スマートフォン版へ

史上初の芦毛のダービー馬 ウィナーズサークル30歳での旅立ち

  • 2016年09月20日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲今年8月に老衰のため、天国へと旅立ったウィナーズサークル。「あの馬の余生は幸せだった」と松山元師が語った意味は


松山元師「あの馬の余生は幸せだったと思います」


 茨城県笠間市にある「東京大学農学生命科学研究科高等動物教育センター」(以下、東大牧場と略)に、ウィナーズサークル(牡)の取材に訪れたのは、2014年のことだった。同馬を管理していた松山康久元調教師と生産した栗山牧場の栗山英樹氏にも同行して頂いた。
当時の記事

 東大牧場に向かう前に、ウィナーズサークル生誕の地、茨城県稲敷市にある栗山牧場にも立ち寄った。茨城県産のダービー馬は、これまでウィナーズサークル唯一頭。幼い頃のウィナーズサークルが遊んだであろう放牧地を前に、当時の思い出話に花が咲いた。

 栗山牧場からしばしのドライブののちに到着した東大牧場。松山元師は、ウィナーズサークルのために、段ボール一箱の人参をプレゼントに用意していた。師の感謝の気持ちと愛情が、その箱一杯に詰まっているように思えた。

 ウィナーズサークルは、取材時、既に28歳と高齢であり、種牡馬生活を送っていた北海道から東大牧場に移動して来た2001年以来、13年振りの再会となるだけに、もし老いた姿になっていたら…。牧場に向かう車中、松山元師は心配を口にしていた。ところが牧場の職員に案内されて、放牧地の奥で草を食むウィナーズサークルの真っ白な馬体を目にした瞬間、松山元師の表情が一変した。

続きはプレミアムサービス登録でご覧になれます。

登録済みの方はこちらからログイン

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング