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ワガママな愛されキャラ ワンモアチャッターの素顔/動画

  • 2015年08月18日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲固い絆で結ばれたワンモアチャッターと堀江由美さん


2005年の朝日チャレンジC優勝馬のワンモアチャッター(セン15)は、茨城県北相馬郡利根町の風ライディングパークで、現在のオーナー・堀江由美さんに「チャー君」と呼ばれ、愛情をたっぷり注がれて余生を送っている。

(前回のつづき)

馬は出会った人によって、運命を左右される


 馬房から引き出され、洗い場に向かう途中、ワンモアチャッター(セン15)がパタッと立ち止った。その視線の先には風ライディングパークの男性会員さんが歩いている。

「あの方のかぶっている三角の帽子(ベトナムで良くみかける麦わら帽子・ノンラー)が、怖くて仕方ないんですよ(笑)」とオーナーの堀江由美さん。帽子をかぶった男性を注視するワンモアチャッターの図を撮り逃したのは失態だった。

「怖いものに出くわすと身を縮めるようにして、私の後ろに隠れるんですよ(笑)。殺虫剤のスプレーも怖かったみたいで、スプレーが出てきた時にも隠れていました(笑)」

 堀江さんは、自ら身を縮めて隠れるチャー君の真似をしてくれた。この時は残念ながら堀江さんの後ろに隠れるまではいかなかったが、耳をピーンと直立させて立ち止まったチャー君の姿からは、確かに緊張感が伝わってきた。

 帽子の男性が視界から去り、ようやく歩き出したチャー君は洗い場に収まった。堀江さんはチャー君の体にブラシをかけ、1本ずつ脚を上げて裏掘り(蹄の裏に詰まった藁やオガクズ、馬糞、泥等異物を除去する作業)をする。この裏掘りにもチャー君はこだわりを持っていた。

「後ろ脚を最初にやって、次に右前脚、そして左前脚と、この順番を守って裏掘りをやらないと嫌みたいなんですよ。後ろ脚は左右どちらからでも良いんですけどね。他の人が裏掘りをする時にはどの脚からやっても大丈夫なのに、私がやる時には順番通りじゃないとダメなんです(笑)」

 ひと通りの手順を終えて、堀江さんがチャー君の前に立った。「チューをしてくれるんですよ〜」と言うなり、堀江さんはチャー君に向かって「はい、チューッ」と合図を送った。

 するとチャー君は、堀江さんの口にチュッとキスをしたのだ。堀江さんが教え込んだとはいえ、チャー君は喜んでチューをしているようにしか見えない。写真を撮るために何度か繰り返してもらったが、時にはカメラ目線をしながらドヤ顔でキスをしている。その様子が妙に人間臭くて、撮影しながら笑ってしまった。

第二のストーリー

▲カメラ目線でこのドヤ顔!


 洗い場での楽しいひとときが終わって、馬場に出る。広い場所に放たれたチャー君の馬体は、張りがあってバランスが良かった。さすが重賞勝ち馬だけある。けれども全体的に歩様が良くなくて、ハ行気味なのだと堀江さんは教えてくれた。

 当然個体差もあるだろうが、重賞級のレースで走り続けていれば、大なり小なり体のあちこちに故障も出てくるはずだ。パッと見は今でも走れそうな雰囲気を醸し出していても、実際に肉体は消耗していたのかもしれない。話を聞いて競走馬の過酷さを再認識する形となった。

第二のストーリー

▲今でも現役で走れそうな雰囲気、だけども…


 それでもチャー君は、この上なく無邪気だ。

「あの一角が好きみたいで、馬場に出ても主にあの場所にいます」、堀江さんの言葉通り、入口に近い場所に立っている。遠くから漂ってくる匂いを感じてフレーメンをしたり、再び三角帽子の男性を見つけては耳を立てて注視してみたり、大好きな犬が視界に入ると一生懸命目で追い「一緒に遊ぼうよ〜」と呼びかけているような表情をしてみたり…。

「犬や小さい生き物が大好きなんですよ。一緒に遊びたくて仕方ないんですけど、犬の方は怖がって寄ってこないんです」(堀江さん)

 何度かそういうシーンが見られたが、チャー君の熱いラブコールに犬が応えることはついになかった。犬に相手にされないとわかると、馬場に背を向ける形で柵にもたれかっていた堀江さんの背後から近づいてきて、背中に顔をつけて甘え始めた。カメラを向けると、こちらに「チューしようよ」と言わんばかりに顔を寄せてきたので、お返しに首筋を撫でてあげるとプイッと顔をそむけた。

第二のストーリー

▲「ねえ、どう? 僕とチューしない?」


「自分から甘えてくる癖に、人から撫でられたりするのは嫌なんですよね〜」と堀江さん。その身勝手さもまた可愛い。

 運動がてら、堀江さんが騎乗することもある。「出だしは言うことを聞いてくれないですねえ。1回1回止まって、気になるものを全部見て確認するんですよ(笑)。今日は、隣の畑にいたおじさんに挨拶しに行っていました(笑)。後半は真面目に動いてくれますね」

 チャー君のエピソード、行動、表情、仕草、堀江さんとのやり取りなど、どれもが面白くて微笑ましくて、眺めていて飽きない。気がつけば、自然と笑顔になっていた。いつまでもこの時間が続いてほしい…チャー君には人にそう思わせる魅力があった。堀江さんが、チャー君の虜となり、オーナーになった理由も理解できた。

第二のストーリー

 堀江由美さんは、獨協大学馬術部の出身だ。風ライディングパークのオーナー・下重良太郎さんが馬術部の先輩という縁で、堀江さんはこの乗馬クラブに出入りをするようになる。そして2010年1月に競走馬を引退したワンモアチャッターが、風ライディングパークの一員となった。下重さんによると、来た当初に疝痛が5日間ほど続き、生命の危機を感じたこともあったそうだ。だがそれを乗り越えてからはずっと元気で、現在に至っているという。

 競走馬時代をよく知らなかった堀江さんにとって、ワンモアチャッターは最初から特別な馬だったわけではない。けれども接していくうちに、段々愛着も湧いてきて、いつの間にか離れがたい存在になっていた。そんな折、他の乗馬クラブに移るという話が浮上した。だがそうなると、堀江さんは頻繁にチャー君に会えなくなってしまう。同馬にすっかり魅了されていた堀江さんは、何とか自分の手の届く場所に預託することができないかと考え始めた。

 その過程でNPO法人引退馬協会に、相談を持ちかけたこともある。いろいろ思い悩んだ末に、とうとう自らが馬主になる決断をし、前オーナーからチャー君を譲り受けた。そして引き続き、風ライディングパークがチャー君の棲家となったのだった。

 堀江さんの自宅は千葉県にある。週に3日ほど預託料を稼ぐためにアルバイトに精を出し、週に3〜4日は風ライディングパークに通って朝から夕方までチャー君とともに過ごす。既婚者の堀江さんは「夫は全く馬を知らないので、呆れているんじゃないかと思います」は苦笑いするが、妻のワンモアチャッターへの思いをしっかり理解して尊重してくれる、素敵なご主人なのではないかと想像する。

 馬場での放牧が終わり、再び洗い場にチャー君は収まる。汗ばんだ馬体を水洗いする。ホースから出てくる水を体にあてられて、チャー君は気持ち良さそうだ。


堀江さんがホースをチャー君の口に持っていくと、歯をむき出しにした顔で美味しそうに水を飲んだ。喉がコクコクと動いて、体内に水分が入っていく様子がよくわかった。タオルを取りに堀江さんが洗い場を離れた途端に、チャー君は前掻きを始めた。カツカツカツカツ。コンクリートの上での前掻きだから、高らかに音が響く。食べ物がほしい時にはさらにスピードが上がって、高速前掻きになるらしい。

 ホースを踏んで水が出ないようにしてみたり、顔や体を拭くタオルをくわえてみたり、手入れの間中、チャー君は落ち着きがない。

「いつもこうなんですよ〜。すべてにおいて我儘ですしねえ。ご飯は1番にもらえないと、馬房の壁を蹴っ飛ばして怒ってます(笑)。高速前掻きをして必死にして、1番にもらっていますね」と堀江さんは困った風ではあるものの、口調は嬉しそうだ。そんなチャー君に「はい、良い顔して」とリクエストしてみると、顔を高く上げ、偉そうな表情でこちらを見下ろしてきた。

第二のストーリー

▲カッコ良い顔して〜とチャー君に頼んだら、上から目線のこの表情!


「これは、『俺、バナナや人参、食べてやっても良いよ』と言っている顔です」と堀江さんが通訳してくれた。取材させてもらうというのに、すっかりおやつを持ってくるのを忘れていた。「今度来る時には、必ず持ってきますから」と、チャー君には謝っておいた。

 手入れが終わると「さあ、行くよ」堀江さんはチャー君に優しく声をかける。堀江さんに引かれたチャー君が歩き出した。西日のオレンジに一瞬照らされた馬と人は、やがて厩舎へと吸い込まれて行った。

「馬は出会った人によって、運命を左右される」ワンモアチャッターと堀江由美さんの固い絆を目の当たりにして、改めてそう感じていた。(了)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※ワンモアチャッターは見学可です。

風ライディングパーク
〒300-1614 茨城県北相馬郡利根町立崎959
電話 0297-68-4746
HP http://www012.upp.so-net.ne.jp/KazeridingPark/
Facebook https://www.facebook.com/kazeridingpark

展示時間 9:00〜17:00
休憩時間 12:00〜13:00
見学の3日前までに事前連絡をお願いします。
(夏場など時間が変更になる場合があります)

ワンモアチャッターのFacebook
https://ja-jp.facebook.com/onemorechatter

引退名馬のワンモアチャッターの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/2000101479

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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