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吉田豊騎手(1)『20年来の師弟関係 師匠が残した密かな愛情』

  • 2015年10月05日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲40歳の節目の年にフリーとなった吉田豊騎手


騎手のフリー化が早いこの時代に、固い師弟関係を貫き通した吉田豊騎手と大久保洋吉元調教師。その関係は、実に20年以上にも及びます。2015年2月末、師の定年により厩舎は解散。40歳の節目の年にフリーとなった吉田騎手。この8か月を振り返るとともに、フリーへの本音、師と過ごした日々やメジロドーベルの思い出など、じっくりと語っていただきました。

(取材:赤見千尋)



「豊のこと、頼むな」


赤見 大久保厩舎が今年の2月に解散となり、3月1日付けでフリーになられましたが、環境は変わりましたか?

吉田 生活面はそんなに変わってないですよ。普段は攻め馬、週末は競馬というのは一緒ですからね。自厩舎の攻め馬は、「南(スタンド)から乗って山(坂路)3本」って決まっていたんですけど、今手伝わせてもらっている厩舎は、それぞれやり方が違うんです。「今日の一番は山から」とか、「南から」「北から」っていう移動が大変になった。そういう忙しさは増えたかな(笑)。

赤見 トレセンでの動き方が変わったんですね。

吉田 そうそう。あとは、前だと万が一攻め馬に出遅れても、助手さんが気付いて電話をくれましたが、今はそういうのをしてくれる人がいないですからね。絶対に出遅れられないので、「ちゃんと目覚ましかけたかな?」って、ピリピリしているのはあります。

赤見 デビューからずっとあったものがなくなるのは、不安ではなかったですか?

吉田 不安でしたし、今でもそうですよ。今までは自厩舎の攻め馬にびっしり乗っていたのが、「あれ? 今日は2頭しか乗ってないけど、大丈夫かな?」とか。そういうのって不安になるんですよね。

赤見 たしかに、攻め馬ってルーティーンと言いますか。「この馬はこの人に乗ってもらう」というのが大体決まっていて、今までは自厩舎があったものが、急に「空いてます」ってなるわけですもんね。

吉田 だから「これからどうなっちゃうのかな?」というのは、本当に思いました。あとは「いつか乗り鞍がなくなるのかな」という不安。所属している時は、攻め馬も競馬も毎週毎週乗り馬がいましたけど、「今週は乗り馬がいない」という時が、いずれ必ず来ると思いますので。

赤見 物理的なことよりも、精神的な不安の方が。

吉田 大きいですね。そういう中でも可愛がってくださる方々が周りにはいてくれて。尾形先生なんかは「お前は所属みたいなもんだ」って言ってくれるんです。本当にありがたい話ですよね。まあそれは、うちの先生が引退前に言ってくれてたみたいなんですけどね。

赤見 そうなんですか?

吉田 みたいです。「豊のこと、頼むな」って。先生同士仲が良いのもあって、所属の頃から尾形先生には可愛がってもらっていたんです。うちの先生もふざけ半分で、「お前、俺が辞めた後は、充弘のとこの所属になればいいじゃないか」って言ってましたしね。

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▲大久保洋吉元調教師、師匠として最後まで弟子のことを気遣った


赤見 引退された後も、大久保先生は存在感を放っていらっしゃいますね。おふたりの関係って、今の時代にはなかなかないですよね。デビューしてから先生が引退されるまでずっと所属って。

吉田 昔はそれが主流だったと思うんですけど、今はそういう時代ではないですからね。先生方も大変だと思います。育ててやりたい、乗せてやりたいけど、やっぱり馬主さんから預かっている馬ですから。要望があれば他の騎手を乗せないといけないときもある。乗せてあげられないからフリーにという時代なので、そういう意味でも良い先生に恵まれたと思いますよね。昔ながらの師弟関係の良さを、貫き通してくれました。

赤見 先生の思いを感じていらっしゃったんですね。

吉田 ずいぶんと守ってもらったと思いますしね。今だと「攻め馬乗れないの? それなら競馬もいいや」となることも多いですけど、僕の場合は昔から「お前は自厩舎の馬がいるから、攻め馬はこっちでやっておくよ」って言ってもらっていたので。そういうところでも、守られてたなって思いますよね。

赤見 騎乗に関しても、基本は自厩舎の馬を優先で?

吉田 そうです。それってありがたいことですよね。メジロドーベルのように、自厩舎で良い馬が出れば、ほぼ乗せてもらっていましたからね。

赤見 でもその分、他の厩舎の馬に乗るのは難しかったんじゃないですか?

吉田 ああ。それはたしかにあったかもしれないですけどね。よその馬で「ずっと乗っていたいな」と思うような馬が出てきても、同じレースに自厩舎の馬も使うとなったら、断らないといけなかったですし。そういう意味では、フリーの方がプラスのこともあるとは思うんですけど。

赤見 これまでに「フリーになりたいな」って思ったことはありましたか?

吉田 うーん。ないと言ったらうそになりますけど、本気で考えたことは本当に一度もなくて。「もしフリーだったら、もっといろいろな馬の攻め馬をして、競馬にも乗れるのかな」というのは思ったこともありましたけど、そのくらいですかね。

大体フリーになるジョッキーって、師匠から「よその攻め馬もどんどん手伝っていいよ」って言われて、ベースが出来てからなることが多いと思うんですけど、うちは「追い切りもお前が乗れ!」って、間違いなく乗らないといけない感じでしたからね。「僕がフリーになったら、追い切りに乗る人がいなくなっちゃうな」というのもあったので、フリーというのはあまり考えなかったです。

赤見 だって所属の頃は、最後の最後まで攻め馬に乗っていらっしゃいましたもんね。1人帰り2人帰り、誰もいなくなった馬場に、大久保厩舎と戸田厩舎だけが残っているという。

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▲「大久保厩舎は調教に、どこよりも長く時間をかけていましたよね」


吉田 そうそう、そういう感じだったと思います。うちは遅くまでやってましたから。

赤見 戸田先生は大久保先生の門下生ですしね。「もう少し早く終わったらな」という不満はなかったですか?

吉田 もう慣れですかね。突然変わったなら「うわ〜、早く帰りたい」ってなると思うんですけど、最初からでしたから。今では早く終わる日が増えましたけど、それはそれで不安だったりしてね(笑)。

赤見 染みついていますね。先生からは「そろそろフリーに」みたいな素振りはなかったんですか?

吉田 それはなかったです。「お前、フリーになるか?」って先生から話があれば、ちょっとは考えたのかもしれないですけど、先生に言わせたら「お前は弟子なんだから、攻め馬をビシッとしろ。競馬だって乗せてやるんだから」というような関係でしたので。

そのうち「先生の定年まであと何年」って考えるようになったんですよね。だいたい所属して10年ぐらいでフリーになるじゃないですか。その10年の時に「先生、あと10年だな」って。

赤見 もう10年って、長くないですか!?

吉田 あっ、そうですか? 特に最後の5年は、本当にそういう感じでしたよ。周りからも「フリーにならないの?」って結構言われましたけど、「いや、先生があと5年なので」って言って。

赤見 たしかに「あと5年」というキーワードは、オープン馬が出たりクラシックを目指したりするような馬がいると。

吉田 そうなんですよ。「この馬は最後まで先生が面倒みられるな」って思ったら、「自分も先生が引退するまで所属でいたい」って、最後の方はずっとそんなふうに思っていました。

(次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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