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蹄葉炎の闘病を経て“やんちゃなアポロドルチェ”健在/動画

  • 2016年10月04日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲現在、岡山県岡山市で暮らすアポロドルチェとインストラクターの岡田卓磨さん


現役時代は、入厩した時からやんちゃだった


 2007年の京王杯2歳S(GII)の勝ち馬アポロドルチェが第二の馬生を過ごす、岡山県岡山市のグレース・ライディングクラブに取材に訪れたのは7月初旬だった。

 パドックに放たれたアポロドルチェは、夏の日差しの下で、気持ち良さそうにゴロンゴロンと砂浴びをしては立ち上がるを何度も繰り返していた。今年11歳になるが、表情や仕草が実に無邪気で、いたずらっ子のような幼さの残る瞳が印象的だ。

 アポロドルチェは、2005年4月10日にアメリカで生まれた。父はOfficer、母Summertime Val、母の父がSummer Squallという血統だ。はるばる日本にやって来た同馬は、美浦の堀井雅広厩舎の管理馬となり、マイネルレコルトで朝日杯FS(GI)を勝っている東貴之調教助手が担当となった。

 デビューは2007年9月の中山競馬場。故後藤浩輝騎手が手綱を取って、芝1200mの新馬戦で初陣を飾った。2戦目のいちょうS(OP)は3着に敗れたが、3戦目の京王杯2歳Sで重賞制覇となった。

第二のストーリー

▲京王杯2歳S優勝時のアポロドルチェ(撮影:下野雄規)


 ある日の午後、堀井厩舎に東助手の話を聞きに立ち寄ると、ちょうど担当馬のたてがみを揃えている最中だった。アポロドルチェに会ってきたと伝えると「元気でいたんですか!」と声が弾んだ。

「いやあもう、入厩した時から立ち上がるわ、天井(厩舎関係者の間ではそう呼ばれている・頭絡のこと)をつけさせなかったりで、ヤンチャでしたよ。調教をされるということが嫌いだったのかな。でも走ってしまうと悪さはしないんです。運動とか普段がやんちゃでした」と、中央競馬時代を振り返った。今でもヤンチャで子供っぽい顔をしていたと話すと「そうでしょう!」と納得していた。

 京王杯2歳Sの後の勝ち星は2008年のバーデンバーデンC(OP)のみとやや物足りない感はあるが、アイビスサマーダッシュ(GIII)では2008年から2010年まで3着、2着、4着と3年連続して好走するなど、オープン馬として短距離路線を賑わせてきた。しかし2010年の北九州記念(GIII)でレース中に鼻出血を起こして、18着と殿に敗れて以来、精彩を欠いた。

 東助手もアイビスサマーダッシュで4着と頑張ったあとだっただけに、この鼻出血は残念だったようだ。翌年2011年のアイビスサマーダッシュの13着を最後に地方競馬へと移籍した。大井競馬で2戦、園田、姫路で12戦走ったが、勝ち星を挙げることはできなかった。

「えらい人懐っこい、人を怖がらないんです」


 アポロドルチェの競走馬生活に終止符が打たれたのは、2012年秋だった。9月6日、園田競馬の夢千代特別で、11頭中11着が引退レースとなった。

 9月29日にグレース・ライディングクラブ代表の太田保さんは、兵庫県競馬組合のトレーニング施設である兵庫県立西脇馬事公苑に同馬を引き取りに行った。蹄葉炎だという話は聞いていたが、馬運車まで向かってくるドルチェはおぼつかない脚取りだった。蹄の状態を見ると病はかなり悪化しており、岡山に到着するまで持たない可能性もあると不安がよぎった。

 そんな状況の中で輸送をし、何とかグレース・ライディングクラブに馬運車が到着した。待機してもらっていた獣医や装蹄師と相談し、特殊装蹄が施された。ほどなくしてパドックに放牧できるくらいに回復をし、ブログでもその様子は公開されている。

 アポロドルチェのような蹄葉炎を患った馬の場合、根治するかもわからないし、治療にも時間がかかるため、乗馬としての道は厳しく、第二の馬生が保証されないケースが多い。しかしアポロドルチェに関わった人々は、彼が余生を送れるようにと手を尽くして行き先を探し、その結果グレース・ライディングクラブと縁が繋がり、命も繋がっていったのだった。

「治るのには1年近くかかりました。普通に鉄を履かせて運動もしていました」(太田さん)

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▲蹄葉炎が治るのに1年近くかかったという。しばらくは落ち着いたのだが…


 こうしてしばらくは普通の生活を送っていたが、昨年の11月に蹄葉炎が突如再発してしまう。「起き上がれなくなってしまって。両前脚が蹄葉炎なのですが、蹄底が激しく落ちているのは、左前脚なんです。ただこの時に痛かったのは、右前脚でした」と太田さん。ブログにはその時のレントゲン写真もアップされており、蹄底が落ちてしまっているのが確認できる。また特殊装蹄をしてもらって、闘病が始まった。

「これは私の推測なのですが、栄養性の蹄葉炎ではない感じがしました。横になっていても、ゼーゼーゼーゼー息がものすごく苦しそうなんですよね。もしかすると肺炎などを患っていて、そのあたりから脚に来たのかもわからない…。というのも、血液検査をしても少し白血球が多いくらいで、どこも異常がなかったんです。普通蹄葉炎は、あまり餌を食べさせたらいけないんですけど、アポロには食べさせられるだけ与えてみました。そうしたら良くなったんです。ただ一般的には、蹄葉炎の子に餌を与えたらやはり悪くなりますね。アポロに関しては特別でした」(太田さん)

 こうして徐々に馬房に立っている時間も長くなり、取材した7月にはヤンチャ振りもすっかり復活して、パドックではイキイキした姿を披露してくれた。


「もう少しですね。特殊装蹄で運動をさせようかなとも考えてはいますが、このように放牧程度でもいいのかなとも思っています」(太田さん)

「人間は好きみたいですね。アメリカ生まれですから、向こうは育て方が違うのかな…。えらい人懐っこいですし、人を怖がらないんですよ。日本で育った馬は、箒を持っただけで怖がる馬など、何か人にやられたのかなと思わせる馬が時々いるのですけど、この子はそういうところが一切ないです。

 ただ行動が読めないところがあるんですよ。隣の馬房の馬とは喧嘩ばっかりするし、いったい何をしているのかなと思う時があります(笑)。去勢をしていないので、牡馬らしいこともしますよ。立ち上がったりしてね。威嚇するんじゃなくて、じゃれて遊んでるのだと思います。そんな時もちょっとたしなめるとシュンとしています。よく言うことはききますね。子供っぽいんですよね(笑)」(太田さん)

 育成牧場で勤務経験があり、1年前からグレース・ライディングクラブでインストラクターをしている岡田卓磨さんも「やはり牡やなという感じがします。ヤンチャですね。子供っぽいですけど、可愛げのある馬です。半年前はずっと舎飼だったのに、太ってこんなえらい元気になっちゃって(笑)」と、アポロの性格については太田さんと同じ見解だった。

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▲インストラクターの岡田さんも「ヤンチャですね。子供っぽいですけど可愛げのある馬です」


 アポロに幸せな余生をと関係者が行き先を探したのも、このような性格ゆえかもしれない。

「でも蹄葉炎が悪い時は、治してくれているんだ、これで僕は良くなるんだというのはわかっているみたいです。注射打っても何をしても抵抗せずにじっとしているんです。そういうところは賢いですね」と太田さんは感心していた。

 だがその賢さは、時として自己主張の強さにも表れる。「そろそろアポロを馬房に戻して、サマー(ディープサマー)を出しましょうか」と太田さんが言うと、それを察したアポロは戻りたくないとばかりにこちらに背を向けて、ひたすら無視を決め込んでいる。

「帰るとか帰らんとか言うんですよ(笑)。厩舎に戻りたくない時は、引っ張っても脚を踏ん張っています。促すのにムチを持っていくとイヤーな顔をしていますよ(笑)。かと思うと、放牧に飽きたら出入り口に来て、早く帰ろうと催促してうるさいですしね(笑)。幼稚園の子供みたいなものですね(笑)」

 笑顔の太田さんにとうとう捕まったアポロは、パドックに未練を残しつつも、馬房へと戻っていった。

 洗い場には、芦毛の馬が繋がれた。2005年にクリスタルC(GIII)を勝ったディープサマー(セン14)だった。

(次回へつづく)


※アポロドルチェ、ディープサマーは見学可です。

〒701-0206 岡山県岡山市南区箕島1631-1
グレース・ライディングクラブ
電話 086-282-7222
HP http://www.grace-rc.info

※アポロドルチェ、ディープサマーの引退名馬の頁

アポロドルチェ
https://www.meiba.jp/horses/view/2005110152
ディープサマー
https://www.meiba.jp/horses/view/2002105358

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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