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池添学調教師(3)『名門馬術部の主将から、競馬の調教師へ』

  • 2016年02月15日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲競馬一家に生まれた池添学調教師、騎手ではなく調教師の道に進んだ理由とは?


今回は池添学調教師のルーツに迫ります。1歳差の兄・謙一騎手とは、小さい時からなんでも一緒だったと言います。乗馬を始めたのも、もちろん兄の影響。その兄が騎手を目指し、夢を実現させていった一方、自身は調教師へ。兄弟で違う道を進むことになったのはなぜだったのでしょうか。(取材:東奈緒美)

(前回のつづき)

今でこそ優しい父、騎手時代は怖い存在


 池添家はお父様が兼雄調教師、お兄様が謙一騎手という競馬一家ですが、兼雄先生は元々ジョッキーでいらっしゃったんですよね?

池添 そうです。親父は今でこそ優しいですが、騎手時代は怖かったんですよ。家では常にピリピリしていました。減量がしんどくて、しょっちゅう調整ルームに入って体重を絞っていたんです。だから、家にいないことも多かったですね。

 そんなに減量に苦労されていたんですか。

池添 親父自身もそう言ってましたし、子供ながらに見ていて感じました。レースが終わると、一人では歩けないくらいフラフラな状態で帰ってくるんです。体が痙攣してるんですよね。辛そうな様子をずっと見てきましたし、とにかく親父は怖い存在でした。

 そんな中、お兄さんが騎手を目指すことに。お兄さんとは年が近いですよね?

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▲1歳上の兄・謙一騎手、小さい頃から何をするも兄弟一緒だったと言います(撮影:下野雄規)


池添 1つ違いです。小さい頃からずっと兄貴の後をついて行って、習い事も全部同じものを習っていたんです。乗馬も兄貴が始めたので僕もやるようになって。そのうち兄貴が騎手を目指すとなって、「じゃあ、僕もなるんだな」って、何の疑いもなく思っていました。ところが、僕は親父に止められたんです。

 それはなぜだったんですか?

池添 親父と同じように、減量で苦しむのがわかっていたんでしょうね。面と向かって「騎手になる」と言ったわけではないんですが、僕がご飯を食べなくなったのを見て、察したんだと思います。「騎手はやめろ」と言われました。「なれたとしても減量で苦しんですぐに引退に追い込まれる、それどころかなれないまま終わってしまう可能性だってある」って。馬の世界は騎手だけではないですからね。ちょうど父親も調教師試験を受けてたので、「調教師という道もあるんだぞ」と。

 減量の厳しさは、誰よりもわかっていらっしゃるから。騎手という目標を諦めることは、すんなり受け入れられたんですか?

池添 いや、最初はやっぱり、心のどこかで「なれるんじゃないか」って思ってました。その気持ちを吹っ切ることができたのは、馬術を頑張ったことです。小5から始めて、中3の頃にはすごく楽しくなっていました。そのまま続けていけば、大学に推薦で入ることもできるし、良い成績を出せればJRAに入って誘導馬に乗るとか、トレセンに入るという選択肢も広がる。なので、大学までは馬術を続けようと思ったんです。

 明治大学の馬術部ですよね。名門ですし、しかも主将だったそうですね。

池添 その当時、大学馬術部の中で明治は一番強かったんです。明治軍団が歩いてるだけで、他の大学の人たちが「明治が来た」って、サッと道を譲るんですよ。それはね、気持ちよかった(笑)。だから、試合の時なんて偉そうにしてたんですけど、大学2年の時ですかね。海外で試合があって、そこで「やめよう」と思いました。

 えっ? 世界の壁ですか?

池添 そうです。日本では、自分たちは強いって調子に乗ってましたけど、世界のレベルはあまりに違い過ぎました。「オリンピックを目指そう」とも考えていたんですけど、さすがにかなわないなと思いまして。それで吹っ切れて、競馬の道に進もうと決めたんです。

 そこから本腰を入れて調教師の道に。

おじゃ馬します!

▲「名門、明治大学の馬術部の主将! すごいですね」


池添 調教師になるためには何が必要かと考えた時に、世界で一番の腕を持つと言われる調教師の仕事を間近で見たいって思ったんですね。それが、アイルランドのエイダン・オブライエン調教師です。馬術部を引退して大学を卒業するまでに少し時間があったので、1人でアイルランドへ行って見学させてもらいました。

 その時は、実際に仕事をしたというのではなく?

池添 その時は見に行っただけですけど、「働かせてください」というお願いはしてきたんです。一度日本に戻って大学を卒業して、ノーザンFで3か月くらい働いたところでビザが取れたので、もう一度アイルランドへ渡って、そこで1年ちょっと働きました。

 海外の競馬で学んだことというのは大きいですか?

池添 いや、むしろ海外を知ったことで、「やっぱり日本はしっかりしているな」って。最初に仕事をさせてもらったのがノーザンFなので、余計にそう感じたのかもしれないですけど。日本は内厩制度ですけど、向こうは外厩制度なので、競馬への流れも全然違いますからね。向こうで学んだことをそのまま日本で実践できるかと言ったら、そうではないんですけども、ビッグレースにしょっちゅう出している厩舎なので、競馬に向けてどう調教していくのかというは勉強になりました。自分自身、その雰囲気を楽しんでいたのもありましたね。

 ご自分の馬をビッグレースに出したこともあるんですか?

池添 僕は、ロイヤルアスコットに1回出しただけですね。あとはテレビ観戦。馬券を買って応援してました。向こうはスタッフも馬券を買えるんですよ。だけど、自厩舎の馬が負けるほうに賭けると、競馬法に触れるらしいです。

 そうなんですか?? あ、そうか、実際に担当してるスタッフさんなら、馬の調子の良し悪しが一番わかりますもんね。

池添 そうですね。詳しくはわかりませんが、勝つ馬券は買ってもいいけど、自厩舎の馬が出走してるのに違う馬の単勝を買ったりして度を超えると、処罰されるみたいですね。日本とは全然違いますよね。

(次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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