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来年3月開業へ! 技術調教師・青木孝文の奮闘

  • 2016年04月26日(火) 18時00分
青木孝文調教師

小桧山調教師(右)と青木孝文調教師(左)



「お前は王道を行け」恩師小桧山調教師の言葉

赤見:まずは、調教師免許試験合格おめでとうございます! ここ何年かは美浦は12月の合格発表から、翌年3月即開業という流れでしたが、今年は1年間の技術調教師期間があるんですね。

青木:そうなんです。美浦の先輩からは、「お前、いいな」って言われます。栗東は常に技術調教師期間があってからの開業ですが、美浦は引退・勇退で調教師の枠が空いて、ここ5年くらいは即開業の流れでした。1年開業に向けての準備ができることは、とても有難いです。

赤見:技術調教師として、具体的にどんな風に過ごしているんですか?

青木:合格前から所属している小桧山悟厩舎でそのままお世話になってます。仕事内容は平日は調教を手伝って、土日は競馬場へ行って、あとは北海道や海外にも行かせてもらっています。小桧山先生はむちゃくちゃ理解のある方で、好きなように動けって言ってくれるんです。技術調教師って給料も発生する中で、遠出したら穴を開けることも多いわけじゃないですか。それなのに自由にやらせてもらって、すごく感謝しています。

赤見:先日のドバイワールドカップデイにも行っていたんですよね?

青木:はい! リアルスティールと一緒にドバイに行かせてもらいました。矢作先生が、僕が試験に受かった時にドンペリを送ってくれたんです。それで、お礼を言いながらも、「甘えついでに、ドバイ一緒に行きたいです」って頼んで。もちろん旅費は自腹だけど、スタッフの枠で名前を入れてもらったので、世界で戦うところを近くで見ることができて本当に刺激になりました。よく小桧山先生が、「お前は王道を行け」って言ってくれるんですよ。王道っていうのは、大きいところを目指していくってことなんですけど。だから厩舎仕事に穴開けても、ドバイに行かせてくれるんです。小桧山先生には本当に感謝していますし、一緒に行かせてくれた矢作先生、そしてご理解いただいたサンデーレーシングの方々やノーザンファームの方々にも心から感謝しています。

赤見:来年の3月に向けて、これからどんな風に過ごす予定ですか?

青木:まだはっきりとは決まってないですけど、北海道の牧場で研修をさせてもらうつもりですし、香港にも行きたいと思っています。今しかできないことなので、開業に向けていろいろなものを見て経験したいです。そもそもね、僕は騎手だったわけでもなく、大学の馬術部出身や獣医資格持ちでもなく、本当になんのコネもなかったけど、周りの方々に繋いでもらってここまで来ることができました。

赤見:青木先生はわたしと同じ群馬県出身なんですよね。しかも、まさかの同じ高校出身という! 一般家庭から競馬の世界に入ったということですが、どんな経緯で?

青木:最初はゲームです。中学生の頃ってマセてくるじゃないですか。大人がやってる遊び、例えば花札とか麻雀とか競馬とかね、そういうのに興味を持って。それで単純に競馬に憧れちゃったんです。高校で進路を決める時、うちは大学の付属高校だから親はもちろん大学に行って欲しいみたいだったけど、僕は馬に乗りたいっていう気持ちが強くなって。で、矢島先生ですよ。矢島先生、覚えてます?

赤見:覚えてますよ! わたしも進路指導をしてもらいましたから。

青木:僕の時は副担任だったんですけど、矢島先生のお兄さんがJRAの職員だったということで、いろいろ相談に乗っていただきました。その時、「赤見っていう卒業生が高崎競馬で騎手やってるよ」って言ってましたよ。

赤見:まさかこういう形で繋がるとはね。もうだいぶ前だけど、初めて美浦トレセンで会った時、「僕赤見さんの後輩なんです!」って言われてびっくりしましたもん。あの頃は伊藤正徳厩舎でネヴァブションを担当してたんですよね。

青木:よくインタビューに来てましたね。ネヴァブションを担当できたことは本当に大きかったです。僕がトレセンに入って8か月の頃に新馬で入って来たんですよ。そこから長い付き合いだったし、いろいろありましたね。大人しい馬じゃなかったから大変な部分もあったけど、乗っていて成長が実感できたんです。「あ、良くなったな」って感じると、きちんと結果が付いてきて。新馬の頃から使っていくうちに、クビが太くなってお尻が大きくなって、目に見えて体がしっかりしていくのを目の当たりにできました。いい馬ってこう変わるんだなっていうのを知ることができて、大きな財産になりましたね。

青木孝文調教師

ネヴァブションとマイネルセレクトを担当したことが大きな財産、と語る青木孝文調教師



競馬学校に入る前にビッグレッドファームで3年修行したんですけど、その頃にもマイネルセレクトを担当させてもらって。セレクトはダートの短距離、ネヴァブションは芝の長距離の馬なので比較もできたし、筋肉の質や背中の感じも正反対の部分があって。同じいい馬でもこれだけ違うんだな、馬に教わるってこういうことなんだと実感しました。あれだけの馬に若いうちから触れることってなかなかないですから。なんでも吸収する基本の時期に、いいものはこれだっていうのを知ることができて本当によかったです。

赤見:ネヴァブションは長期間担当して、想い入れも強かったのでは?

青木:本当にそうですね。いいことも辛いこともあの馬に教えてもらいました。3回骨折して、そこから復活してくれて。すごい馬ですよね。脚元のことがあったから、ケアをしながら仕上げていくのにいろいろなことを考えました。

赤見:最後まで残って、ずっと曳き運動や乗り運動をしてましたよね。

青木孝文調教師

ネヴァブションを引く青木孝文調教師(写真は2010年日経賞のパドック)



青木:意識して長く歩かせてました。最近のトレセンの傾向からするとなかなかないですけど、競馬に使うだいぶ前から厩舎に入れて様子を見ながら仕上げていったので、大変だったけどすごく勉強になりました。GIの前は毎日のように夢に出て来て。勝った負けたって夢の中で競馬やってるんです。勝ってウイニングランしてたり、負けて落ち込んでたり、寝ても覚めてもレースのこと考えてました。僕、GIのあとは毎回気が抜けてガクッと体調崩してたんです。若くて経験がなかったから、一つ一つのことに精いっぱいだったんですよね。だからこそっていうか、あの馬の晩年で担当から外れた時には納得できなかったし、すごく落ち込みました。

赤見:何年も重賞戦線で戦ってきたわけですから、その馬の担当じゃなくなったらそりゃ落ち込みますよ。重賞を勝つ経験って、相当大きいですよね。

青木:やっぱりね、勘違いしちゃうんですよ。馬がすごいのに「俺すごい」って思っちゃう。そんな時もあったと思うんです。長いこと上のクラスにいて、GIしょっちゅう出て、看板背負ってるって思ってたし、鼻も高かったです。そこから上手いこと、僕自身が滑落していくわけです。

赤見:上手いことってわけでもないですけど。

青木:いや、上手いことですよ。今思えばあれで良かったんです。そうじゃないと、もう一段上に行こうと思わないですもん。持ち乗りでオープン馬やっててコンスタントに来てたら、やりがいあるし楽しいし、独立して調教師にっていう風にはなかなかならないですよ。でも、今までの自分は結局人に何とかしてもらってるだけなんだって気づいて。ここで踏ん張らないと、40歳50歳になった時に何もないだろうなって思いました。

赤見:そこから一念発起して調教師試験を受けて、見事5回目で合格。来年3月の開業に向けて、どんな厩舎造りを目指していますか?

青木:まず、いつも小桧山先生に言われてることですけど、王道を行きたいです。大きいところを勝って、たくさん稼いで。自分一人じゃなく、関わる人たちに楽しんでもらいたいって心から思います。自分の仕事を納得してもらうには、馬主さんはじめ周りの方々、ファンのみなさんに楽しんでもらわないと、一時よくても続かないですから。僕は本当に運が良くて、何もないところからBTCで馬乗りの基礎を教えてもらい、ビッグレッドファームで修行させてもらって。トレセンに入ってからも、たくさんの方のお蔭でここまで来ることができました。運がいいってことは、人が良くしてくれてるってことだから、それを返していきたいです。特に今小桧山先生にしてもらっていることは、いつか自分も繋げていきたいです。2年前に小桧山厩舎に移籍する時、先生から「俺は自分のところから調教師を輩出して系譜を繋げたい。だからお前のこと全力で応援する」って言ってもらったんです。その言葉に本当に救われました。恩返しのためにも、いつか自分も騎手や調教師など後に続く人たちを育てられる人間になりたいです!
青木孝文調教師

笑顔を見せる小桧山調教師(右)と青木孝文調教師(左)

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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