▲JRAへの移籍を目指している時に決まった、地元福山競馬の廃止。今改めて、福山への思いを語ります
高校を卒業後、1991年に念願の騎手デビューを果たした岡田騎手。初めは順風満帆ではなかったと言いますが、デビューから約10年でトップへと登りつめます。頂点に立って初めて見えた景色。その時、自身の中に変化が起きたと言います。さらなるチャレンジでJRAへの移籍を決意しますが、時を同じくして地元福山競馬の廃止が決定。自身の夢を追いかけつつ、地元への思いも募る日々。今改めて、福山への思いを語ります。(取材:東奈緒美)
(前回のつづき)
福山最後の1か月は毎週地元へ帰っていた
東 1991年に騎手デビューされましたが、デビュー当時はどんな思い出がありますか?
岡田 最初は怪我が多かったですね。そんな始まり方でした。骨折とかそこまで大きな怪我ではなかったですが、調子が良くなると怪我をする感じだったので。減量もきつい方でしたし、マイナスとまでは言わないですが、最初から順調にという感じではなかったです。
東 福山競馬場って1周が1000mなんですよね? それだけ小回りだと、乗るのが難しいのかなと思うのですが。
岡田 招待レースで他場から来る人は、「コーナーがきついから怖い」と言ってましたね。僕ら福山の人間はそれが当たり前だったので、何の抵抗もなく乗っていましたけど、それこそ当時はJRAとの交流もあったので、「トレセンの角馬場みたいやな」って言われたりして。当時は師弟関係が厳しい時代でしたからね。「聞かず悟れ」って、自分で見て覚えていく感じでした。そうは言っても、一を言われて十はなかなかわからないので、よく怒られましたね。というか、怒られた思い出ばかりです(苦笑)。
東 特に厳しかった思い出はありますか?
岡田 ん〜、いっぱいあり過ぎて…。厩舎作業も多かったですし、競馬が休みの日には牧場に行って乗りつけをしていました。じゃあそれで競馬でも乗れるかといったら、そういうわけでもなかったですしね。あの頃の新人はそれが当たり前で、「自分はまだ一人前のジョッキーじゃないんだ」って自分に言い聞かせて、奮い立たせていました。
東 そういう環境の中で「いつかはトップに立ってやる」という思いにもなったのかなと思うのですが、当時目指していた方というと?
岡田 嬉勝則さんですね。今は高知で乗られているんですけど、福山時代からすごく可愛がってもらって。僕の前は嬉さんがリーディングだったんです。ずっと目標にしていましたし、「いつか自分がその座を奪うんだ」って、ガツガツしていました。
東 ガツガツ!? 今の雰囲気だと大人の余裕という感じで、想像がつかないです…。
岡田 いやいや。それはもう、年だから(苦笑)。基本、性格はガキ大将でした。自分の中ではイケイケだったと思います。でも、根底にあるものは、今も変わらないと思うんですけどね。悪い意味ではなくて、そういう部分がなくなると自分らしさもなくなっちゃうと思います。ただ、その一方で客観的に見られるようにもなったのかな。一歩引いて広角で物事を見るようにはなりました。
東 その変化は、リーディングを獲られた頃からですか?
岡田 そこが境になったと思いますね。やっぱり、見えるものが変わりましたから。それまでは上位の人を目指して突き進めって頑張っていましたが、いざ自分がその立場になると、今度は狙われる側になりますし、守り続けていくのって結構しんどいですしね。そういうことを経験して、考え方や物事の見方は変わったと思います。
▲岡田「リーディングを獲ったことで、見えるものが変わりました。考え方や物事の見方も変わったと思います」
東 JRAの騎手試験を受け始めたのも、まさにそういう時期だったわけですよね。さらに上を目指してのチャレンジだったということですが、初めに受けると言った時、ご家族の反応はどうだったんですか?
岡田 反対はなかったですね。たぶん「また何か変わったことを考えてるな」という感じだったんじゃないでしょうか。
東 福山競馬の関係者にも、受けることは伝えていらしたんですか?
岡田 もちろん。受験する以上は、伝えておくべきだと思いますからね。そこをないがしろにして勝手に自分だけというわけにはいかないので、「今年受けてきます」「来年も受けます」って、毎年意向は伝えていました。
東 そこから9年間、レースにも乗り続けながら努力を重ねられて、晴れて合格されたわけですが、時を同じくして2013年の3月24日に福山競馬が廃止に。63年の長い歴史に幕を閉じましたけれども、最後に福山のレースに乗られたのはいつになるんですか?
岡田 2月の中旬ですね。正式にJRAの所属になったのは3月1日からですが、その前に地方の免許を失効させないといけなくて、2月19日ぐらいにはこっちに来ているんです。その中で、ギリギリまで乗りました。
東 終わりが見えている中でのレースは、寂しいですよね。
岡田 乗っているときは、「これが最後」っていう感覚はなかったんですけど、3月いっぱいで終わるというのは決まっていましたからね。3月にJRAでデビューしましたが、そこから廃止までの1か月間、阪神でのレースが終わった後に毎週福山に通っていました。
東 毎週ですか。ご自身としては、新たなステージでの希望と地元への思いと、ふたつの感情を抱えながらの日々ですよね。
岡田 そうですね。JRAで乗り始めたことは、僕にとってはうれしいことですが、福山に帰った時はそういうのは出せなかったですから。「あと2週間で終わる」「あと1週間だ」という雰囲気で、そういう中でも応援の言葉をかけてもらいましたが、同時に「お前はいいよな」という空気も感じていましたので。
そこは複雑ではあったんですけど、それでもやっぱり最後まで見届けたかったんですよね。福山最後の日は、こっちの競馬が終わってから向かったので、レースは全て終わっていて、最後の場面には立ち会えませんでした。それが一番辛かったですが、その後に当時所属していた厩舎の人と会食できたので良かったです。
▲2013年3月24日に、63年の長い歴史に幕を閉じた福山競馬場
東 今、競馬場の跡地ってどうなっているんですか?
岡田 今はもう更地ですよ。最初は自分の鞍置き場に行ってみたりしたんですけど、ラチだけ残っているのとかを見るとやっぱりさみしいもので。あまり見たくない光景なので、これまで2回ぐらいしか行っていないですし、これからもそんなには行きたくないですね。
東 改めて福山競馬は、ご自身にとってどんな存在ですか?
岡田 たくさん学ばせてもらって、その分たくさん怒られたりもしたんですけど(笑)、馬乗りを教えてもらったところですからね。これまでの自分の全てです。
(次回へつづく)