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【女性ジョッキーたちの引退後(1)】大井・新潟所属だった山本泉さん

  • 2016年06月21日(火) 18時00分
山本泉さん

大井・新潟に所属していた元騎手の田島(旧姓:山本)泉さん



これからもずっと馬に関わっていたい!

 1995年4月に大井でデビューした田島(旧姓:山本)泉さんは、4年目に新潟に移籍してナッツベリーとともにダリア賞で2着に大健闘!新潟3歳ステークスにも出走し注目を集めました。今だからこそ言える、当時の想い出を語っていただきました。

赤見:騎手になろうと思ったキッカケは何だったんですか?

田島:高校1年生の頃に、オグリキャップの有馬記念をたまたまTVで見たんです。まさか勝つと思ってなかったので、びっくりして鳥肌が立って。「オグリカッコいい、武豊カッコいい」から入って、毎週競馬を見るようになりました。そこからいつの間にか、ジョッキーになりたいと思うようになりました。

赤見:大井所属になった経緯というのは?

田島:千葉に住んでいたんですけど、千葉の牧場で乗馬を習い始めて。そこの場長さんが大井の宇野右門調教師と知り合いで紹介してもらったのが縁でした。ただ、その場長さんが割とざっくばらんな紹介の仕方だったんですよね。だから最初、宇野先生は「山本泉」っていう男の子が来ると思ったみたいで(笑)。それで、厩舎に行ってみたら女の子だったのでびっくりしてました。でも「引き受けたからには、しっかり面倒見ます」ということで所属にしていただきました。

赤見:泉さんが地方競馬教養センターに入った頃は、女性の候補生がかなり多かった時期だと思いますが。

田島:そうですね。わたしは61期で同期には鈴木久美子さん(船橋)、卒業前に辞めたのですが佐賀所属の北島由記さん、58期に佐々木明美さん(北海道)、59期に小田部雪さん(中津→荒尾)がいて、60期に溝邉悦代さん(船橋)と石井光枝さん(宇都宮)がいて、短期には山田真裕美さん(新潟)、62期には宮下瞳さん(名古屋)が入って来ましたから。常にセンターには4〜5人の女性候補生がいる状態でした。

赤見:わたしの場合は一人だったんですけど、逆に女性が多いと喧嘩になりませんか?

田島:喧嘩には…なってましたね(笑)。同期は仲良かったんですけど、狭い空間で毎日毎日抑えつけられる生活なわけじゃないですか。だから、なんとなく仲悪いなとか、お互い意識しているなとか、そういうピリピリは常にありました。でもそれは男子候補生も同じだと思いますよ。

赤見:大井でデビューしてからはいかがでしたか?

田島:当時は夢中でやっているからよくわからなかったけど、今振り返ってみると大変だったなって思います。調教はかなり乗っていたんですけど、レースに乗れないのは当然でした。女性だからというより、若手はみんなチャンスが少なかったですよね。その中でも所属だった宇野先生はよく乗せてくれたんです。宇野先生が亡くなったあと、兄弟子の香取和孝厩舎の所属になったんですけど、香取先生もオーナーに頭を下げて乗せてくれました。本当に有難かったです。

赤見:初勝利はどんな感じでしたか?

田島:全然勝てなかったんですよ。初勝利まで2年くらいかかって。その頃は本当にキツかったですね。かなり焦ってましたし、精神的に追い込まれてる感じで。でも辞めたいとは一度も思わなかったんです。何が何でもしがみついてやる!って感じで。だから勝った時は本当に嬉しくて嬉しくて…。周りの人たちも、「わ〜泉がんばれ!」ってみんなが応援してくれて。嬉しさと有難さで涙が出ました。

赤見:その後、4年目に新潟に移籍するわけですが、どういう経緯だったんですか?

田島:大井は騎手の人数も多いし、なかなか乗り数もなくて。チャンスのある方にいった方がいいんじゃないかって、当時の騎手会長だった、現調教師の宮浦さんからアドバイスしてもらったんです。それで、当時の調教師会長だった田中利衛先生と新潟の鈴木忠俊先生とのご縁で、移籍したんです。新潟は人手が足りないくらいだし、温かく迎えていただいて、本当によくしてもらいました。もう新潟で骨をうずめようと決心して行ったんです。

赤見:実際行ってみてどうでしたか?

田島:すごく温かい競馬場で、家族ぐるみでよくしてもらいました。調教師の奥様も厩舎作業しているし、鈴木先生にも家族みたいな感じで迎えてもらって。レースに乗れて、本当に楽しかったです。

赤見:そして、ナッツベリーと出会うんですよね。

ナッツベリー1

ダリア賞のパドックでのナッツベリー(写真は田島泉さんご提供)



田島:厩舎にいい馬がたくさんいたんですけど、その中でもナッツはすごい馬でした。3戦目から乗せてもらって、速いし力あるなと思いましたね。ダリア賞に乗せてもらえることが決まった時は、「うそ!中央乗れるんですか?」って感じで本当に嬉しかったです。

赤見:人馬共に初めての芝の戦いでしたが、追い込んで差のない2着でした。

田島:いつもだったらスッと2,3番手につけられるんですけど後方待機になって。やっぱりJRA馬相手だとスピードが全然違うって思ったんです。でも、4コーナーを回った時の手応えがすごくて、直線の伸びがまたすごくて。気持ち良かったですね。

ナッツベリー2

中央馬相手のダリア賞で、差のない2着と健闘したナッツベリー(写真は田島泉さんご提供)



赤見:この2着の後って、ブア〜っと報道されたじゃないですか。次は新潟3歳ステークスに登場!っていう感じで。4年間耐え忍んだあとの大注目だったと思うんですけど、当時はどんな感じでした?

田島:報道はすごかったですね。わたしは馬の力だと思っているのでプレッシャーもなかったし、冷静でした。新潟3歳ステークスに乗れたことは、めちゃくちゃ嬉しかったです。中央の重賞に乗れるなんて普通ないし、調整ルームから何からあの日のことは全部覚えています。テレビで見ているJRAのジョッキーたちが下見所で座ってて、回ってる馬もいい馬ばかりで。

でも、レース自体は上手くいかなかったですね。最後ためて直線でと思ったんですけど、コーナーで外にふくれたっていうのもあるし、結局7着だったんですけど、5着くらいはあったなと思います。終わったあとは情けなくてガクッと来ました。思ったようなレースがまったくできなかったんです。

赤見:新潟3歳ステークスの後、そのレースを最後に引退していますよね?

田島:そうなんです。妊娠がわかって。乗り続けたいという気持ちもあったし、一瞬迷ったんですけど、命がお腹に入ってるってなったら、続けられないですよね。

赤見:4年間の忍耐を経て、いい馬に出会って…。すごいタイミングでしたね。

田島:鈴木先生から、「ナッツと頑張れ!次は中山で」との話もあった中で、本当にどうしよう、どっちを取ろうかということは考えたんですけど。病院に行ってエコーを見た時、迷って悪かったなって思いました。気づかない時に落馬もあったし、お腹の赤ちゃんに申し訳なかったなって。

赤見:しばらく騎手免許を持ち続けることは可能じゃないですか。すぐに免許を返上することに抵抗はなかったですか?

田島:そこはなかったですね。母になることを選んだので、そのまま免許を持っているというのは失礼かなと思ったんです。騎手を続けるか、母になるかという大切な選択で、自分はもう母になることを選んだんだって。そこに後悔はなかったです。

赤見:新潟に行ってからは激動の時間だったと思いますが、騎手を辞めたあとはどんな感じでしたか?

田島:本当にすごい経験をさせてもらった半年間でした。辞めたあとは気が抜けたというか、淋しい気持ちはありました。ナッツはまだ走っていましたからこっそり見ていたけど、競馬はなるべく見ないようにしていました。ただ、大井の厩務員だった主人と結婚したので、大井の厩舎に帰って来たわけです。周りからは「大変だったね」「大丈夫か?」という感じで心配してもらいました。

赤見:気持ちの整理はいつ頃ついたんですか?

田島:子供が生まれてからはバタバタだったし、4〜5年は競馬を見ない時間が続きました。でも、厩舎にいるしどうしても見る機会があるじゃないですか。やっぱり馬は可愛いし、なんだかんだ厩舎に行って馬に会いにいったり見たりしていました。

赤見:現在は大井のスタークルージングの馬車馬くんたちを担当しているそうですね。

田島:子供が小学生くらいになってから、こんなに馬の近くにいるんだから関わりたいと思って、馬のお世話を手伝わせて下さいと頼んだんです。下の子もいるので、何年かやって一度離れて、ここ何年かでまたお手伝いするようになりました。馬のそばは落ち着きますね。可愛いし、離れられないものです。

スタークルージング

田島さんが世話をしているスタークルージングの馬車馬



赤見:今ジョッキー時代を振り返ってみて、いかがですか?

田島:改めて、周りの方々に恵まれたと思います。もう本当に感謝しかないですね。すごく大変だった面もあるけど、当時の自分に会えるなら、「もっとしっかりがんばれ!焦るな!!」と言ってあげたいです。今現役の女性騎手たちは、皆さん本当にがんばっていますよね。乗っていられる時間は限られているし、周りの支えがあってこその仕事なので、渋太くしたたかに、タフにがんばって欲しいです。

赤見:騎手を辞めたこと、後悔してませんか?

田島:それはまったくないです。息子を産んで本当に良かったですね。今年高校生になったんですけど、子どもは可愛いですよ。あの時の選択は間違ってなかったと実感しています。

赤見:今後の夢はなんですか?

田島:今、同期の鈴木久美子さんが中心になって、子ども乗馬の普及活動を始めたんです。まだはっきりとした形にはなっていないのですが、色んな人に会って、色んな考えがあって楽しいです。やっぱり馬って、乗ったり触ったりするだけで癒してくれるんですよね。言葉は話せないけれど、難しい年ごろの子どもたちも心を開いてくれるんです。そこは子育てを通じて実感しています。スタークルージング、子ども乗馬と、これからもずっと馬に関わっていたい!それがわたしの夢です。

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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