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【中央移籍から3年半】岡田祥嗣騎手(4)『ポリシーは“努力”その姿勢をずっと崩さずに』

  • 2016年09月26日(月) 12時01分
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▲JRAに移籍して直面した現実の厳しさ、誰にも打ち明けられなかった本音…今だからこそ明かします


岡田騎手が福山のトップジョッキーとなり、さらなる挑戦としてJRAへの移籍を実現させた軌跡をたどってきたインタビュー。最終回の今回は、岡田騎手の知られざる胸の内に迫ります。JRAに移籍して直面した現実の厳しさ、誰にも打ち明けられなかった本音。支えてくれる人たちへの感謝。岡田騎手の心からの声が響きます。(取材:東奈緒美)


(前回のつづき)

毎朝“新人”の気持ちでトレセンに行きます


 福山時代の仲間は、ジョッキーとして残った方、辞められた方、それぞれの道を選ばれていますよね。

岡田 そうですね。騎手を辞めて競馬とは関係のない仕事をしている人もいますし、騎手を続けている人は北海道から九州まで全国で乗っています。交流競走で行った時に会えるのが、いつも楽しみです。

 福山が廃止になる前の2011年には、荒尾が廃止になりましたが、地方競馬の現状について感じていることはありますか?

岡田 それぞれ地域に根付いた競馬場ですからね。やっぱりどこの競馬場にも残ってほしいです。今はネットで馬券がよく売れているじゃないですか。それはすごくいいですよね。存廃問題はどうしても売上の話からになります。一時期は毎年年度末になると、いろいろな競馬場で存廃の話が出ましたが、ネットで売れるようになって一番苦しい時は脱出できたと聞くので、やっぱりうれしいですね。

 岡田騎手が新天地のJRAで活躍されることは、福山競馬への恩返しでもありますよね。見ている方がたくさんいらっしゃると思います。

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▲「岡田騎手がJRAで活躍されることは、福山競馬への恩返しでもありますよね」


岡田 今年のWASJでは、高知の永森大智(福山競馬で期間限定騎乗)が活躍したじゃないですか。地元高知、地方競馬の騎手の方にも励みになると思いますし、僕自身も「JRAで頑張ることが福山のためだ」と、ずっと思ってきたんですけど…。

 ?? 何かあったんですか?

岡田 今年高知で、福山の所属だったジョッキーが集まってやったレースがあったんです。そういうレースがあるって、事後報告だったんですよね。トレセンで働いている人に、「今度高知でレースがあるけど、お前行かへんのか?」って言われて、「えっ? それ何ですか!?」って。週末なのでどちらにしろ僕は行けなかったんですけど…ちょっとショックでした。声ぐらいかけてよ〜、って。

 そんなことが。週末だから無理だろうなと思われたんでしょうけど、寂しいですね。実際にJRAに移籍してみて、想像していた世界とのギャップはありますか?

岡田 あります。厳しいという面では、すごくギャップがありますね。地方とは全く別物で、全てが初めて。じゃあ誰かに聞くのかと言っても、言い方は悪いですけど周りはみんなライバルなので、多分本当のアドバイスになるようなことは聞けないですよね。だからここで生きていく術は、自分で見つけていかないといけなかったわけで。

 福山のトップジョッキーが来たとなったら、周りにとっては強力なライバルが増えたということになりますし。

岡田 孤独なのは慣れているんですけどね(笑)。どこの競馬場でも、トップを獲る人って少なからず、良い意味で孤独だと思うんです。それはずっと付帯してくるものだと思います。特に地方はいろんな競馬場があって、それぞれに特色があって、多分その人にしかわからないものがあると思います。

 JRAの上の人たちを見ていても、同じように孤独を感じているのではないかなと想像したりします。でも、それもまた格好いいと思うし、それがトップだと思うんです。「トップを獲っている人というのは、やっぱりこうなんだな」というのは見ていたらわかります。口では表現しにくいですけど、共通しているのではないかなと思います。

 いろんなことに直面して、そこで折れてしまわれる方もいたりする、厳しい世界だと思うんですけれども、辞めずに続けてこられたことについて、ご自身を評価されていますか?

岡田 評価というか、正直この年まで騎手でいられるとは思わなかったですよね。現役を長く続けたいと漠然とは思っていましたけど、実際にこの年になってみて、ここまで乗っているとは思っていなかった。それこそ、地方の頃は調教師にも興味があったんですけど、JRAを目指し始めてからはその気も全くなくなりました。

 今でも、将来調教師にという思いはないんですか?

岡田 ないですね。ペーパーの試験でJRAに入ったイメージが強いので、「調教師試験を受けろ」って言われることはあるんですけど、もう文字は見たくない(苦笑)。いつまで騎手として乗れるかわからないですけど、まっとうしたいですね。豊さんとか太さんなど、自分より年上の方が活躍されているのはかっこいいなと思いますし、自分自身も現役である以上、目指していきたいなと思っています。ただ、危機感もすごくありますね。需要がなくなったら、やりたくても続けられないですので。だからこそ、支えてもらっている方たちへの感謝が大きいです。

 それは、仲のいい岩田騎手の存在であったり。

岡田 そうですね。着飾る彼でもないので、本当にあのままなんですけど。ライバルなんて言うには、今となってはおこがましいですが、腐れ縁と言うか、どこかでつながっているんでしょうね。しょっちゅう連絡するわけではないですが、肝心な時に自然とお互いに連絡を取っています。

 最初に名前を挙げさせてもらった笹田先生もですしね。今も所属時と同様に「ボス」って呼ばせてもらって、何かあったら必ず相談します。あと、藤原英昭先生にもお世話になっています。調教も手伝わせてもらっていて、ストレイトガールの追い切りに乗せてもらったこともあるんです。

 GI馬に! 藤原厩舎と言えば、みなさん乗馬がご堪能という。

岡田 そうなんです。「うちの調教を手伝うにはこれができないと」って、藤原先生に乗馬的な指導をみっちり受けて。今になってまた指導を受けることが、すごく新鮮なんです。また違ったものが見えてきて、こんな感覚をまた味わえるなんてって。

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▲「藤原先生に乗馬的な指導をみっちり受けて。今になってまた指導を受けることが、すごく新鮮なんです」


 ワクワク感が伝わってきます。

岡田 ワクワクしますね。毎朝、トレセンに行くと「自分は新人君」みたいな感じになるんです。話す人が多くなったり、会話の中身は変わりますが、新鮮さは変わらずにあります。もちろん繰り返しの部分もあって、それこそ若い時は「なんでまたこんなことを」みたいに思ったんでしょうけど、今はまったくそんなのはなくて、毎日がおもしろい。改めて、騎手っていい仕事だなと思いますし、自分にはこれしかできないって思いますよね。

 今日お話をお聞きして、常にチャレンジしているお姿とか、人と比べずに自分が楽しいことを突き進んでやっていく姿勢に、すごく刺激を受けました。

岡田 ありがとうございます。昔から自分のポリシーは「努力」。競馬で一番大事なのは準備だと思っていて、準備がないものに対して、自分がいくら求めても結果は絶対についてこないです。普段のやるべき調教が疎かになっているのに、本番の競馬の時にだけ「勝ちたい、勝ちたい」と言っても無理ですよね。その姿勢を崩さないこと、そういうものをこれからもずっと大事にしていきたいと思っています。

(了)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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