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後世まで語り草になる名勝負となったBCディスタフ回顧

  • 2016年11月09日(水) 12時00分


3歳最強牝馬ソングバードが古馬と激突


 見応えたっぷりの熱戦が続いたブリーダーズC(11月4日・5日、サンタアニタ)だったが、ことに初日と2日目のメイン競走はいずれも、競馬の醍醐味を心底から堪能させてくれる、歴史に残る戦いとなった。

 ここでは、初日に行われた牝馬によるG1BCディスタフ(d9F)について書かせていただきたい。

 今年の見どころは、最強の3歳牝馬ソングバード(牝3、父メダグリアドロー)が、古馬と初めて顔を合わせる点にあった。ここまでの成績、11戦11勝。2歳牝馬女王決定戦のG1BCジュヴェナイルフィリーズ(d8.5F)を含めて、G1・7勝。11戦を通じて2着馬につけた着差の合計が60.1/2馬身。1戦平均の着差が5.1/2馬身で、それもほとんどが抜け出した後にゴール前では流してマークした着差で、つまりの今年の3歳牝馬世代では飛びぬけた能力を持つのがソングバードだった。

 春にはケンタッキーダービー参戦を待望する声がファンからあがったし、夏以降も古馬混合戦への出走が期待されたのだが、結局ここまで走った11戦は全て世代限定戦で、BCディスタフでいよいよ年上の精鋭たちとぶつかったのである。

 迎え撃った6頭の古馬勢の中で、断然の実績を誇ったのがビホールダー(牝6、父ヘニーヒューズ)だった。2歳時からトップ戦線で活躍。2歳時にはBCジュヴェナイルフィリーズを制して米2歳牝馬チャンピオンに。3歳時にはBCディスタフなど4つのG1を制して米3歳牝馬チャンピオンに。故障がちで3戦しか出来ず、G1制覇はG1ゼニヤッタSのみに終わった4歳時はタイトルと無縁だったが、5歳時には再び3つのG1を手中にし、米古牝馬チャンピオンに選ばれている。

 中でも、ビホールダーにとってこれまでのベストパフォーマンスと言われているのが、5歳8月のG1パシフィッククラシックSで、西海岸を代表する牡馬勢を相手に8馬身という決定的な差をつけて圧勝。ゼニヤッタ以降に出現した最強の牝馬と、自他ともに認める存在となっていた。6歳となった今季も現役を続行。初戦のG3アドレイションSに続き、G1ヴァニティマイルを快勝。自身10度目のG1制覇を果たすともに、4歳9月から継続していた連勝記録を“8”まで伸ばしたところまでは、皆が知っている強いビホールダーであった。

 ところが、7月30日にデルマーで行われたG1クレメントLハーシュSで、ビホールダーは2歳年下のステラーウィンド(牝4、父カーリン)との競り合いに敗れ、2年2か月ぶりの敗戦を喫してしまったのである。相手のステラーウィンドとて、前年の米3歳牝馬チャンピオンという肩書を持つ実力馬で、ビホールダーに勝ってファンが仰天する馬ではなかった。だが一方で、ビホールダーが負けた場所がデルマーだったことが、ある意味で「事件」であった。女傑ビホールダーにとって唯一の欠点とされていたのが、輸送に弱いことで、遠征競馬を試みると力を発揮出来なかったり、遠征先で体調を崩してレース参戦にまで至らなかったりを、幾度か繰り返していた。

 前回の敗戦(4歳6月)も、東海岸のベルモントパークに遠征して走ったG1オグデンフィップスS(4着)で、その前の敗戦(3歳5月)も、ケンタッキーのチャーチルダウンズに遠征して走ったG1ケンタッキーオークス(2着)で、つまりは地元カリフォルニアでは、馬がまだ子供だった3歳1月のG2サンタイネスSで2着になって以来、3年4か月にわたって14連勝だったのである。そのカリフォルニアで、牝馬に負けたことが、ファンにはショックだった。

 続いて出走した、自身の連覇がかかったG1パシフィッククラシックで、カリフォルニアクロームの2着に敗れたレースは、まだ許容範囲だった。だが、自身の4連覇を目指して出走した、10月1日のゼニヤッタSで、またしても逃げて粘り切れずにステラーウィンドの2着に敗れ、まさかの3連敗を喫した時、ファンは心の中で、ある種の諦観を抱かざるを得なくなった。

 3連敗といっても、いずれも2着惜敗で、彼女が戦う姿勢を失ってしまったわけではなかった。ただし、パシフィッククラシックSで、西海岸を代表する牡馬勢を相手に8馬身という決定的な差をつけて圧勝した頃の彼女では、なくなっていたこともまた間違いなく、徐々にではあるが、母になる準備を心と体のどこかで意識しはじめていたビホールダーが、そこにはいたような気がする。

 そんな情勢で迎えたBCディスタフ。ファンはソングバードを2.1倍の1番人気に支持。2戦続けてビホールダーを破りG1連勝を果たしての参戦だったステラーウィンドが3.5倍の2番人気で、ビホールダーは4.3倍の3番人気に甘んじた。

 ソングバードに騎乗したマイク・スミスが、発馬直後にあれだけ馬を促す姿を、筆者は初めて見た気がする。ビホールダーだけでなく、前走キーンランドのG1スピンスターSを7馬身差で制し3度目のG1制覇を果たしての参戦だったアイムアチャッターボックス(牝4、父マニングス)も、この顔触れを相手に堂々たる逃げを打てるスピードのある馬だったが、ここは決してハナを譲るまいとする、スミスの気迫を感じさせた騎乗だった。

 序盤の位置取りは、ビホールダーが5番手外目で、ステラーウィンドが6番手。ソングバードが刻んたラップは、オープニング・クオーターが23秒32で、半マイルが47秒14。平均よりは速い流れだったが、ソングバードは単騎で逃げており、これを見てこのままではイケナイと感じたビホールダーのゲイリー・スティーヴンスは、向こう正面に入ると3番手まで進出。

 そして、レースが動いたのが3コーナー過ぎで、一斉に仕掛けた後続の中で最も勢いの良かったビホールダーが、3-4コーナー中間付近でソングバードの外に馬体をあわせ、そこから先は2頭の一騎打ちになった。

 直線に向いて一旦はソングバードが半馬身ほど前に出た後、ビホールダーが差し返して、残り150m付近から再び2頭が、鼻面を揃えての競り合いに。見た目には2頭が同時にゴールに入ったように見えた後、写真判定の末、決勝審判が勝者とコールしたのはビホールダーだった。ステラーウィンドは4着に敗れている。

 ソングバードもビホールダーも、類まれな能力を持つ名牝であることは間違いない。驚いたのは、あの局面を迎えてビホールダーが、既に失くしていたと見られていた勝利を諦めない執念を発揮したことで、それを引き出したのは言うまでもなく、最強の3歳牝馬にして次世代のこの路線を引っ張ることが確実なソングバードであった。最強牝馬のバトンを渡すにあたって、本当に強い馬とはどのような競馬をするのかを、見せる義務があると思い込んだかのような、ビホールダーの鬼気迫る競馬であった。負けたソングバードのマイク・スミスの顔が悔しさに歪み、勝ったビホールダーのゲイリー・スティーヴンスが感涙にむせんだ光景を含め、後世まで語り草になる名勝負であったと思う。

 筆者が思い出したのが、無敗の最強古馬パーソナルエンスンと、ケンタッキーダービーを制した最強の3歳馬ウイニングカラーズが激突した1988年のBCディスタフである。これもまた世紀の一戦と称されているのだが、あの時も、逃げたのは3歳のウイニングカラーズで、ゴール寸前でこれを差したのが「ミスパーフェクト」と呼ばれた古馬のパーソナルエンスンだった。奇遇だが、この時ウイニングカラーズに乗り、鼻差で敗れて悔し涙を流したのが、今年のBCディスタフで感涙にむせんだゲイリー・スティーヴンスであった。

 11度目のG1を手にしたビホールダーは、この一戦をもって現役を引退。馬主のウェイン・ヒューズ氏がケンタッキーに持つスペンドスリフト・ファームで繁殖入りし、初年度の交配相手はアンクルモーが予定されている。生涯初の敗戦を喫したソングバードは、来年の現役続行を陣営が表明。ゆっくりとオーバーホールを施した後に、来季の目標を決める予定だ。

 世代交代が行われないまま、主役が入れ替わることになった牝馬戦線に対し、目に見える形で世代交代が実現したのが、2日目のメイン競走であるG1BCクラシックだった。そして、世代交代を果たしたアロゲイト(牡3)の鞍上で、満面の笑みを浮かべたのが、24時間前にわずかの差で苦渋をなめたマイク・スミスだったことを、ここに記しておきたい。競馬が持つ面白さを、たっぷりと味わうことが出来た2日間だった。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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