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毎日杯勝ち馬タカラシャーディー 15歳という若さでの旅立ち

  • 2016年02月16日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲青森県の乗馬クラブアクシスで過ごしてたころのタカラシャーディー


3キロの耐久競技を見事完走


 2003年の毎日杯(GIII)に優勝したタカラシャーディー(セン)に会ったのは、2014年8月に青森県へと取材に赴いた時だった。十和田市にある乗馬クラブアクシスで、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成金対象馬として余生を送っていたタカラシャーディーは、当時14歳。クラブでも超マイペースで通っていた。

 写真を撮影しようと馬房の前に行くも、ずっとこちらに背を向けて小窓から外を眺めていた。スタッフによると「あまり人に興味がないんですよ」。確かに、何度呼んでもピクリとも動かない。このマイペースは、対人間だけではなくて馬が相手でも同じだ。

「洗い場に繋がれている時に他の馬に喧嘩を売られても、買うことは滅多にありません」(スタッフ)。もちろんシャーディー自ら、喧嘩を売ることはしない。そして人間側の都合で1日のスケジュールの順番が狂うと、機嫌が悪くなるという。だが「子供に対しては何もしないですし、大人しいですよ」(スタッフ)と、基本的には穏やかな馬でもあった。

 タカラシャーディーは、父シャーディー、母オオクラダンサーの間に、2000年3月31日に静内町(現新ひだか町)の酒井孝一さんの牧場で誕生した。2002年4月に門別競馬場でデビューをして、のちに道営競馬から中央競馬に移籍。栗東の佐々木晶三厩舎の管理馬となった。2003年1月のくすのき賞(3歳500万下)で7番人気ながら1着となり移籍初戦を飾ると、続く共同通信杯(GIII)で2着と好走。移籍3戦目の毎日杯(GIII)では、ユートピア以下を退け、9番人気という低評価を覆して見事に重賞勝ちを収めた。青葉賞(GII)ではゼンノロブロイの2着になり、日本ダービー(GI・11着)にも駒を進めている。

 しかし脚部不安からコンスタントにレースに出走できなかった同馬は、2005年7月9日に中央競馬の登録を抹消されると、笠松や金沢で競走馬生活を続けた。2008年5月、金沢競馬場でのキャッツアイ特別(8着)が現役最後のレースとなった。地方競馬では24戦10勝、中央時代とあわせた通算成績は37戦12勝だった。

第二のストーリー

▲毎日杯優勝時のタカラシャーディー(鞍上は佐藤哲三元騎手)、前走の共同通信杯2着からの重賞初制覇


 タカラシャーディーの第二の馬生の舞台は、前述した青森県十和田市の乗馬クラブアクシスだった。2008年11月には引退名馬繋養展示事業の助成金対象馬となった。青森の地でマイペースな毎日を送っていたシャーディーが、乗馬クラブアクシスから千葉県に移動し、乗馬として活動をするために2015年4月、助成金対象馬ではなくなったことを、引退名馬のホームページで知った。

 お客様を乗せる生活になっても彼らしくマイペースに過ごしていくのだろうなと想像しながら、また取材する機会を作ろうと考えていた矢先、アダムスブリッジ(前回のコラムに登場)のいるホースライディングクラブ バランスのブログに「ありがとう」というタイトルを見つけた。クリックしてみると、それはタカラシャーディーが天国へと旅立ったという記事だった。タカラシャーディーが最後に過ごした場所が偶然にわかり、アダムスブリッジ(牡4)と併せて、シャーディーの晩年についても知りたい。そう考えながら、バランスの取材に訪れたのだった。

「アクシスにいる時の話も聞いていましたので、ウチに来てからも即戦力になりそうだなと思っていました」と話すのは、ホースライディングクラブ バランス代表の三宅勇気さんだ。「誰が乗っても障害を飛んでくれました。昨年は初めて障害飛越競技に出る小学生が、シャーディーに乗って御殿場で行われたサマーホースショーに出場しましたしね」

 障害飛越だけではなく馬場馬術もこなした。さらには一般的には数十キロの距離を進む、耐久競技と言われるエンデュランスにも出場している。「山梨で行われたエンデュランス競技では、3キロほどのミニコースでしたが、初めて競技に出る方を乗せて山の中を走って、ちゃんとゴールを切りました」 バランスでのシャーディーは、まさに即戦力であり、何でもこなせるオールマイティな馬であった。

みんなのはじめてはシャーディー


 青森で取材した時に「どんなにとかしても真っすぐにならない」とスタッフの方が教えてくれた癖のある前髪についても、「ストレートではないことは確かでしたね(笑)。馬場馬術の競技会では前髪を編まないといけないのですが、ウェーブがかかっている毛を編むのは大変でしたよ」(三宅さん)と、ここでも癖っ毛が健在だったということもわかった。

 さらに人間側の都合でスケジュールの順番が狂うと機嫌が悪くなるという青森時代のエピソードを披露してみると「そうそう、シャーディーにはシャーディーのルーティンがあって、それと違うことをするとムッとしたりしていました」と三宅さんも同意していた。

「でも人が乗るとそういう面は全くなくて、本当に従順でしたよ。先ほどの初めて競技会に挑戦した方も、大人しくて賢いシャーディーだからこそ出られたというのもありますし、シャーディーが試合に出場するきっかけを作ってくれたんですよね。その方は今は他の馬で競技会に出場できるようになっていますから」(三宅さん)

第二のストーリー

▲バランスのスーパーホース“シーくん”(セン25・競走馬名シーサイドゴールド)、初めて乗る方、初めて駈歩をする方は必ずお世話になる馬で、三宅さんが絶対的な信頼を寄せている


第二のストーリー

▲メイショウローツェことヴィットリオ オクタバドス(セン10)。ヴィットリオは伊語でビクトリー、オクタバドスは2つの音色で1つのハーモニーを作るという意味。斉藤笑夏さん(前回登場)が名付け親で、初めての愛馬。斉藤さんと競技会にも出場


 そんなシャーディーに異変が起きたのは昨年の秋だった。

「本当にある日突然という感じでした。最初は右前脚を少し引きずっていて挫石ではないかという診断でしたが、段々肩の筋肉が落ちてきて肘を支える筋肉がなくなってきた感じで、急激に悪化して立てなくなってしまいました」

 病名は神経麻痺。2015年11月、シャーディーは15歳という若さで天国へと旅立って行った。バランスにいた期間は短かったが、前述した通りに乗馬として大活躍をしていたこともあり「ものすごく悲しんでいるお客様も多かったです。それだけに何とかしたいという気持ちが強かったのですが、僕らの力が及ばなかったですね」と三宅さんもしんみりとした口調になった。

 三宅さんは言う。

「最近思うのは、強い馬はとても賢いということです。賢いからレースで勝てるのでしょうしね。タカラシャーディーやアダムスブリッジ、以前いたキングスエンブレム(シリウスS・GIII優勝)もそうでしたけど、乗馬としてもすぐに適応できる馬が多いですね」

 このコラムでも何度も書いてきたが、競走馬を引退した馬たちの馬生は決して明るくはない。けれども今回の取材で、こちらが想像している以上に乗馬として適応できる馬が多くいるのではないかとも感じた。競走馬として成績が残せなくても、人間にとても従順だったり、大人しくて乗馬初心者にはもってこいの馬もいるはずだ。現状では難しい部分もあるのかもしれないが、もう少し馬の持つ可能性を生かせる場が増えてほしいと願わずにはいられない。

 賢く大人しく、皆に愛されたタカラシャーディー。バランスのブログにはこう記されていた。

「障害をはじめて飛んだ方、はじめて大会に出場した方、はじめて馬に乗った方、みんなのはじめては…シャーディー、あなたに乗せてもらいました。ココロ優しく、穏やかで、天然で、たまに上手に手を抜いたり(笑)、みんなシャーディーが大好きでした。もっと一緒にいたかった…」(2015年11月4日付け)と。

 馬との付き合いは、長い短いでは計れないものがある。バランスで過ごした時間は短くとも、大きな宝物をシャーディーは残していったのだ。(了)


※アダムスブリッジ見学希望の方は、必ず事前にお問合せください。

ホースライディングクラブ バランス
〒289-1622 千葉県山武郡芝山町宝馬156
電話 0476-37-8041
HP www.balance-hrc.com
月曜日定休(月曜日が祝日の場合は営業)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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