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新天地でゼロからのスタート

  • 2015年08月14日(金) 18時00分


◆「新たにやってみたいことはたくさんありますよ」

 8月1日付けで調教師免許を受けた、兵庫の新・調教師3名を紹介する最後は、徳本慶一調教師。福山競馬場の廃止にともなって移った兵庫では、立場としては厩務員だったが、あらたに調教師免許を受けての再スタートとなる。

 福山競馬場では、厩務員から調教師となって厩舎を開業したのが2000年10月。福山競馬が廃止となる2013年3月までに622勝、重賞では10勝を挙げた。2007年には福山リーディングにもなっている。

地方競馬に吠える

徳本慶一調教師。58歳、兵庫での再スタート


 兵庫への移籍は、今年3月に亡くなられた寺嶋正勝調教師に誘われてのことだそうだ。

「兵庫に呼んでもらって、もう一度調教師になることができたので、その恩返しじゃないですけど、兵庫にいくらかでも返せるようにがんばっていこうかと思っています」

 それだけに、競馬への、というより、馬への想いは深い。

「ときどき福山に帰って、昔の仲間と話をするんですが、やっぱり馬がよかったという話が多いですね。やめてしまった人たちは、やっぱり馬をやってればよかったという。そういう話を聞くと、もう一度馬に関われるだけでもよかったのかなあと。厩務員とか調教師とか関係なしに、何十年も馬をやってきて、やっぱり馬に携わった仕事ができることが一番じゃないですかね」

 福山競馬が廃止になったことについては、複雑な思いや、後悔もあったようだ。

「もう少し早くからサラブレッドを始めていれば、こういう結果にはならなかったかもわからんね。決断がちょっと遅かったかなとは思います。それと、存廃委員会ができたときに、地全協の理事から『高知くらい賞金を落とさないといけないのではないか』という話をされたときには、現場としてはそこまで落とされたんじゃ生活ができんゆうて反対したんですけど、今考えてみれば、そのとおりにしていれば、もっと違う結果が出ていたかもと……。福山競馬を残せなかったという、心残りはあります。残していれば、今はIPATとかで売上も伸びてるしね。先のことが見えてなかったといえばそれまでなんでしょうけど、もうちょっと先のことを考えて決断しとけばよかったかと。ただ、主催者のやる気というのもちょっと違ったかもしれません。(高知は)県が主体なのと、(福山は)市が主体では、規模が違うので。現場のもんにははっきりした事情はいまだにわからんけど、続けていれば、おそらく翌年度は赤字にはならなかったと思います」

 新たに厩舎を開業するにあたっては、福山時代のつながりの馬主から馬を預けてくれるという話もあるとのこと。厩舎を構えるのは西脇だが、ほかの2人と同じく、実際に開業するのは馬房の空き待ちとなっている。

「西脇は、2歳馬を基本馬術から教えるのには、角馬場が広いので調教はやりやすい。飼料関係とか、調教の方法でもいろいろ変えてみて、なんぼ年をとっても、いろいろ考えるとワクワクしますよ。どのくらいの馬を入れてもらえるかという心配はありますけど、安い馬でも太刀打ちできるように、値段じゃなく、自分で見て、これくらいの馬がどのくらいになるかっていうのを見てみたい。今までしてきたことと同じことをやっても何もならんし、新たにやってみたいことはたくさんありますよ」

 思い出の馬はと聞くと、JRA認定競走を勝って中央に挑戦したウルトラエナジーを挙げた。兵庫での新たな目標をうかがった。

「まずは1勝。それから重賞をとりたい。2歳馬なら認定を勝って、もう一度、いやもう一度じゃなしに、何回か中央に行って、ひとつは勝ちたい。それができたらやめようかな(笑)」

 話を聞く中で、「ゼロからの出発だと思って」という言葉が何度か出てきた。それだけに、とにかく学ぶことに意欲的だ。

「この間も栗東(トレセン)に行って調教を見させてもらったんだけど、やっぱり時間をかけてじっくり仕上げる、それが園田でもできるんじゃないかと。中央では3日に1回くらいは時計を出していて、それだったら園田では2週間に1回使って、馬をじっくり仕上げていくのも同じじゃないかなと」

 そしてインタビューの最後で、「勉強することがますます増えて、おもしろいなあ」という言葉が印象的だった。2年間待って、もう一度“ゼロからのスタート”で調教師になった理由がわかった気がした。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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