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2001年七夕賞の勝ち馬、ゲイリートマホークの今/動画

  • 2015年07月07日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲2001年七夕賞の勝ち馬、ゲイリートマホークの今を追う


地方移籍を経て、乗馬クラブへ


 その日は朝から雨が降っていた。取材の約束をした正午過ぎには止んでくれることを祈りながら栃木県方面へと向かう。那須塩原市にある観光牧場、千本松牧場に足を踏み入れた時には、空はまだ雲に覆われてはいたものの、運良く雨は上がっていた。

 牧場内を進んでいくと、引き馬という看板が見えてきた。その奥に目を転じると、放牧されている馬たちの姿が見え、近づいていくと馬繋場には2頭の馬が立っているのがわかった。馬繋場に案内してくれた栃の葉乗馬クラブの駒津友康さんが「右側がゲイリートマホーク(セン19)ですよ」と教えてくれる。

第二のストーリー

▲栃木県にある千本松牧場


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▲牧場で暮らす馬たち


 今から14年前、2001年の七夕賞(GIII)賞を制したのが、外国産馬のゲイリートマホークだった。父Sunny's Halo、母Comedy Verbとの間に1996年4月16日にアメリカで生まれ、日本で競走馬となった同馬は、1999年1月に美浦の秋山雅一厩舎からデビューした。

 2戦目に初勝利を挙げ、翌年の夏には3連勝して重賞(新潟記念GIII・8着)に初挑戦している。その後は1600万クラスで走り、5月のむらさき賞(1600万下)では後藤浩輝元騎手が手綱を取って勝利した。7月の七夕賞では郷原洋司元騎手が騎乗して、好スタートから見事に逃げ切り勝ちを収め、晴れて重賞ウイナーの仲間入りを果たし、その2走後のオールカマー(GII)ではエアスマップの2着と健闘した。

 この時期がゲイリートマホークの競走馬生活において1番充実していたと言って良いだろう。オールカマー後は長期の休養に入り、2003年6月に復帰したものの成績は芳しくなく、やがて岩手競馬へと転籍したが、勝ち星を挙げられないまま2006年に現役を引退している。

 その後は、栃木県内のサラブレッドトレーニングアイランドで余生を送っていたが、牧場閉鎖にともない、2013年暮れに千本松牧場内の栃の葉乗馬クラブへと移動してきた。

「ウチは昼夜放牧をしていますので、少し面食らったみたいですね」と駒津さんの言葉に促されるように、改めて放牧場の方見ると馬たちがたくさん群れていた。常時、30頭近い馬がいるという。

「あの場所で皆で共同生活をしていますから、来たばかりの頃はこれまでにない経験をして面食らったと思うんですよね。慣れるのに2か月くらいかかりました。若ければすぐに対応できたのでしょうけど、高齢になっていましたから」

 トマホークがここにやって来たのは17歳。間もなく18歳になろうかという時だった。

大切な友達“ユーロ”


 栃の葉乗馬クラブでは、馬たちは1日中、外で暮らしている。冬場は馬着を着せての昼夜放牧。台風の時も、馬たちが一緒に固まっているせいか、驚いたりはせず平然としている。雷が鳴っても驚くこともない。ここで暮らしていると、自然と逞しくなっていくようだ。

「少しコズんでも、ずっと放牧地で常歩運動をしていますので、かえって治りが早いように思います」

 初めはそのような野性的な生活に面食らっていたトマホークにも、気の合う友達ができた。

「友達ができると、常にそばにいるので馬も結構リラックスして良いんですよね。以前は全体的に緊張していてカリカリしていましたが、友達ができてからはだいぶ解消されて丸くなってきました」

 友達の名はユーロ。

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▲左がゲイリートマホーク、右がユーロ


「この馬も競走馬だったんですよ。最初JRAで走っていて新馬戦を勝った馬だったんですよね。この馬がトマホークの唯一のお友達です。1頭が運動などで離れた所にいくと、どうしたのかなぁという感じで柵の出口のあたりで見ていたりするんですよね。それは両馬ともそうですね。片方がいないと柵のところで見ています」

 馬繋場にいたトマホークとユーロの写真を撮影させてもらい、やがて2頭は放牧地へと戻っていった。馬の群れを眺めていると人間模様ならぬ馬模様が展開されて、観察していると面白くて飽きない。

「ウチで1番強いのはブルトンの牡なんですけど、あまりにも強いので普段は群れには入れずに隔離しているんですよね(笑)。その馬とピントホースのジョイナーの間に3月20に仔馬が生まれましたよ。群れの中で強いのはリュウセンコウという馬ですね。この馬は競走馬時代も同じ名前で走っていたと思いますよ。その馬についている牝馬2頭がまた強くなっちゃってね(笑)」


ドラマ、映画、ライブ等で活躍する馬たち


 馬場の中央あたりには3頭の馬が並んでいた。聞けば3頭ともテレビや映画に出演経験があるという。

 1番奥のアシタカは、フジテレビの「信長協奏曲(のぶながコンツェルト)」に出演。真ん中のカルマと手前のスティングは、渡辺謙主演の映画「許されざる者」に出演している。カルマには渡辺謙さんが、スティングには柄本明さんが乗ったそうだ。

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▲栃の葉のスター三人衆、奥からアシタカ、カルマ、スティング


「『許されざる者』では約2か月、北海道で撮影をしていました。上川、阿寒、根室といろいろと回りましたね。知床で撮影していた時は、スタッフから『ヒグマの親子がいる』という連絡が入ったりもしました。

スティングはKAT-TUNの東京ドームと京セラドーム大阪のライブにも出たんですよ。アンコールの時にメンバー全員が馬に乗って出てくるんですけど、そのうちの1頭がスティングでした。歓声もすごいですけど、ドーンという爆破みたいのがあるんですよね。控えている場所にも音楽や歓声、爆破の音が聞こえてきますし、大変な状況ですよ。それでも慣れていますから、別に驚いていませんでしたね。ビックリするようだと、このようなイベントには使えないですからね。

新潟県上越市の謙信公祭では、GACKTさんがウチにいた芦毛のゲイリースノーマンという馬に乗りました。スノーマンは、今は出張で日光の霧降高原に行っています」

 そのような大舞台を経験しているとはにわかに信じられないくらい、放牧地の馬たちはのんびりとしていた。端には群れから離れた馬がいた。

「あの馬はレディという名前で、1頭でも寂しくないのでしょうね。孤独が好きみたいです(笑)。レディは地面に寝かせることができるものですから、米倉涼子さんの『ドクターX〜外科医・大門未知子』(テレビ朝日)に出演しました」

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▲「ドクターX〜外科医・大門未知子」に出演した、孤独が好きなレディ


 米倉涼子演じる外科医大門未知子は実は獣医師免許も有しているという設定で、転倒して故障した競走馬の手術をするシーンがあったが、あの時の馬が放牧地で孤独を楽しむレディだったとはちょっとした驚きだった。

「鎌倉の鶴岡八幡宮例大祭で行われている流鏑馬で使われているのもウチの馬ですよ。乗っているのは、小笠原流の方ですね」

 先に紹介した仔馬を出産したジョイナーは、流鏑馬でも重宝されているそうだ。

 このような仕事を手掛けるきっかけは、かつて足利市で撮影が行われたNHKの大河ドラマ『太平記』(1991年放送)が最初だった。以来、テレビや映画、流鏑馬やお祭りなどのイベントに数多く馬を連れて参加している。

 また映画スターのカルマとスティングは乗馬としても優秀で、初心者でも外乗に行けるとのこと。

「外乗は4キロコース(50分)と7キロコース(80分)があります。ここはとても広いんですよ。奥にある畑や牧草地の方まで行って、途中で速歩もします。カルマやスティングは大人しいですし、皆さん大満足されています」

 初心者でも安心して乗れる上にお客様をしっかり満足させるとは、さすがは大舞台を経験してきている馬たちは違う。

「これからも健康に長生きをしてくれますように」


 駒津さんの話に耳を傾けながら写真や動画を撮影していると、馬たちが放牧地の入り口にゾロゾロと集まってきた。

「先頭にいるのは、群れの中でも強い馬ですね」

 トマホークはというと、相変わらずユーロとともに群れの後ろの方にいる。その瞳には鋭さは感じられず、ユーロと一緒にご飯を食べられればいいやというのんびりした雰囲気が漂っている。

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▲餌の時間に入口付近に集まる馬たち、1番後ろに写っているのがトマホーク


「でも餌を食べている時には、自分よりも弱い馬を追い払うようになりましたよ。来た当初は弱くて、皆にいじめられて逃げ回っていましたけど、最近は結構強いところを見せています」

 その穏やかな表情からは想像できない意外な素顔だ。

「自分より弱い馬を追い払うようにはなりましたけど、人に対しては甘えてきますね。頭をゴシゴシとこちらの体に擦りつけてきたり、すごく懐っこくて可愛いんです。甘噛みもしませんしね」

 きっと生まれた時から可愛がられ、人と良い関係を築いてきた馬なのだろう想像できた。

第二のストーリー

 昔から馬は人とともにあった。車がなかった時代は交通手段となった。荷を運び、農地を耕してきた。戦地にも赴いた。馬はいつの時代も、人間のために働いてきた。現在は競馬や乗馬以外で人の手助けとなって働く馬たちはほとんどいなくなったが、駒津さんから競走馬を引退した馬たちがそれぞれの個性を生かして、様々な舞台で活躍している様子を聞き、視界が開けたような気がした。

 ゲイリートマホークのように、余生をのんびり過ごすのもよし。重賞を勝ち、たくさんの人々を楽しませてくれたのだから。物ごとに動じず、度胸の据わった馬はイベントやテレビ、映画で活躍するのもまたよし。栃の葉乗馬クラブの馬たちのように、競走馬を引退した馬たちの活きる場所が、今後もあちこちで増えてほしいものだ。

 駒津さんと馬たちに別れを告げ、帰り際、千本松牧場名物のソフトクリームを購入した。ベンチに座って濃厚な味わいを楽しんでいると、牧場スタッフが七夕の笹飾りを運んできた。短冊に願いごとを書いたのはいつが最後だったろうと薄れつつある記憶をたぐる。思い出せないままにしばしの間ボーッとしていると、ゴールまで後続を寄せ付けずに逃げ切った七夕賞でのゲイリートマホークの姿がなぜか甦ってきた。

 至って健康で飼い葉食いも良いというトマホークが、これからも健康を保って親友ユーロとともに長生きをしてくれますように、そして馬たちが安心して生きていける場所が増えていきますようにと、心の中の短冊に綴った。

(取材・文・写真:佐々木祥恵)

※文中に登場するユーロ、アシタカ、カルマ、スティング、レディは、乗馬になってからの名前です。


ゲイリートマホークは見学可です。
〒329-2747 栃木県那須塩原市千本松799
千本松牧場 栃の葉乗馬クラブ
電話 090-3245-1241
展示時間 10時〜16時(休憩時間12:00〜13:00)
休日 なし
見学の際は、2日前まで連絡をして下さい。

引退名馬 ゲイリートマホークの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1996110135

栃の葉乗馬クラブ(那須 千本松牧場)のHP
http://homepage3.nifty.com/midori08/index.html

千本松牧場のHP
http://www.senbonmatsu.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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