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ゴールドシップ、故郷に帰る

  • 2016年01月06日(水) 18時00分
ゴールドシップ

ゴールドシップ


よくぞこの名馬が日高に帰ってきてくれたものと思う

 2011年7月にデビューして以来、昨年暮れの有馬記念まで5年近くにわたり競走馬として過ごしてきたゴールドシップが、1月6日(水)午前8時、種牡馬生活をスタートさせる新冠のビッグレッドファーム(以降BRF)に到着した。前日、茨城県のBRF鉾田トレーニングセンターを出発し、一昼夜かけてはるばる海を渡ってきたのだ。

 予定時刻通りの到着であった。十勝馬匹輸送の馬運車が牧場に姿を現したのは7時55分頃。あいにく空はどんよりと曇っていたが、風はなく気温もそれほど下がっていない。

ゴールドシップ

馬運車から降りるゴールドシップ



 馬運車の後扉が静かに開き、中の観音扉が左右に開くと、裸のままのゴールドシップが静かにバックしながら馬積台に降りてくる。馬運車の後ろで向きを変えると、そのまままっすぐに種牡馬厩舎まで引かれて行く。5年間故障知らずのまま走り続けてきただけあって、足取りは軽く、どこも痛そうなところがない。しきりに周囲を見渡しては時々嘶くが、立ち上がったり暴れたりすることもなく、種牡馬厩舎の前まで歩いてきた。

 馬房に入る前に、厩舎前の展示スペースに立たされ、そこで臨時の撮影会となった。生産者の出口牧場代表・出口俊一氏を始め、カメラマンやライターなどがざっと10人、そしてBRFの岡田紘和氏、蛯名聡マネージャー、もちろん“総帥”岡田繁幸氏も見守る中、メンコが外されると、ゴールドシップの表情豊かな素顔が現れた。

ゴールドシップ

メンコを外されてお披露目されたゴールドシップ



 すでに1株1400万円で70口のシンジケートが組まれており、今年度は取りあえず30株程度の余勢株を発行する予定という。余勢種付け料は300万円。もちろん人気の高さや父ステイゴールド亡き後という事情を考えれば、交配申し込みはさらに増えそうだ。

 BRFの受け入れ体制は完璧で、馬房には馬名を記したプレートがかけられ、馬名入りの皮頭絡も用意されている。また、種牡馬厩舎を出たすぐのところの専用放牧地入口には、馬名を記した看板も設置されていた。
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ゴールドシップ専用放牧地


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馬房のプレートと専用皮頭絡



 今後の予定は、まず長い間装着していた蹄鉄を外し、体調を見て近いうちに試験種付けを行なうことになる。俗な表現だが、「童貞を捨てる」わけである。

 いくら動物の本能とはいっても、こればかりは個体差があり、最初から難なく種付けをこなす種牡馬もいれば、そうでない馬もいる。これは「やってみなければ分からない」未知なる分野だ。もちろん、試験種付けと並行して精液検査も実施する。

 問題なく“お仕事”をこなせるようになったら、いよいよ種牡馬生活のスタートだ。おそらく来月の種牡馬展示会の頃には、一定数の繁殖牝馬に交配を済ませているだろう。

ゴールドシップ

厩舎に向かうゴールドシップ



 さしあたり、ファンの方々にもお披露目される最初の機会がこの展示会で、今年はかなりの賑わいになるであろうことが予想される。

 28戦でG1レース6勝を含む13勝を挙げた歴代屈指の実力馬だったのはもちろんだが、それ以上に強く「記憶に残る」強烈な個性を持つ馬であった。有馬記念後の引退式で、最後の口取り写真を撮る直前にも、関係者の待つ列の位置まで容易に近づかず、見守る多くのファンをやきもきさせたのは記憶に新しい。じっと前方の何かを凝視し、自分が納得できないうちはテコでも動かないぞ、というような強い意志を感じさせられる一コマであった。表情豊かな、いかにも賢そうな馬という印象をますます強くした。

ゴールドシップ

馬房でくつろぐゴールドシップ



 よくぞこの名馬が日高に帰ってきてくれたものと思う。これからしばらくは、ゴールドシップ関連のニュースが日高から発信されることになるだろう。展示会に始まり、来年には初産駒誕生、そして産駒の中には当歳市場に上場される馬も出てくるだろうし、いずれゴールドシップ二世が競馬場でデビューする日もやってくる。今からその日が待ち遠しい。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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