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描き続けた2人の夢――「吉備ひだまり牧場」ついにスタート

  • 2016年08月23日(火) 18時01分
(前回のつづき)

馬にとっても人にとっても、ひだまりのような居場所にしたい


 初めは養老牧場ができたらいいなという気持ちだった森光夫妻だったが、引き取った馬を安心して預けられる牧場が近隣になかったために、牧場開設への思いがどんどん膨らんでいった。

「その頃、野菜の勉強をしに半年くらい学校にも行っていたのですけど、そこには農協のOBの先生がたくさんいらっしゃったんですよね。そろそろ私も夢を口に出しても良いかなと思って、田んぼのあいている所はないですかねと訊ねたりしていました。畑をやっているおじいちゃんとか、いろいろな方を紹介して頂くなど、どんどん口に出して動いていこうと思って、農業の相談会にも顔を出したこともあります」(範子さん)

 そして見つかったのが、岡山県吉備中央町にある現在の土地だ。探し始めておよそ3年が経過していた。

「元々は兵庫県で探していたのですけど、なかなかこれはという所がなくて…。その頃はふしぎちゃん(ダンツシンガー)も引退して、ふっちゃん(ストロングフローラ)と2頭で北海道の渡辺牧場にいましたから、早く牧場を始めたいという気持ちになっていて、この場所があいているよと言われて、もうここでやりますっていう感じでした」(範子さん)

 範子さんはふしぎちゃんが引退する前から、出産のために厩務員の仕事を休んでいたのだが、康裕さんは厩務員として勤務を続けていた。

「養老牧場を始めるのは、競馬の社会に一石を投じるという感じになりますし、私が休んでいて競馬場にはいなかったので、主人が辞めます、牧場を始めますと1人で言わないかんというのが、何だか忍びなくて…。私のせいやのにゴメンと思っていました」

 範子さんは、康裕さんに申し訳なく感じていた部分もあった。しかし「厩務員に特に不満があったわけでもないですけど、それより養老牧場をやってみたいという気持ちが強かったですね」という言葉の通り、康裕さんは既に新たな道に進む覚悟を決めていたようだ。

「吉備ひだまり牧場」。これが夢に描いてきた2人の牧場の名前だ。

「馬にも人にも穏やかでポカポカとした、まるでひだまりのような居場所にしたいと考えて、名付けました。どこにあるのかわかりやすいようにという主人の希望を取り入れて、頭に吉備を付けました。主人は今イチしっくり来ていなかったみたいですけど、今は違和感もなくなったようです(笑)」(範子さん)

 最初に吉備ひだまり牧場の住人ならぬ住馬になったのは、牧場を正式に立ち上げる前年(2013年)の12月に北海道の牧場から来た牝の道産子だった。

「朝恵(あさえ)という名前が付いていたのですけど、何かリアルでしょ(笑)。朝恵かあと思って(笑)、ここでは朝(あさ)にしました。朝がいた牧場は、牡と牝が同じ放牧地に群れで放れていて、種付けも自由にしていて、朝のお腹にも多分子供が入っていると思うよって、売って頂きました」

 翌年2月に生まれた女の子には、花(はな)と名付けた。

第二のストーリー

▲道産子の朝と花の親子(提供:吉備ひだまり牧場)


「道産子は可愛いけどお転婆で(笑)。脱走してビートパルプ(砂糖大根から砂糖をとったしぼりかすを利用した飼料)を乾いたまま食べて、それを喉に詰まらせた以外は病気してないですし、体も強いですね」と範子さん。

 康裕さんも「道産子は本当に野生の強さがありますから。サラブレッドは同じ馬ではあっても、やっぱり弱いです。管理する側からすると、性格も体質も全く違って、サラブレッドは本当に人が作り上げてきたんだなというのがわかりますね」と口を揃える。

 そして生まれた娘、花ちゃんは「しつけのタイミングを逸してしまって、完全に野生になっちゃいました」(康裕さん)と、道産子っぷりをいかんなく発揮している。だが呼ぶと来てくれる花ちゃんは、やはり夫妻にとっては可愛い存在には変わりはない。

 道産子に続いて、5月末にやってきたのが、浦河町の渡辺牧場にいたふっちゃんとふしぎちゃん、新ひだか町の荒木牧場にいたアングロアラブのエスケープハッチだ。3頭とも北海道から同じ馬運車に揺られて、岡山までやって来たのだった。

 現在エスケープハッチは、エスケープハッチの会代表の住まいにより近い所へということで、埼玉県日高市のつばさ乗馬苑に移動しているが、ひだまり牧場にいた頃から「甘えるのがすごく上手」だった。余生が保証されているエスケープハッチを送り出す時は、これまで経験した競走馬たちとの別れに比べると、辛さはほとんどなかったという康裕さんの一言が胸に響いた。

(※関連コラム:『エスケープハッチ、先輩への挨拶も済ませ晴れて仲間入り!』)

「牧場を始めたからといってすぐに馬が集まるわけではないですし、まだどんな牧場かわからないですから、オーナーさん側も預けるのも不安でしょうし、様子見があったと思うんですね。最初の半年間くらいは、園田の調教師さんが頑張れやという感じで、現役の競走馬を3、4頭、夏休みという形で休養に出してくれたり、どこか他に移動する間の短期間を預けてくれたりして、何とか回していました」(康裕さん)

 そして2年たった現在は、朝と花を含めて13頭の馬たちが、ひだまり牧場でのんびりと暮らしている。

 入り口近くの放牧地には、ふっちゃんとふしぎちゃんがいた。ふしぎちゃんはアピールがすごく、すぐに近寄って来るが、写真を撮ろうとするとそっぽを向く。「ふしぎちゃん」と何度も呼ぶが、まるで無視。「そっか、人参がないからや」と範子さん。謝礼なしに撮影しようとしたのが甘かったのかと思いながらもしつこくカメラを向け続けていると、範子さんが現役時代の面白いエピソードを教えてくれた。

「レースを必ず観に来て下さるファンの方が、毎回パドックの同じ場所で写真を撮影してくれていたんです。それをふしぎちゃんが覚えて、その方がパッとカメラを出したら、ポーズをとるようになったんです(笑)。またや、レースやで今からと言いながら引っ張ってたんですけど、解説の方もそれに気づかれて『ダンツシンガー、今日もカメラを気にしています』と、パドックで言ったんですよ(笑)。そんな解説なかろうって思うんですけどね(笑)」

 いつも写真を撮影する熱心なファンと、それに気づいた賢いふしぎちゃんにも感動したが、そのパドックの様子を描写した解説者の目線にも、馬への愛情を感じて心が温かくなった。

 放牧地の2頭を観察する限りは、ふっちゃんの方がいつも後ろに待機していて、控えめに映った。

「ふしぎちゃんとは性格は真逆で、ふっちゃんは奥ゆかしいねんな。でもこのいじらしい感じが好きですと言ってくださる、おひさま会の会員さんもいるんですよ」と、範子さん。

 取材時は2頭とも適度な距離を保っていたが、「ふっちゃんは今いる場所にいたいのに、ふしぎちゃんが放牧地の奥の方に行きたい時は、ふっちゃんを後ろから追うんです。私は向こうに行きたいんやって。そしてふっちゃんは無理やり連れていかれるんです(笑)」

 それでもふっちゃんは怒ることもなく、ふしぎちゃんの我がままを許してあげているという。

 アルドワーズの時もそうだったが、馬には人を動かす不思議な力がある。そしてごく普通の人々が、馬の命を繋いでいくのだということを、改めて実感した。

 馬たちの写真を撮影し、エピソードに耳を傾けて取材を終えた。放牧地にいる馬たちは、牧場の名前の通り、穏やかなひだまりの中で、午後のひとときを思い思いに過ごしている。

 その光景を目に焼き付け、手を振る牧場の森光夫妻、アルドワーズの会の北殿夫妻に見送られて、後ろ髪を引かれながら牧場を後にした。今回紹介しきれなかった馬たちもいる。馬に深い愛情を注ぎ続ける人々の話をまだまだ聞きたい。機会を作って、いつかまた訪れよう。そう決めていた。

(了)


※吉備ひだまり牧場
(現在、一般見学は中止しています)

HP http://mauka.web.fc2.com
Facebook https://www.facebook.com/吉備ひだまり牧場-551011321631051/

※吉備ひだまり牧場応援団 おひさま会
現在はストロングフローラ(ふっちゃん)とダンツシンガー(ふしぎちゃん)を会で支援します
http://mauka.web.fc2.com/ohisama.html

※認定NPO法人引退馬協会
http://rha.or.jp

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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