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東日本大震災で被災 救出されたディープサマー/動画

  • 2016年10月11日(火) 18時01分


(前回のつづき)

同じ命を持ったものとして、どうしても助けたい


 ヤンチャなアポロドルチェが馬房へと戻り、ディープサマー(セン14)が洗い場に繋がれた。芦毛のその馬の瞳は穏やかだった。グレース・ライディングクラブ代表の太田保さんの奥様、洋子さんがディープサマーをマッサージし始めると、首を伸ばして唇を震わせながら「うーたまらん」とでも言っているかのような表情をした。


 このような馬の姿を目の前にすると、幸せな気持ちになる。同時に全ての馬たちが、競走馬を引退した後にこんな平和な風景の中で日々を過ごせればいいのにとも思う。

 ディープサマーは、父タイキシャトル、母チカリーの間に2002年3月18日に北海道静内町(現・新ひだか町)のマークリ牧場で生まれた。栗東の山内研二厩舎の管理馬として、2004年7月に、芝1200mの新馬戦でデビュー勝ちを収め、続く函館2歳S(GIII)で2着となった。朝日杯FS(GI・6着)や年が明けてシンザン記念(GIII・4着)など重賞でもまずまずの走りを見せ、クリスタルC(GIII)へと駒を進めた。

 スタートの良かったもう1頭の芦毛エイシンニュートンがハナに立ったが、鞍上の小野次郎騎手が押して押してディープサマーがハナを奪い取った。そこまでの間に脚を使ったように見えたが、直線に入っても勢いは衰えず、そのまま後続を寄せ付けずに先頭でゴールイン。重賞初制覇を成し遂げた。

第二のストーリー

▲クリスタルC優勝時のディープサマー、現役時はまだ濃い芦毛だった(撮影:下野雄規)


 その後も主に芝の短距離路線で走り続け、4歳の8月、佐世保S(1600万下)での4着が中央競馬で最後のレースとなり、船橋の川島正行厩舎へと移籍した。地方競馬時代は、船橋記念(OP)、アフター5スター賞(OP)と2勝し、かしわ記念や帝王賞などの交流重賞にも出走している。地方馬として出走した中央のプロキオンSが引退レースとなった。

 競走馬登録を抹消されたディープサマーは、第二の馬生を福島県南相馬市で引退名馬繋養展示事業の助成金を受けて暮らしていた。だが2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災し、福島での生活にも終止符が打たれる。

 太田さんは震災直後から、何とか馬たちをを助けられないかと思いを募らせていたが、情報が入ってこない中で無力感にさいなまれながらも、行動を起こしたいと模索してきた。ブログでも「お手伝いできることがあれば、微力ではありますが精一杯やらせていただきます。是非ご連絡ください。(中略)馬を見捨てないで下さい、絶対に」と呼びかけている。

 別の日のブログ記事では「人間優先なのはわかっています、でも同じ命を持ったものとして、どうしても助けたい」とも綴っている。

 徐々に詳細が分かり始め、あちこちと連絡を取り合った。馬が多い南相馬市周辺は、福島第一原発が爆発している。人が避難して置き去りにされた馬がいるという情報が、その馬たちを世話していた人からもたらされた。残された馬の気持ちを思うと、いてもたってもいられず、太田さんは出発の準備を進めた。しかし放射能の影響を懸念する人々の反対があってその計画は頓挫しそうになり、心配した家族にも反対された。

 けれども動かずにはいられなかった。3月19日夜、太田さんは馬運車のハンドルを握り、長男とともに一路、福島県南相馬市を目指した。

「向こうに着いた時には震災から9日目でしたが、ちょうど避難している車やバスとすれ違う感じでした。機能しているものの、信号はなくても良い状態で、人間もいない、時折野良犬がポツンといる…。そういう異常な世界でした」

 頻繁に起こる余震の中、馬運車に馬を積み込んだ。そのような状況に、ディープサマーはブルブル震えていたという。太田さんが馬とともに無事帰還したのは、3月21日の早朝。岡山の地を踏んだのはディープサマー、アンドゥオール(残念ながら2014年7月に亡くなっている)、ブラックボス、ファルカタリア、ブラックオリーブという馬たちだった。

第二のストーリー

▲現在は穏やかに暮らすディープサマー、しかし助け出された時はブルブル震えていたという


 福島から戻った太田さんは、南相馬市周辺の異常な状況を目にして、何とかしなければこの街に普通の生活は戻らないのではないかと危惧し、自分に何かできることはないかと考え始めていた。そこへあるNPO法人から「放射能の関係で外で遊べなかったですし、家の中でしか遊べない、学校にもまともに通えない。子供たちを外で遊ばせてやりたい」という話を聞いた。

 ならば県外に連れ出すのが良いのではないかということになり、太田さんが福島まで子供たちを迎えに行き、岡山に連れてきてホームステイをさせて太陽の下で遊んでもらうという取り組みを始めた。昨年はクラブ移転のためにホームステイ受け入れを中止したが、それ以外は毎年行っている。

「去年あたりから聞いていたのですが、南相馬の子供たちがみんな自信がなくなっていると。理由ははっきりわかりませんけど、自分たちは世の中に出て本当にちゃんとやっていけるのだろうかと思っているようだと…。NPO法人の方は学校の先生をはじめ、教育関係の方が多いのですが、その方々が皆口を揃えてそう言うのです。だから、僕はできるんだ、私はこういうことができるんだということを、何らかの方法で教えてあげなければならないのではないかと思いました。

 ウチに来れば会員の子供さんもいますし、その子たちと一緒に遊んだり、勉強したりしながら、僕たち、私たちは他の子供たちと変わらないのだと教えてあげたいと思って、今年は1週間という長期のホームステイにしました」(太田さん)

 参加者の中には、相馬野馬追に出すために馬を飼育していた家の子供もいる。

「今は飼えなくなって馬はいないようですけど、ちょうどウチには南相馬から来た馬もいますし、馬の勉強をしたらいいと。そしてまた飼育できるようになったら、こちらから馬を送ってあげるなどの支援もできたらと考えています。

 ホームステイの時には、サマー君(ディープサマー)も出して手入れをしてもらうことも考えています。南相馬の馬たちが繋いでくれた縁ですし、これからも縁を大切にしていきたいですね。こういう取り組みをやっていく間に、南相馬の子供たちが育ってくれればありがたいなと思います」(太田さん)

 なぜ太田さんは、人や馬にここまで尽くすことができるのだろう。そう思いめぐらせていると「阪神淡路大震災の時に、隣の県にいながら何もできなかったんですよね。その時の後悔があるんです」と理由を教えてくれた。

 確かにそれもあるのかもしれないが、人や動物たちの身に起こったことをまるで自分のことのように感じ、行動に移さずにはいられない。太田さんは、そういう熱くて優しい人なのだと思う。そしてその共感能力と行動力があったからこそ、馬たちは南相馬から脱出できた。

 南相馬で馬運車に乗り込む時にブルブル震えていたディープサマー。今では洋子さんにマッサージされて、緩んだ下唇をワナワナと震わせて気持ちよさそうにしているのだった。

第二のストーリー

▲クラブ代表・太田保さんの奥様、洋子さんのマッサージを受けるディープサマー


(次回へつづく)


※アポロドルチェ、ディープサマーは見学可です。

〒701-0206 岡山県岡山市南区箕島1631-1
グレース・ライディングクラブ
電話 086-282-7222
HP http://www.grace-rc.info

※アポロドルチェ、ディープサマーの引退名馬の頁

アポロドルチェ
https://www.meiba.jp/horses/view/2005110152
ディープサマー
https://www.meiba.jp/horses/view/2002105358

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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