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メジロマイヤー&グラスワールド 南相馬で暮らす重賞ウイナーたち/動画

  • 2015年10月13日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲2002年のダービー卿CTを制したグラスワールド


メジロマイヤー、ヤンチャすぎて包帯姿に


 今年3月1日に全線が開通した常磐自動車道を通って、福島県南相馬市に向かったのは9月半ばだった。福島県に入ると、所々に放射線量を示す電光掲示板がある。最も線量が高い場所で5マイクロシーベルト前後。窓の外に視線を移すと、人気のない集落が続いていた。

 時折、見かけるのは、除染作業を行う人や車のようだ。常磐自動車道を利用したのは、今回で2回目。まだ原発事故の爪痕は深くこの地に残っているのだなと、この道を通るたびに実感させられる。

 そのような状況の中、今年もまた伝統行事の相馬野馬追が行われた。今回の取材先にも、野馬追に参加している馬たちが暮らしている。その中には中央競馬や地方競馬で活躍した馬も、生活している。

 南相馬ICで降り、電話で教えてもらった通りの道順をたどっていくにつれ、道幅は狭くなった。小山の細い道を登っていった先には、建物と馬場が現れ、馬の姿が目に入ってきた。ここは仲山トレーニングセンターという名がつけられている。管理している佐藤徳(いさお)さんが、気さくな笑顔で出迎えてくれた。

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▲仲山トレーニングセンター


 馬繋場には、左後肢に包帯を巻いた馬がいた。

「この馬がメジロマイヤー(牡16)ですよ。うるさくて、自分で脚を蹴って怪我をしちゃったんです」。包帯姿が痛々しいが、普段は本当にヤンチャらしい。

 メジロマイヤーは、1999年3月18日に北海道伊達市のメジロ牧場で生まれた。父はサクラバクシンオー、母はメジロエルナス、母父にサッカーボーイという血統だ。

 2歳の9月にデビューして4戦目で初勝利を挙げると、白梅賞(500万下)、きさらぎ賞(GIII・2002年)と3連勝で重賞初制覇を成し遂げた。しかし皐月賞、NHKマイルとGIレースでは18着、12着と大敗を喫してしまう。その後は勝ち星から遠ざかり、しばらく振りの勝利が2004年4月の道頓堀S(1600万下)だった。

 その3週後、レースの前日に亡くなったメジロの北野ミヤ氏の弔い合戦となったオーストラリアT(OP)を武豊騎手騎乗で制して2連勝し、能力のあるところを示した。続く安田記念(G1)の18着後、長期休養を挟み、復帰後3戦目の小倉大賞典(GIII)では、およそ4年振りに重賞に優勝。この勝利は、当時のJRAの重賞最長間隔勝利記録にもなった。だがこの勝利以降は大敗が続き、2008年5月8日に競走馬登録が抹消されている。

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▲メジロマイヤー、左後肢に包帯が巻かれている


 現役生活を退いたメジロマイヤーは、福島県南相馬市の佐藤徳さんのもとへとやって来て、2008年12月からは引退名馬として繋養され、BTC(当時)の助成金を受けるようになった。

「去勢手術をしようとしたんだけど、睾丸が片方どこにあるかわからなくて、結局去勢できずに牡のままなんです。だからうるさくてねえ。今はだいぶ大人しくなったけど、初めは人に噛みついたり蹴ったりで、手入れも何もできなかったんですよ。この馬の育成に携わった人は、若い頃は育成した同期の馬の中で1番大人しかったと言っていました。でもレースに出るたびにうるさくなっていったみたいですね。

まあ牡のままですから、乗馬も何もしないですし、野馬追にも出ていませんからね。もうそんな生活が5年以上になるかなあ。いやそれどころじゃないな、7年くらいかな。まあ好き放題ですよね(笑)。牝馬が来たら騒ぐし、人が来たらかじったり蹴ったりするし(笑)。ただご飯を食べているだけ(笑)。馬は幸せでしょうけどねえ(笑)」

 いつもはヤンチャなメジロマイヤーだが、怪我のせいか若干元気のない様子で馬繋場に立っている。

「放牧したりで1日のんびりと過ごしているんだし、怪我をしないように気をつけてほしいんだけど(笑)、馬はわかってないでしょうねぇ(笑)」と佐藤さんは、マイヤーを前に苦笑いしていた。

「でもこの馬は人気があるみたいですね。ファンからの問い合わせが良くきますよ。武豊騎手で2連勝(2004年4月の道頓堀S、オーストラリアT)したのが皆さん印象に残っているのではないでしょうかね。あとは川田騎手が、初めて重賞(小倉大賞典)を勝ったのがこの馬なんですよ。川田君にメジロはここにいるよと教えてあげたいですね」

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▲2006年の小倉大賞典優勝時のメジロマイヤー


ミルコ・デムーロが甲冑姿で騎乗


 ここにはメジロマイヤーのほか、グラスワールド(セン19)、マキバスナイパー(セン20)、マイネルアムンゼン(セン16)といった重賞勝ち馬がいるが、秋の日射しに美しい栗毛がひと際映えていたのが、2002年のダービー卿CT(GIII)に優勝したマル外のグラスワールドだ。

 グラスワールドは、1996年4月8日にアメリカで生まれている。父はRahy、母はA Chance of Storm、母父Storm Cat という血統だ。美浦の鈴木勝美厩舎から1999年1月にデビューし、3戦目で初勝利を挙げている。

 デビューからずっとダートで走り続けてきたが、初めての芝でのレースとなった1600万下の武庫川S(2002年)でいきなり勝って、オープン入りを果たした。この時既に6歳と遅咲きのグラスワールドは、オープン入り直後のダービー卿CT(GIII)では重賞初挑戦で初制覇を成し遂げている。続く京王杯SC(GII)で2着、安田記念(G1)では4着と、この時期が競走馬として一番の充実期だったと言っても良いだろう。

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▲競走馬時代のグラスワールド(撮影:下野雄規)


 秋の富士S(GIII)で3着、翌年の京都金杯(GIII)では2着など好走はあったが、徐々に成績が伸び悩むようになり、2005年12月23日付で競走馬登録が抹消された。引退名馬としてBTC(当時)の助成金を受け始めたのは、2009年の1月から。毎年、野馬追にも参加している。

「この馬は誰も乗らないものだから、私が乗っています。野馬追でも私が乗ってお行列に出ています。音にはかなり敏感だから、そこは注意しないとならないけどね。あとは引っ掛かっていくわけでも何でもないけど…。まあ1週間も乗れば大人しくなりますよ(笑)」

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▲グラスワールドの背には数々の有名人が跨っているという



 佐藤さん以外は乗らないというグラスワールドだが、テレビ取材では数々の有名人がその背に跨っている。

「綾瀬はるかさんが乗っても落とさないんだから(笑)。この馬に乗って、ここをぐるーっと歩いてきてね。ミルコ・デムーロも甲冑を着て、野馬追の装備で乗りましたよ。『跨るとピリピリしてる』って言っていました。『走らせてみたら?』と聞いたら、甲冑着ているから怖かったみたいで、走らせられなかったですね。レースがあるし、怪我をしても困りますからね。でも甲冑を身に着けることができて、とても喜んでいましたよ」

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▲野馬追のポスター、馬上は佐藤さん


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▲佐藤さん宅に飾られている野馬追で着用する甲冑など


 グラスワールドは、時折、頭を上下に振って頷くような仕草を見せる。まるでこちらの話に相槌を打っているようだった。

「今年で19歳になりますけど、放牧に出した時なんかは元気ですよ」。野馬追でも相棒を務める愛馬を、佐藤さんは優しいまなざしで見つめた。(文中敬称略、つづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※メジロマイヤー、グラスワールド、マキバスナイパー、マイネルアムンゼンは、見学可です。

仲山トレーニングセンター
〒975-0071 南相馬市原町区深野中山宮平
電話 090-3759-4419(佐藤徳さん)
展示時間 8時〜15時
(見学申し込み方法 要事前連絡 2日前まで)

引退名馬(meiba.jp)のメジロマイヤーの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1999106614

引退名馬(meiba.jp)のグラスワールドの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1996110186

引退名馬(meiba.jp)のマキバスナイパーの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1995108222

引退名馬(meiba.jp)のマイネルアムンゼンの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1999100878

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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