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吉田豊騎手(3)『厩舎はバラバラになっても“大久保一派”』

  • 2015年10月19日(月) 12時00分
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▲厩舎最後の日に向かっていく時の思いを振り返る


メジロドーベルをはじめ、ショウナンカンプやショウナンパントルなどのGI馬を育てた大久保洋吉調教師。いち時代を築いた名伯楽に、引退の時が日一日と近づいていきます。ゆかりのドーベル血統でダービーに出られた喜び、最後の日、先生を囲んでのお疲れさま会の秘話から、“大久保一派”の絆が見えてきます。

(取材:赤見千尋)



(前回のつづき)

調教中に大久保先生が…


赤見 大久保先生とのエピソードはたくさんあると思いますが、特に印象に残っている出来事ってありますか。

吉田 競馬でもそうですけど、調教の時にものすごく怒鳴られたというのはありますね。

赤見 調教で怒鳴られた?

吉田 先生はスタンドから見てるじゃないですか。僕が乗っていて、多分時計か何かが違ったんでしょうね。スタンドから「ワーッ」って怒鳴り声が聞こえてきて。

赤見 えっ、でも、スタンドと馬場は距離がありますよね?

吉田 そう。なので、何を言ってるのかはさっぱりわからなかったんですけど、とにかくすごく怒鳴っていると。今だったら携帯電話ですぐ話せますけど、結構昔の話なので「これはすぐに行かなきゃ」って、慌てて先生のもとへ行ったのをすごく覚えています。

赤見 皆に聞こえるところで、ガーッと怒られるんですか?

吉田 そうですね。結構ガーッと怒る先生でしたから。でも、次の時にはもうさっぱりしているんです。そういう感じで、最後の最後まで先生には怒られましたね(苦笑)。

赤見 大久保先生って笑うとすごく優しいですけど、あのサングラスをかけてると、どうしても怖い感じがして…(笑)。

吉田 そうですよね。でも、僕以外の人には優しいですよ。特に女性には(笑)。先生を見てると騎手に対しても、他の騎手に乗せている時と僕とでは接し方が全然違いましたから。「いやいや、僕が同じことやったら、どれだけドヤされただろうな」、みたいなのはよくありました(笑)。まあ、所属の先生はそうですよね。他の騎手には言わないようなことでも、弟子には結構言いますし。

赤見 弟子は自分の子どもみたいな存在なんでしょうね。

“大久保一派”の絆


赤見 大久保先生の引退が今年の2月と決まっていて、その日に向けてどんどん時間が進んでいくわけですよね。

吉田 最後の1年は特に「このレースも先生にとっては最後なんだな」「この世代がクラシック最後なんだな」って思ってましたよね。だからこそ、ショウナンラグーンでダービーに出られたのはうれしかったですよね。青葉賞に出た時点で1勝馬でしたし、そこで権利を取れた時は、「ああ、本当によかったな」って思いました。

赤見 10番人気で勝ったあの青葉賞は、相当な盛り上がりでしたね。

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▲1勝馬ながら青葉賞を勝利、執念でダービーへの権利を勝ち取った(撮影:下野雄規)


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▲ショウナン国本オーナーと喜びのひととき


吉田 メジロドーベル血統だというのもありましたしね。厩舎の最後の方は、ショウナンさんの馬はあまり入っていなかったんですけど、先生が最後に買ってもらった大事な馬でしたので、何とか結果を出したいと思ったんです。

赤見 ドーベルからつながっている人と馬が、あそこで1つの形になったような感動がありました。

吉田 ラグーンの厩務員さんは、ドーベルをやっていた人なんです。僕にとっても、一番お世話になった厩務員さんで。僕があんちゃんの時からかわいがってもらったし、先生に「(レースに)豊で行こうよ」って言ってくれるような人なんです。その人の馬で最後にダービーに出られたのも、僕としてはすごくうれしかったですね。

赤見 先生も、相当感極まってらっしゃいましたよね。

吉田 うれしかったと思いますね。本当は、ダービーでもっと良い結果を出せればよかったんですけど(6着)。そういう意味では残念でしたけど、挑戦できたことがよかったです。ダービーの後も、「秋は菊花賞を目指して」という良い雰囲気で行けましたしね(菊花賞5着)。あの馬と厩舎の皆で過ごせた時間は忘れられませんね。

赤見 大久保厩舎の厩務員さんや助手さんは、長い方が多かったじゃないですか。1つのファミリーが解散になってしまうような寂しさがありますね。

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▲絆の強かった大久保厩舎「1つのファミリーが解散になってしまうような寂しさが」


吉田 間違いなくバラバラになりますからね。それまで、定年で辞めていく人はいましたけど、同じ仕事はしてるけどよその厩舎に行ってしまうというのは、初めての経験でしたので。

まあ、でもね、皆よそへ行ってからも良い競馬をしてるので。そういうのを見ると「よかったね」みたいな気持になりますよね。バラバラにはなったけども、会うとやっぱり“大久保一派”というか、そういう感じでいられる仲間ですよね。

赤見 絆を感じます。そして最後の日ですが、先生とは何かお話をされたり?

吉田 いや、これといって特別なことは。

赤見 なかったんですか? 2人だけのセレモニー的なものは?

吉田 最後の馬に乗って、レース後に先生に花束を渡したというのはあったんですけども。少しウルッとはきましたけど、その時はそこまではなかったです。と言うのも、後日先生のお疲れさま会をやるのが決まっていたので。その日は「もう厩舎は終わっちゃうんだな…」というのを一番感じましたね。それこそ、次の日から皆バラバラだなって。

赤見 その会であいさつはされたんですか?

吉田 しましたね。先生って、弟子がいっぱいいるんです。4人も調教師になっているんですね。土田先生、戸田先生、尾関先生、高橋文先生って1人ずつあいさつしていくんですけど、最初の土田先生からいきなりウルウルきていて。オイッ! と思いましたよね。それを見たら、つられてウルウルしてきちゃって。

赤見 吉田騎手の順番は?

吉田 ちょうど次だったんです。もうそういう雰囲気でしたし、そうなると弱いですよね。と言うのも、土田先生のそういう姿が意外だったんです。そういうタイプじゃないと思っていたので、余計にグッときてしまって。

 土田先生は、厩舎から最初に調教師になった先生なんです。僕が厩舎で一緒になったのは、先生が見習い調教師の1年間だけだったので、大久保先生と土田先生の関係があまりわかっていなくて。そこを知らない分、あの涙を見た時に「僕が知らないところで、たくさんの思い出があったんだろうな」って思ったんですよね。

赤見 本当に1つのファミリーですよね。

吉田 まさにそういう感じです。僕自身も、あんちゃんの頃から本当に皆に応援してもらって、支えてもらってきましたしね。そういう意味でも、大久保厩舎にいられて本当に良かったなと思いますね。

(次回につづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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