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酒井学騎手(2)/宝塚記念『待たれる復帰 菊花賞からの8か月に何があったのか』

  • 2015年06月25日(木) 11時59分
(つづき)

精神的な部分でもギリギリだった


 菊花賞後は早い段階で有馬記念の回避を表明。年内は休養に充てることになった。

「菊花賞が終わってから思ったのは、精神的な部分でもギリギリだったのかな、と。菊花賞のゲートの中でガサガサって暴れたんです。今までに見せたことがない素振りでした。苦しかったというか、競馬というのをだいぶ覚えてきて『今から競馬なんだ』っていうのがあったのかな。疲れている感じは見せなかったけど、目に見えない疲れは蓄積していたはずです。短期間でGIまで勝った馬。有馬記念まで走るより、次の年のことを考えて大事にしてあげた方がいいだろうという厩舎の考えだったと思います」

 年が明け、帰厩したトーホウジャッカルは阪神大賞典へ向けて2月から順調に乗り込まれていった。しかし、3月18日の最終追い切りで右前脚の蹄を打撲。阪神大賞典も回避となった。

「このレースから天皇賞・春を目標にということだったんですが、残念でした。ぶつけた蹄の中に血豆ができたんですが、それが治るのに予想以上に時間がかかってしまって、目標だった天皇賞・春も回避することになりました。放牧には出ず、ずっと厩舎にいたので脚の状態を聞いたり、様子を見に行っていました。順調にいってほしかったけど、元々試練の多い馬だったので、ジャッカルらしいなというのはありました。ただ、当初のプランが白紙になって、どこから始動できるんだろうってもどかしさはありましたね」

 トーホウジャッカルが生を受けたのは、東日本大震災当日。2歳時には重い腸炎を患い、競走馬になれるかどうか危ぶまれた時期もあった。しかし、それらを乗り越えて菊花賞馬になったように、今春のアクシデントも乗り越えた。

「蹄の状態が良くなって、鳴尾記念を使うという話も出てきました。でも、

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GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。

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