした経験の積み重ねが日本馬によるロイヤルアスコット初制覇に結び付くものと思う

 山本英俊オーナーの英断で、藤沢和雄厩舎の3頭が渡英。このうち2頭が出走したものの、残念ながら日本調教馬のロイヤルアスコット初勝利は、今年も見ることが出来なかった。だが、帯同した技術調教師の斎藤崇史師、高柳大輔助手ら、次世代を担うホースマンたちにとってはかけがえのない経験となったはずで、こうした積み重ねが近い将来の、日本馬によるロイヤルアスコット初制覇に結び付くものと思う。

 その瞬間を目撃するために、この開催には来年以降も、足を運び続けたいと思っている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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