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コマンダーインチーフ&オグリキャップ、在りし日の思い出話

  • 2015年06月30日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲優駿メモリアルパークにあるオグリキャップ像


(つづき)

「馬とは思わない方が良いような気性」


 マヤノトップガンが余生を送る優駿メモリアルパークは、優駿スタリオンステーション(以下優駿SS)に隣接しており、オグリキャップの功績を讃える優駿記念館や、新冠町ゆかりの名馬たちの墓碑が並んでいる。

 閉鎖された新冠町農協畜産センターで亡くなったシービークロスの墓碑の前でまず手を合わせた。今は亡き吉永正人元騎手との名コンビで、道中はいつも最後方から進み、直線一気に飛んでくる芦毛のシービークロスは『白い稲妻』と呼ばれていた。オグリキャップと秋の天皇賞(1着・1998年)、有馬記念(2着・1988年)で死闘を演じたタマモクロスの父でもある。

 その隣には1979年の皐月賞馬のビンゴガルーの墓碑。4コーナーで外に膨れ、1頭だけ外ラチ沿いを走って新馬勝ちした粗削りな姿に一目惚れをした。もう30年以上も前なのに、その時の映像が昨日のことのように思い出される。今年の3月3日に惜しまれて急逝したアドマイヤオーラの墓碑も建てられていた。

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 その中に2007年に亡くなったコマンダーインチーフの墓碑があった。1990年5月18日にイギリスに生まれたコマンダーインチーフは、ダンシングブレーヴを父に持ち、デビューから僅か2か月でエプソムダービーを勝ち、続けてアイリッシュダービーも制した名馬だ。6戦5勝の成績を残して日本で種牡馬入りし、優駿SSで繋養されていた。

「まさかイギリスのダービー馬に接することができるとは思っていませんでした」と優駿SSのマネージャー、山崎努さんは言う。アインブライドが、阪神3歳牝馬Sに優勝し、初産駒からいきなりGI優勝馬を出して幸先の良いスタートを切った。

 初年度産駒からは、スエヒロコマンダーやクリールサイクロンが重賞を勝ち、その後もハギノハイグレイド、イブキガバメント、タマモヒビキ、トップコマンダー、メイショウキオウらが中央競馬の重賞勝ちを収め、レギュラーメンバーがJBCクラシック(GI)、川崎記念(GI)など交流重賞に優勝し、マイネルコンバットが交流重のジャパンダートダービー(GI)を制している。アインブライド以降は芝のGIホースは出せなかったが、コンスタントに活躍馬を輩出してきた。

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▲コマンダーインチーフ産駒のGI馬レギュラーメンバー、JBCクラシック優勝時


 ところがコマンダーインチーフは、とてつもなく気性の激しい馬だった。

「あの馬はすごい気性をしていました。馬とは思わない方が良いような、すごい気性でした。噛みついてくるし、襲ってくるし、油断ができなかったですね。常にスイッチがオンになっている感じでした。普通にコマンダーを引いていると、ガッとジャンパーに噛みついてきてそのまま持ち上げられるんです。その時はおおっ、浮いてるって(笑)。動きが早くて逃げる暇がないんですよ。

ただジャンパーにかじりつくので、すぐにパッと口から離れるんです。そうすると自分も地面に降りるという(笑)。普段からそのテンションで、落ち着くことはありませんでした。そのような気性ですから、餌をいくら食べさせても太りませんでしたね。そのかわり種付けは、すごく上手でしたよ」


 猛獣のように激しかったコマンダーインチーフが、唯一、人間を頼ってきたのが、放牧地で骨折をした時だった。

「可哀想でしたね。あの馬が助けくれという感じで、こちらを見ていましたから」

 山崎さんの口調はしんみりとしていた。2007年6月12日、右後肢骨折のために安楽死の処置が取られ、英国生まれの名馬は17歳で天国へと旅立っていった。

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「まるで人間みたいな馬でした」


 16頭分ある墓碑の中でひと際目を引くのは、『平成の怪物』『芦毛の怪物』の異名を取ったオグリキャップのものだ。山崎さんは「すごい馬でした」とオグリを評した。今でも山崎さんの脳裏に甦ってくる思い出の1つが、2008年11月9日、東京競馬場にファンの前に登場した日のことだ。

 長距離輸送に大観衆の前でのお披露目と、23歳と高齢になっていたオグリキャップにとってはストレスもあったのではないかと想像したが「僕も付いていきましたがけど、あの馬は頭が良いですから全く苦にしなかったですね」と山崎さんはサラリと言った。そして続けた。「あの馬の頭の良さは特別でしたね。環境の変化にも順応するし、本当にすごい馬です」

 当日はパドックでファンの前を周回した後に、場内に展示をされた。

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▲2008年に東京競馬場でお披露目されたオグリキャップ、当時23歳


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「パドックでは馬っけを出して興奮していたので、展示では絶対暴れるなと。展示スペースの周りにも人がたくさん来ますし、人との距離もかなり近いですからね。ところがパドックから展示スペースに移動したら、静かに落ち着いているんですよ。札幌競馬場でお披露目された時もパドックではいきり立っていましたから、多分、パドックが競馬に繋がる場所だということを覚えていてて、その気持ちが出るのでしょうね」

 常にオンの状態だったコマンダーインチーフとは対照的に、オグリキャップにはオンとオフのスイッチがしっかりとあったようだ。

 優駿SSでの普段のオグリの様子も尋ねてみた。

「若い頃から年を取るまで、ずっと変わらなかったです」

 山崎さんがスタリオンに就職した時には既にオグリは種牡馬となっていたが、その当時から晩年まで行動も性格も変わることがなかったようだ。

「気性はきついですよ。人にかじりついてくるんですよ。ちょっと油断していると、結構本気でガッチリやられます(笑)。ところが、見学者が来るとちゃんとしている(笑)。おもしろい馬でしたね。こちらの話がわかっているのではないかと思うくらい、まるで人間みたいな馬でした。何もかもわかっていてやっている、行動している、そういう感じでしたね」

『オグリキャップ死亡』という衝撃のニュースが飛び込んできたのは、2010年7月3日だった。

 その日の午後2過ぎに、右後肢を骨折したオグリキャップが放牧地で倒れているのが発見されたのだった。東京競馬場で多くのファンに健在振りを示してから、およそ2年。享年25歳、その死はあまりにも突然だった。

 2010年7月29日には、新冠町レ・コード館町民ホールで『オグリキャップのお別れ会』が行われた。当時のJRA理事長の土川健之氏や、笠松時代に手綱を取った安藤勝己騎手、JRA時代の管理調教師瀬戸口勉元調教師、地方競馬時代のオーナー・小栗幸一氏、全国から集まった多くのファンなど、およそ700人が出席。オグリキャップがいかに人々を魅了し、ファンの心をわしづかみにしてきたのかが、700人という列席者の数からもわかる。

「オグリのファンというのは、桁外れに熱心な方が多いですよ。オグリのファンの人だけのツアーが毎年行われていましたけど、皆さん、本当に熱心でした。オグリの最後の有馬記念の単勝を10万円買っていた方が、換金をしないで記念に馬券をとってあるという話も聞きました」(山崎さん)

 優駿メモリアルパークにあるオグリキャップ像建立時に呼びかけると、日本全国のファンから募金が集ってきたという。

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 地方競馬から移籍してきて、中央競馬のエリートたちを次々に倒し、ヒーローを待ち望んでいた競馬ファンを熱狂させた。マイルCS優勝から連闘で臨んだジャパンCで、ホーリックスを追い詰めた時の諦めない姿、スランプが続いて人気を落として臨んだ有馬記念で、有終の美を見事に飾ってみせた時のあの走り…すべてが人々の心を揺さぶってきた。オグリキャップは、競馬に携わるすべての人にとって、特別な存在だったのは間違いない。

 在りし日のオグリの思い出話を聞きながら、まだ灰色だったオグリの馬体が大歓声の中を駈け抜けて行ったレースの記憶が次々と呼び起こされ、胸が熱くなった。

 優駿メモリアルパークを後にする時に、今一度、後ろを振り返った。栗毛の馬体のマヤノトップガンは相変わらずのんびりと草を食み、オグリキャップの像は日が陰ってきてもなお、銀色に輝いていた。

(取材・文:佐々木祥恵、写真:佐々木祥恵、下野雄規)



※マヤノトップガン号は見学可です。(直接訪問可能。詳細は最寄の競走馬のふるさと案内所まで)
※優駿メモリアルパーク内のお墓参りも可です。なお、お供え等はご遠慮下さい。
(アドマイヤオーラ、イルドブルボン、オグリキャップ、コマンダーインチーフ、ゴライタス、シービークロス、スマコバクリーク、ダンサーズイメージ、ナリタブライアン、パシフィカス、ビンゴガルー、ファスリエフ、ペイザバトラー、ミルフォード、ヤエノムテキ、リヴリア ※アイウエオ順)

優駿メモリアルパーク
北海道新冠郡新冠町字朝日267-3

優駿記念館の本年の営業期間中(10月中旬頃まで)の午前10時〜午後3時くらいまで見学可能
(天候及びその他事情により変更になる場合があります)

株式会社優駿のホームページ(マヤノトップガンの見学について、及び優駿記念館等の詳細はこちらへ)
http://www.yushun-company.com/

競走馬のふるさと案内所 マヤノトップガンの頁
http://uma-furusato.com/i_search/detail_horse/_id_0000255813

競走馬のふるさと案内所 優駿メモリアルパークの頁(お墓参りの案内もあります)
http://uma-furusato.com/i_search/detail_farm/_id_54975

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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