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相馬野馬追と前田長吉慰霊碑

  • 2016年07月30日(土) 12時00分


 今年も一昨年同様、南相馬で相馬野馬追を観戦した足で八戸に行き、そして帰京――というコースで東北を旅した。

 先週の本稿に記したように、私が南相馬に入ったのは、7月22日の金曜日、野馬追が開幕する前日のことだった。

 そして、小高郷の騎馬武者・蒔田保夫さんが栃木の乗馬クラブから借りた「ハリアー」という愛称の馬はフサイチハリアーかもしれない、と書いた。すると、それを読んだ方がメールをくれて、シベリアンハリアー(セン8歳、父アポインテッドデイ)だと教えてくれた。

フサイチハリアーではなくシベリアンハリアーだった「ハリアー号」。左が蒔田さん。7月24日の朝撮影。


 シベリアンハリアーは、2010年に美浦・手塚貴久厩舎からデビューしたのち笠松に移籍し、2勝した。鹿毛で、現役時代は500キロほどで競馬をしていた。その後、中央で復帰することなく乗馬となり、茨城の乗馬クラブから現在のクラブに移ってきたようだ。

 いきなり甲冑姿の人間を見たら馬がびっくりするので、蒔田さんはいつも、馬の目の前で着替えをしている。ハリアーは、多少甲冑に興味を示すような仕草をしただけで、イタズラをすることもなく、じっとしていた。おとなしく、度胸もある。

「いい馬を連れてきてくれたわァ」と蒔田さんは嬉しそうだった。

雲雀ヶ原祭場地に近い武田厩舎から、長男・匠馬君の旗指物を背に出陣する蒔田さん。


 上の写真は、7月24日の日曜日、本祭りの朝、ハリアーに乗って出陣する蒔田さんである。

 蒔田さんが背にしているのは、2011年3月11日、東日本大震災の津波で亡くなった長男・匠馬君の旗指物だ。蒔田さんの旗指物とデザインは同じだが、色使いが異なっている。

 この旗指物を背負ったのには、いくつか理由があった。

 ひとつは、今年、蒔田さんが勘定奉行という、役員に相当する役職についたこと。昨年までは、匠馬君の肩章(役職と氏名が書かれた布)を自身の肩章の下につけ、一緒に野馬追に臨んでいた。しかし、役員の肩章の下につけるのはいかがなものかと思い、その代わり、匠馬君の旗指物を背負うことで、ともに出陣することにしたのだ。

 もうひとつは、身内で不幸があったため、装具類はなるべく地味なものを選び、旗指物も、自身の紺と金色のものより、こちらのほうがふさわしいと考えたからだ。馬具の下には、小高神社でお祓いをした札もくくりつけてある。ひょっとしたら、同様に不幸があった私のことも考えてくれたのかもしれない。

野馬追3日目の7月25日、小高神社で行われた野馬懸の様子。


 蒔田さんが担当した勘定奉行は、騎馬武者たちが飲む水や、休憩用のテントを用意したり、行列や式典の出欠をチェックしたりという裏方の作業が多い。そのため、神旗争奪戦にも甲冑競馬にも出場できない。

「でも、おれ、こういう裏方の作業のほうが向いているような気がしてきたんですよ」と蒔田さん。

 震災の前年までは匠馬君と一緒に出場していたのだが、今後は、次男の健二君に出てもらい、その手伝いをやりたいようだ。南相馬市役所に勤めている健二君は、昨年まで、野馬追を取り仕切る観光課にいたため騎馬武者として出ることはできなかった。しかし、今は別の課にいるので、その気になれば出場できる。本人は、ニコニコしているだけで何も言わないが、来年以降どうするか、楽しみにしたい。

 7月25日、月曜日、相馬野馬追を締めくくる野馬懸を見たあと、別件の取材で南相馬市内の松浦ライディングセンターに寄ってから、八戸を目指した。

 そして翌26日、今月完成したばかりの、最年少ダービージョッキー・前田長吉の慰霊碑を、長吉の兄の孫である前田貞直さんに見せてもらった。

長吉の生家に近い天狗沢共同墓地につくられた慰霊碑。


 前田長吉は、この墓地からほど近い青森県三戸郡是川村(現・八戸市是川)で1923年2月23日に生まれた。戦時中の1943年に女傑クリフジでダービーを勝ち、20歳3カ月というダービー最年少優勝記録を樹立。44年に召集されて旧満州に赴き、46年2月28日、シベリアの強制収容所で亡くなった。23歳だった。

 その長吉の遺骨がDNA鑑定で本人のものとわかり、生家に帰郷したのが2006年7月4日のことだった。

 今年は長吉の没後70年、帰郷10年の節目にあたる。

 慰霊碑には、拙著『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』にある一文が刻まれている。主語を若干変えたものだ。

慰霊碑には「前田長吉は誰よりも幸運で、そして不運だった」と刻まれている。


 長吉は、23年しか生きられなかったが、実に多くのものを残した。そして、亡くなってから70年経った今も、何かに打ち込み、なし遂げることの素晴らしさを、多くの人々に伝えつづけている。

 サラブレッドには、速く走る能力がある。ならば、それを引き出してやろうとする。力を引き出された馬の走りは美しく、人々の心を動かし、語り継がれる。長吉は、それを若くしてやってのけた。

 何十年の節目というのは、そうしたことを再確認するためにあるのだろう。

 私も、なし遂げたいことがある。達成できるかどうかは置いておき、そうしようと思う対象に出会えた時点で、その人は幸せなのだと思う。ということは、私は幸せなのか。自分で言っておきながら「ウーン」という感じだが、ともかく、頑張ろう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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