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女性を籠絡する天性の才能 プレイボーイなキゼンラック/動画

  • 2016年01月26日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲代表の中山光右さんに「ちょい悪おやじですよ(笑)」と評されるラック、その憎めない素顔とは


(前回のつづき)

壮絶な出産エピソード


ケーキを囲んでの誕生会が終わり、中山光右さんが再び跨ったのは競走馬名プロディージュこと10歳の紋次郎。「名前覚えられないから、すぐこういう名前にしちゃうんだよね」と中山さんは笑った。東京ダービー(11着)にも出走経験があり、南関東で9勝を挙げる活躍をした馬だ。8歳まで現役を続け、最後のレースが2014年10月22日、重賞のマイルグランプリ(14着)。

 その後、群馬県馬事公苑で乗馬となり、乗馬クラブアリサには約1か月前にやってきたばかり。中山さんを背に、プロディージュは見事な斜め横足を披露してくれた。修正する点もまだあるとのことだが、中山さんが運動をさせた後に会員さんが騎乗していたように、乗馬としてしっかりと歩みを進めている。

第二のストーリー

▲プロディージュと、跨る中山さん



 乗馬クラブ名の由来を聞くと、女ボスとして君臨していたアングロアラブの芦毛の牝馬、アリサから名付けたそうだ。アリサは、1990年5月20日生まれ。シナノアリサの名前で北海道や佐賀、笠松で走り、66戦11勝という成績を残して乗馬となった。4年ほど前に病気のために亡くなっている。

 そのアリサが大の苦手だったのが、現在21歳のラックだ。「アリサがいなくなって、馬場に放牧に出ても伸び伸びしていますよ」と中山さんの奥様の千賀子さん。そのくらいラックにとって、アリサは天敵だった。

 ラックは1995年4月18日、父トロメオ、母キシュウラックの間に北海道浦河町の渡辺牧場で生まれた。だがこの出産時、母と子に大きな試練が待ち受けていた。

「出てくる道を間違えたのか、一度お尻から顔を出したっていうんだよね。それを引っ込めて、ちゃんと出産したらしいけど。明るいところに顔を出して、また暗いところに戻って大変だったよね」と中山さん。そんなことがあるのかと驚き、詳しく話を聞くために渡辺牧場の渡辺はるみさんに電話をかけた。

「放牧地の真ん中で母馬が寝ていて、駆け付けると頭と前肢が既に出ていました。でもそれは腸を突き破って肛門から出ていたんです。私が獣医に電話をするために厩舎に戻っている間に、主人と従業員の女の子が仔馬をもう1度中に押し戻して、ちゃんと出産させていました」(はるみさん)

 仔馬が母馬の腸を突き破るという想像を絶する状況下で、よくぞもう一度体内に押し戻し、再度正しい道を通って生まれてきたものだ。初産だった母キシュウラックの破れた腸は獣医によって縫合の処置が施され、仔馬は母馬が苦しくて寝たり起きたりするたびに、お尻から出ていた顔を地面に打ち付けながらも、無事だった。

「顔を地面に何度も打ち付けられたものですから、瞼が腫れてまるでカメレオンみたいになっていました」と渡辺さんは当時のラックの様子を教えてくれた。誕生のその瞬間に大きな試練を乗り越えたラックだが、その後は順調に成長して、キゼンラックと名付けられて栗東の坂田正行厩舎から競走馬としてデビュー。障害レースを含めて2勝を挙げて競走馬登録が抹消された。しかし乗馬となったラックに、再び試練が訪れた。

 動かなくて乗用馬として不向きと某乗馬クラブで烙印を押されたラックは、生まれ故郷の渡辺牧場に戻っていた。そこへいななき会から、ラックを乗馬として引き取ってくれるクラブがあるという朗報が飛び込んできた。

「当時は観光乗馬もやっていて、もう1頭、馬がほしかったんですね。体の大きな人が乗りに来たり、初心者も来るので、なるべく大きくて大人しい馬をといななき会に相談したら、渡辺牧場にいる馬が良いという話でしたので、その馬にしましょうと…。それがラックでした」と、中山さんの奥様の千賀子さんがその経緯を説明してくれた。

 ラックが乗馬向きではないことも承知の上で、引き受けてくれるという願ってもない申し出に、はるみさんもホッと胸を撫でおろした。

「動かないと言っても、競馬でも走っていたわけだし、銅像じゃないんだからさ(笑)。はるみさんの子供でも引っ張れるくらい大人しいとは聞いていたけど…。でも動かなかったなあ(笑)。引っ張って10m歩くの大変だったよ(笑)。最初は鞭を見ると止まっちゃう。競馬場から来た馬は、鞭に慣らすのが大変なんですよ。鞭を見ただけで吹っ飛んでいく馬がいるから。でも競馬では走らなければならないわけだから、叩くのも仕方ないよね。僕は体を撫でて、鞭を愛撫に使うんです。鞭は安全だよということを、まず教えます。そのあたりが、競馬とは違うところだね。鞭で叩かれると、馬はいじめられていると思っているかもしれないしね。鞭は撫でて優しくしてくれるものなんだと、そう感じるまで時間がかかるんですよね。

 あとは悪いところを直すのではなくて、良いところを伸ばすようにしています。人間だって悪い癖はなかなか直らないよね。だから長所をうんと伸ばすようにすれば、悪いところは見えづらくなる。そうすると、馬も自信がついてくるんだよね。これは人間の子供も同じだと思いますよ」

寝たい、食いたい、さぼりたい


 中山さんの話は、当たり前のようで新鮮だった。人間関係においても、相手の欠点ばかりに目が行き、それがいさかいのもととなる場合も多々ある。欠点ではなくて、良いところを見て長所を伸ばす。これは対馬、対子供に限らず、あらゆる場面で生かせそうだ。

 千賀子さんによるとラックの長所は「大人しくて冷静なところ」だという。

「すごく冷静です。ルージュ(競走馬名マキバルージュ)は好奇心が旺盛で、馬場に放しても先に出て行ってワーッと遊びます。ラックはルージュに放牧地の様子を見させて、大丈夫だなと思ったら自分も行くという感じですね。人のこともよく観察していて、この人はどの馬のお母さん(馬主)だとかちゃんとわかっていますよ」

 千賀子さんの言葉を継いで「基本的に、寝たい、食いたい、さぼりたいだよね(笑)」と中山さんはラックを評した。

「仕事はあまり好きではないけれど、できないと思われるのもいやだから、ビリにはなりたくないんです。だからいつも真ん中あたりにいます」(千賀子さん)

 人間に例えると、仕事はできるのに出世欲はなく、リストラされない程度に働くタイプ。そんなラックを気に入らなかったのが、仕事熱心な女ボスのアリサだった。そしてある日事件が起こった。

「ラックに鞍をつけて馬場に出たら、ダラダラして何もやらないんですよ。アリサはその様子をずっと見ていてね。それでアリサと交代させようと、ラックを洗い場に繋いで、アリサを連れてきたの。そうしたらアリサがラックのお尻にバクーッと噛みついたんだよね(笑)。それ以来、アリサがいると絶対に洗い場に入らなくなっちゃった。一緒に放牧をしても、アリサから一番離れたところにいるんだよね。アリサの近くに行く時には、他の馬を間に入れるとかね。ラックは頭が良いから、他の馬は騙せるんです。トム(競走馬名パワーファントム)なんか、餌さえ食べられれば良いからすぐに騙されちゃう(笑)。でもアリサにだけは、それが通用しなかったんですよね」

第二のストーリー

▲ラックに騙されてしまうトムことパワーファントム


 お尻に噛みつかれたその日から、アリサがラックの目の上のたんこぶとなった。そしてアリサ亡きあと、ラックは若い女の子をナンパしたりして悠々と暮らしている。

「アリサが苦手だったので、女には興味がないと思っていたんです。ところが姫ちゃん(愛姫:競走馬名:ケイビイネイチャー)が来たら夢中になっちゃって。姫ちゃんが来たその日のうちにナンパしちゃった(笑)。次の日には腕組むような感じで一緒にルンルンで歩いていました。でもラックは利口だよ。その時には僕とは目を合わせなかったから(笑)。

 その後も、5頭くらい一緒に馬場に放牧したら、ラックと姫ちゃんがいつも肩寄せて2人で歩いているんだよ。でも最近はラックが飽きてきて、あまり姫ちゃんの方に行かなくなったんですよ。姫ちゃんがそばに行くと、ルージュとか他の馬を間に入れて、自分はスッと逃げるんだよね。人間でもいるでしょ。でも姫ちゃんは純情でラック一筋だから、騙されているのがわからないんだよね。ラックはプレイボーイ、ちょい悪おやじですよ(笑)」

 と、ラックのエピソードを中山さんは楽しそうに話す。

第二のストーリー

▲ラック一筋という純情な姫ちゃん。しかし、とうのラックは…


 そのエピソードを聞いた上でラックに対面したのだが、何やらホワーッとした感じの癒し系の風貌をしていて、姫ちゃんを誘惑しておきながらつれない態度を取っているちょい悪おやじとは、にわかに信じられなかった。けれども「私がラックのこと大好きだから、絶対によそには出されないという自信があるんです。悪い男でしょ」と千賀子さんが言えば、会員のSさんも「ラックに人参をあげようとすると、くれるの? という感じで擦りーっとしてきて、思わずホロッときちゃいますもんね」とラックのプレイボーイ振り(?)を証言している。ラックには、女性を籠絡する天性の才能が備わっているのかもしれない。

 そんな様子を天国のアリサは厳しい目で見つめているのかなと思いつつも、冬毛が伸びた大きなぬいぐるみのような癒し系の風貌のラックに、私もすっかり心奪われていたのだった。

 中山さん夫婦や会員さんたちが話すラックを始めとする馬たちのエピソードに聞き入っていたら、あたりはすっかり暗くなっていた。「餌の時間だよ」といななく馬の声が耳に届いた。まだまだ話を聞いていたい。後ろ髪を引かれながら、心温まるストーリーがたくさん詰まった乗馬クラブを後にした。(了)


※キョウエイボーガンは見学可です。

乗馬クラブアリサ

〒377-0302 群馬県吾妻郡東吾妻町岡崎1642-1
電話 090-1610-4668
展示時間 9時〜17時
見学の際は、前日までに連絡をしてください。

乗馬クラブアリサ HP
http://www.riding-stable-arisa.com/

引退名馬 キョウエイボーガン
https://www.meiba.jp/horses/view/1989104392

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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