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【平地障害1000勝】熊沢重文騎手(2)『僕の道は一本道 騎手を辞めた姿は想像できない』

  • 2016年06月10日(金) 17時59分
(前半のつづき)

──1000勝にたどり着いた原動力として、ここまでお話されてきた周囲の方々の支えはもちろんですが、その時代ごとの馬たちとの出会いもあると思います。印象的な勝利、そして印象的な馬たちに彩られた1000勝ですよね。

熊沢 そうですね。馬との出会いも本当に恵まれていたと思います。良くも悪くも個性的な馬たちばかりでね(苦笑)。

──ダイユウサクにエイシンワシントン、そしてステイゴールド…。熊沢さんと同様、“オンリーワン”の馬たちばかりで、ファンのなかには熊沢さんとセットで彼らの勇姿が刻まれています。

熊沢 ありがたいですね。彼らが僕を引き立ててくれたからこそ、今があるのは間違いありませんから。

──GIはここまで、オークス(88年・コスモドリーム10番人気)、有馬記念(91年・ダイユウサク14番人気)、阪神ジュベナイルF(05年・テイエムプリキュア8番人気)、中山大障害(12年・マーベラスカイザー3番人気)と4勝。大障害こそ3番人気でしたが、あとはすべて人気薄でのド派手な勝利で、始まりはオークスのコスモドリームでした。当時、調教助手としてコスモドリームを担当していたのが、大橋勇樹調教師。今回、メッセージも寄せてくださいましたが、今でも大橋厩舎の馬には数多く乗ってらっしゃって、コスモドリームという馬がつないだ縁ですよね。

熊沢 本当にそうですね。僕には内藤先生という師匠がいますけど、大橋先生も第二の師匠のような存在です。今でも常に見てくれていますからね。あのオークスは、先生にとってもうれしい勝利だったと思いますが、僕もコスモドリームがいなかったら、ここまでこれなかったかもしれない。GIを勝つということはやはり大きくて、あの勝利で名前を知ってもらえましたから。

──熊沢さんの名前をさらに広めたのがダイユウサク。以前、ダイユウサクについてじっくりとお話を伺ったときに、「難しいのかもしれないけど、本当はそこにたどり着くまでの過程にも注目してほしい」とおっしゃっていましたよね。そこに熊沢さんのスタンスを見た気がしました。
(→熊沢騎手がダイユウサクを語りつくしたインタビューはこちら)

ノンフィクションファイル

▲1991年の有馬記念 14番人気で大金星をあげたダイユウサク


熊沢 うん、そこが楽しいんですよね。当たり前ですけど、過程のほうが長いし、障害馬ならなおさらね。ダイユウサクにしても、大きな勲章ばかりに注目が集まるけど、そこにたどり着くまでには本当にいろいろな苦労があって。「競走馬になれるかどうか」というところからスタートした馬でしたからね。

──そういえば、ダイユウサクの有馬記念をきっかけに、みんなが難しい馬を頼んでくるようになったとおっしゃっていましたよね?

熊沢 そうそう(苦笑)。まずは調教からね。調教でスタッフが乗り切れないような馬を頼まれることが多くなったような気がする。で、そのまま競馬も乗せてもらうみたいなね。

──確かステイゴールドも付きっ切りで調教をされてましたよね。

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