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【再起をかける(2)】東京パラリンピック出場を目標に 高嶋活士元騎手のチャレンジ

  • 2016年12月01日(木) 18時01分


ホースマンの道は様々である。トップを歩む者、戦う場所を変える者、虎視眈眈と上を狙う若手…。そんな中、自らの生きる道を求めるふたりのホースマンを取材した。

一人目は三村展久騎手(高知)。福山のトップ騎手が、廃止を機にもがく日々を送っている。三村騎手が再び輝く姿を待つファンからの取材リクエスト。彼の本音、覚悟に迫った。

そして二人目は、高嶋活士元騎手(JRA)。デビューから2年後の落馬事故により引退。騎手としての人生は短かったが、現在は東京パラリンピックを目指す障がい者馬術の選手として活躍。新たなステージで再起をかける、ふたりの姿に迫る。

(※掲載スケジュール:三村騎手は11月30日、高嶋元騎手は12月1日。2日連続で公開します)



ノンフィクションファイル

競馬学校時代には模擬レースで総合優勝を果たし、その資質の高さからもジョッキーとして前途有望かに思われていた高嶋活士。だがプロの道は厳しく、同期が次々と勝ち名乗りを上げる中、高嶋1人だけが初勝利に手が届かずにいた。やがて高嶋は、1勝の壁を乗り越えるべく、障害レースにも挑戦を始めた。初勝利に近かったレースもあった。壁を乗り越える日も近いと思われたある日、アクシデントが待ち受けていた。2013年2月9日、障害レースで落馬。意識不明のまま病院に運びこまれたのだ。幸い意識は回復したものの、脳挫傷による後遺症で右半身に麻痺が残った。懸命のリハビリが続いたが、2015年9月30日、ついに引退が発表された。その高嶋は今、再び馬上にいる。見据えた先には、2020年東京パラリンピック出場という大きな目標があった。(取材・文:佐々木祥恵)

病院のベッドの上で目覚めたのは、事故から1週間後


 競馬をほとんど知らなかった高嶋が、ジョッキーを目指したのは父の勧めだった。

「動物全般が好きでしたから、動物園の飼育係とか動物系の仕事に就きたいとか思っていたので、騎手の道も良いかなと…」

 当時千葉県市原市に住んでいた高嶋が騎手を意識して初めて馬に乗ったのは、同県内にある長谷川ライディングファーム。14歳の時だった。「段々うまくなっていくことが楽しかった」という高嶋は、馬に乗るおもしろさに目覚め、競馬学校にも無事合格する。

「学校では馬に乗っていればいいのかと思っていたら、競馬法など専門的な勉強がたくさんあって、元々勉強が苦手だったので、よく補習を受けていました」と苦笑いする高嶋だが、模擬レースでは総合優勝を果たし、実技では優秀な成績を収めた。

 デビュー戦は2011年3月5日、オペラフォンテンで臨んだ3歳未勝利戦での4着。初騎乗で掲示板は悪くないスタートにも思えた。

「レースの質が、模擬レースとは全く比べものにならなかったです。模擬レースは実戦に比べれば緩い感じで、競馬もしやすいですけど、実際のレースでは頭数も違いますし、みんなタイトに回ってきますから」と高嶋はデビューを振り返った。

 その後、同期が次々と初勝利を挙げていく中、1人、勝てない日々が続き、1勝をすることの難しさを味わっていた。

 やがて高嶋は、障害レースにも騎乗するようになった。「楽しそうというイメージを持っていたんで、乗ってみないかと調教師に言われてやってみようと思いました」

 2012年3月3日の障害デビュー戦は、飛越に問題のない安心して回って来られる馬に騎乗したが「第1障害はもうソワソワしました」と本人も振り返るが、やはり緊張はあったようだ。

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▲2013年1月13日500万下、トーセントレジャーに騎乗し惜しくも2着 (C)netkeiba.com


 その後も平地と平行して障害レースに騎乗を続け、初勝利を目指した。だが高嶋に悲劇が待っていた。2013年2月9日、東京競馬場の障害未勝利戦。高嶋はアバディの馬上にいた。「飛びが危なっかしい馬でしたけど、段々良くなってそろそろ行けるかなと考えていた時でした」

 1週目8号障害の着地で馬が転倒し、落馬。高嶋は馬場に叩きつけられ、意識を失った。脳挫傷と鎖骨骨折の重傷を負った高嶋が、病院のベッドの上で目覚めたのは事故から1週間後のことだった。

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