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競馬発祥の地イギリスで今年創立250年を迎えるタタソールズ社

  • 2016年02月17日(水) 12時00分


昨年は450億円以上を売り上げた伝統のマーケット

 改めて言うまでもなく、競馬発祥の地はイギリスである。

 かの地で「キング・オヴ・スポーツ」とも「スポーツ・オヴ・キングス」とも称される競馬は、長年の歴史によって培われてきた、計り知れないほどの伝統と格式を備えている。

 1540年にチェスター郊外のルーディーに開設されたのが、英国における初めての常設の競馬場で、1574年に当時のエリザベス女王1世がロンドン郊外のクロイドン競馬場に行幸され、早くも競馬と王室の密接な結びつきが生まれた。17世紀になると、即位された国王がこぞって競馬好きで、英国の競馬が産業として娯楽としておおいに繁栄したのが17世紀だった。

 英国で「馬の駆け比べ」という遊びが、競技としての「競馬」へと姿を変えていった時代の系譜を、きわめて大雑把に記したのは、それが日本の国技「相撲」と、歴史的歩みが非常に近いことを記したいがためである。

 相撲を奨励した織田信長の前で、安土城を舞台とした上覧相撲が催されたのが1578年で、17世紀に入って時代が江戸に変わると、寺社仏閣の再建や補修の費用を賄うための勧進相撲が各地で開催されるようになり、相撲を職業とするプロ力士が誕生。全国に普及し繁栄していったのが、日本における相撲である。

 その後現在に至るまで、それぞれの国の「国技」が、英国では王室、日本では国の庇護を受けつつ、しっかりと市民の支持を獲得して、国の文化として綿々と継承されてきたことは、皆様もご承知の通りである。

 そのイギリスにおいて今年、創立250年という節目の年を迎えたのが、競走馬セールの主催者であるタタソールズ社である。

 創設者は、1724年にランカシャーに農園を持つ独立自営農家に生まれた、リチャード・タタソールだった。幼少の頃からの馬好きで、実家は継がずにロンドンに出て、馬の輸送に携わる業者に就職したところ、その精勤ぶりに目を止めたのがジョッキークラブのメンバーだった第2代キングストン公爵で、自らの馬を世話する厩舎にヘッドハンティング。当初は厩務員の一人だったが、やがてキングストン公の「馬係」を務めるようになった。

 馬の目利きに長けていたこと、人柄が正直だったことから、各方面から馬の売買を依頼されていた人物であったそうだ。個別の売買をまとめるには、依頼が多すぎて困った彼が着想したのが、売りたい馬を一か所に集め、買いたい人たちがそこに集まり、値を差し合って購買者を決定するという、「オークション」による売買だった。

 これを実行に移したのが1766年で、実にこの時が「タタソールズ社」の創設であった。

 ちなみに、イギリスで競馬統括団体としてのジョッキークラブが設立されたのが1750年だったから、これには16年遅れたが、一方で、ウェザビー社がゼネラルスタッドブック第一刊となる「序文」を発行したのが1791年で、つまりはタタソールズ社の創設は、競馬の世界に「血統登録」という概念が確立されるより、四半世紀も早かったのである。そして、英国に最古のクラシックであるセントレジャーが創設されたのが1776年だから、タタソールズはこれにも10年先んじている。競馬の世界に「流通」という概念が生まれ、これを公のマーケットで成立させる手法が、「血統」や「クラシック」に先んじて、近代競馬のごく黎明期にして既に確立されていたというのは、刮目に価する事実である。

 皆様もご承知のごとく、タタソールズのセリ市場は現在、英国競馬の中心地となっているニューマーケットで開催されているが、同社の創設時の拠点はロンドンで、セールが開催されていたのは、当時はリチャード・グローヴナー男爵の敷地だったハイドパークであった。

 当時のタタソールズ・セールが主に扱っていたのは、フォックスハンティング用の乗用馬で、狐をあしらった会社のロゴマークを考案。狐は現在もタタソールズのシンボルで、ニューマーケットのせり会場には、狐の石像が鎮座している。

 自らも競走馬の生産と所有に乗り出したリチャード・タタソールズは、1779年に2500ポンドという廉価で仕入れたハイフライヤーが、種牡馬となって18世紀後半にリーディングサイヤーの座に就くこと13回という大成功を収め、ホースマンとしての確たる名声を確立するとともに、資産家に成長。ロンドン市内にジョッキークラブのメンバーが集うためのサロンや、馬券を売るための会員制ラウンジを創設するなど、様々な方面で競馬の繁栄に貢献している。

 タタソールズのせり会場は、創業からほぼ100年後の1865年に、同じロンドン市内のナイツブリッジに移転。現在のニューマーケットに移ったのは、今から51年前の1965年だったから、その長い歴史においてはごく最近のことと言ってもいいだろう。現在のタタソールズは、年間で7つのセールを開催し、2015年を例にとれば、5179頭が総額2億6213万9150ギニー、日本円に換算して450億円以上の売り上げを誇る、一大マーケットとなっている。タタソールズのセールの特徴の1つが、現在もオークションが、創設当時の通貨である「ギニー」で行われている点にあろう。

 通貨のギニーは1814年に流通を終えたが、実はその5年前の1809年に創設されたのが、ニューマーケットの2000ギニーだった。第1回競走の賞金をそのまま名称とした、3歳クラシック緒戦は、流通する通貨が変わった後もそのままの名称で存続することになり、当時のタタソールズを率いていた3代目リチャード・タタソールは、セールもギニーで行う慣例を変えないことを決断。1ギニー=21シリングの換算レートで、セールは催されるようになった。

 現在の換算レートは、1.05ポンド=1ギニーである。すなわち、例えば10,000ギニーで馬を購買した人のもとには、10,500ポンドの請求が届くわけである。一見すると複雑にも見えるが、現在では会場内の電光掲示板に、円換算の価格も表示されているので、購買側に不便は全くないのが実情だ。タタソールズのセールはおおむね、ニューマーケット競馬場における主要な競走と、時期を同じくして開催される。

 例えば、タタソールズが主催する次のセールは、4月12日(火曜日)、13日(水曜日)の両日に予定されている、2歳トレーニングセールの「クレイヴン・ブリーズアップセール(公開調教4月11日・月曜日)」だが、ニューマーケット競馬場では12日に3歳牝馬のG3ネルグウィンS(芝7F)が、13日に4歳以上のG3アールオヴセフトンS(芝9F)が、14日に3歳牡馬のG3クレイヴンS(芝8F)、3歳以上のG3アバーナントS(芝6F)が施行される開催が予定されている。

 競馬ファンであれば、ニューマーケットの競馬を観戦し、同時に、250年の歴史を誇る競馬発祥の地のセールを見学するというのは、絶対にお楽しみいただける旅になろうと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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