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今年のエクリプス賞特別功労賞を受賞したレオナルド・ラヴィン氏

  • 2016年01月20日(水) 12時00分


ラヴィン氏は「競馬人としての自分にとって、何物にも代えがたい最高の栄誉である」とコメントを発表



 1月16日(土曜日)、フロリダ州のガルフストリームパークで、今年で45回目を迎えた「エクリプス賞」の授賞セレモニーが行われた。

 大方の予想通り、年度代表馬には37年ぶり史上12頭目の3冠を達成したアメリカンフェイローが選ばれたが、投票した261人全員が同馬を選ぶ「満票」での選出となった。年度代表馬の満票は、エクリプス賞の歴史上、1981年にジョンヘンリーが選出された時にあっただけで、アメリカンフェイローが達成したのは34年ぶり史上2頭目となる快挙だった。

 アメリカンフェイローをはじめとした受賞馬や受賞者の顔触れは、様々なメディアで報じられているので、ここでは「Award of Merit(=特別功労賞)」を受賞したレオナルド・ラヴィン氏の人となりをご紹介したいと思う。

 特別功労賞とは、その名の通り、北米競馬界の繁栄に長年にわたって貢献してきた人物の功績を讃える賞である。今年の受賞者レオナルド・ラヴィン氏は、1919年10月29日にイリノイ州のシカゴでお生まれになっており、御年96歳となる。

 競馬との出会いは、9歳の時に親に連れられて出かけた1928年のケンタッキーダービーで、勝ち馬は、古馬になって英国に遠征しエプソムのコロネーションCを制するという歴史的偉業を達成したリーカウントだった。すなわち、その後アメリカに出現した、シービスケット、カウントフリート、サイテーション、ケルソ、ドクターフェイガー、セクレタリアトといった名馬を、ことごとくその目で見ているという、アメリカ競馬の生き字引のような人物である。

 初めて見たケンタッキーダービーに魅せられ、自分もいつか馬主になりたいという夢を抱いたラヴィン少年は、ワシントン大学を卒業し、海軍に4年間所属した後、まずは生活雑貨の販売を行う会社に就職。営業マンとしての日々を過ごした。独立したのは35歳の時で、西海岸にあった化粧品会社から、ヘルスケアとビューティーケア関連の部署を買収。ヘアケア製品を中心に扱うアルバート・カルバー社を設立した。日本でもよく売れた「VO5」というブランド名のヘアスプレーがアルバート・カルバー社の商品の1つで、世の中が豊かになり人々が装うことにお金を使う時代の潮流に乗り、なおかつ、男性社会にコスメ商品のマーケットを広げるという卓越した経営手腕を発揮し、レオナルド・ラヴィン氏のアルバート・カルバー社は急成長を遂げた。

 馬を持つという念願を叶えたのは、ラヴィン氏が46歳となった1966年で、翌年にギャビーアビーという持ち馬で馬主としての初勝利を手にしている。馬を持つと同時に、フロリダ州のオカラに開設したのが、競走馬の生産と育成を行うグレンヒル・ファームで、その後、1947年に結婚し本業でも片腕となっていたバーニス夫人とラヴィン氏にとって、オカラは第2の故郷となった。数々の企業買収を手掛けてきたラヴィン氏だが、2003年に発刊された自伝の中で、グレンヒル・ファームを手に入れたことは、自分にとって「生涯最高の買収である」と回顧している。

 それくらい気に入っているグレンヒルからは、1994年のG1BCディスタフ勝ち馬ワンドリーマーを筆頭に、今日まで80頭を越えるステークス勝ち馬が出現している。ちなみにワンドリーマーの父リローンチは、グレンヒルの服色で現役生活を送った馬だが、グレンヒルの生産馬ではない。

 ラヴィン氏が「生涯忘れえない瞬間」と振り返るのが、1972年の夏に行われた、ラヴィン氏が所有する4歳牝馬コンヴェニエンスと、6歳牝馬タイプキャストの間で行われたマッチレースである。タイプキャストと聞いて、古い競馬ファンの方はおそらく、『あのタイプキャストかい?』と、お訊ねになることだろう。そう、引退後は日本で繁殖入りし、3200mだった時代の秋の天皇賞を大逃げで制したプリティキャストの母となった、あのタイプキャストである。牡馬を破ったマンオウォーSやハリウッド招待ターフH(現在のチャーリーウィッティングハムS)を含めて年間で6つのステークスを制し、エクリプス賞最優秀4歳以上牝馬に選出される大活躍を見せたのがこの年のタイプキャストだったのだが、この女傑を相手にラヴィン氏のコンヴェニエンスは頭差で競り勝って、マッチレースに勝利したのである。

 ラヴィン氏のアルバート・カルバー社は、1990年にブリーダーズCのスポンサーになり、同社による後援は2005年まで続いた。その後、ラヴィン氏は2010年に、欧州を拠点とする日用品販売の大手ユニリーバ社に、アルバート・カルバー社を37億ドル、同時のレートで3100億円余りで売却している。

 功なり名を遂げた後のラヴィン氏は、競馬サークルが関係したものを含めて、チャリティー活動に積極的に参画。また、母校のワシントン大学を含めて、ラヴィン氏が供出した基金をもとにした奨学金制度を備えた大学が、全米中に複数ある。更に、2005年8月にハリケーン・カトリーナによってルイジアナ州のニューオリンズを中心に壊滅的な被害が出た際に、被害者救済のために多額の私財を提供したことでも知られている。今回の特別功労賞受賞の背景には、こうした社会貢献に対する競馬サークルからの謝辞という意味もあると見られている。

 ラヴィン氏は残念ながら授賞式には出席せず、グレンヒル・ファームの現当主である孫のクレイグ・バーニック氏が代理で出た。ラヴィン氏は自宅のテレビで、授賞式の生中継を楽しんだという。

 競馬を好きになって90年近くが経ち、馬主となって50年目を迎えた中、「思いがけずにいただけることになったエクリプス賞特別功労賞は、競馬人としての自分にとって、何物にも代えがたい最高の栄誉である」と、ラヴィン氏はコメントを発表している。

 日本にも競馬の殿堂があって、功績のあった調教師や騎手を讃える制度があるが、一方で、調教師と騎手以外の立場で競馬界に長く貢献した人物をリスペクトするシステムは、残念ながら現在の日本にはない。誰が、いつ、どういう基準で「特別功労者」を選ぶのか、難しい面もあろうかと思うが、例えば野球殿堂のエキスパート部門のようなものが、競馬の世界にも出来たらよいと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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