スマートフォン版へ

ホッコータルマエ、新冠に到着

  • 2016年12月14日(水) 18時00分
ホッコータルマエと関係者の方々

ホッコータルマエと関係者の方々


一年でも長い第二の馬生を

 先週の土日、北海道の各地は大雪に見舞われ、空の玄関口である千歳空港では、欠航便が相次いだことから、空港ターミナルで夜を明かした人々がかなりいたという。札幌でも一気に60センチもの積雪を記録し、名物のササラ電車も運行を取り止めるほどの事態になったらしい。

 そんなニュースが俄かには信じられないほど日高は今のところ雪がない。昨日の朝はうっすらと雪が積もったものの、午前中の雨でそれも完全に溶けてしまい、ただいま積雪ゼロ状態である。地面が凍結したまま硬くなっており、生産牧場ではむしろ「そろそろ雪が欲しい」と悲鳴を上げているほどだ。できれば20センチくらい積もってくれると、馬たちが運動する際にちょうど良いクッションになるのだが、というわけである。

 さて、その日曜日。新冠の優駿スタリオンに、現役を退いたホッコータルマエとアジアエクスプレスが来春から種牡馬となるべく海を渡って移動してきた。

ひと足先に到着したアジアエクスプレス

ひと足先に到着したアジアエクスプレス


ホッコータルマエと迎える人々

ホッコータルマエと迎える人々

 午前9時にアジアエクスプレスがまず到着し、正午を回った頃に、ホッコータルマエが着いた。ホッコータルマエは前日の午前9時半に栗東トレセンを出発し、はるばる27時間近くをかけて運ばれてきたことになる。

 通常、競走馬の輸送は、概ね青森-函館間のフェリーを使う。本州と北海道を結ぶフェリーは苫小牧-八戸や小樽-舞鶴などいくつものルートがあるが、道中で病気や怪我などのアクシデント発生に備え、できるだけ船の所要時間を少なくするのが一般的である。なぜならば、船内で何かことが起こっても対処が難しいからだ。

 したがって延々、陸路をひたすら走る。ホッコータルマエには、この馬と5年間苦楽を共にした相良元輝助手(41歳)が付き添ってきた。無事に到着したのを見届けた相良助手は感慨深そうに「ドバイにも3回遠征させてもらいましたし、長い間、休養らしい休養もなく現役を続けて来られたことに改めてお礼を言いたいですね」と表情を綻ばせていた。

 改めて触れるまでもないが、39戦17勝、そのうちGI/JpnIを10勝しており、獲得賞金も10億円を超えている。ダート王者として、京都でデビューした後、小倉、中京、阪神、東京、大井、新潟、中山、佐賀、名古屋、船橋、盛岡、金沢、川崎と、国内だけでも実に14競馬場を転戦した。おそらく全国各地にこの馬の生の姿を目撃したことのあるファンがかなりいるに違いない。

 はるばる栗東から帰って来たばかりとあって、馬房のホッコータルマエはやや寒そうであった。タルマエが到着後、スタリオンに駈けつけた矢部道晃オーナーと再会を果たし、そのあとで、一度外に出してもらうことになった。

 カラリと晴れた日ではあったが、さすがに12月の北海道は寒い。気温はおそらくマイナスのままで、撮影もそこそこにまた馬房に戻された。

ホッコータルマエの立ち姿

ホッコータルマエの立ち姿

 これから、試験種付けをして、来春からの種牡馬生活に備える。同日、ここに到着したアジアエクスプレスともども、今後は優駿スタリオンの看板種牡馬として、生産地を支えて行くことになるだろう。

 疲れが残っていたせいもあるかもしれないが、馬房から引き出されたホッコータルマエは、ひじょうに落ち着いていて、物静かであった。相良助手によれば「普段は本当に大人しくて、手こずらせることはなかったですね」とのこと。「ただ、内に秘めた闘志はかなり強かったとは思います」とも言っていた。

 何せ、「レースでは一度も限界まで力を出し切って走ったことがなかったんじゃないでしょうか」と相良助手。「ぶっちぎりで勝ったことはあまりなくて、たいてい必要最低限の着差だけで先頭に立っていましたから」ということは、おそらく勝ち方を知っていたのではないかと思われる。それだけ賢い馬なのだろう。メンコを付けている姿しか見たことがなかったのだが、改めて“素顔”を見ると、なかなかのイケ面で、聡明そうな顔をしている。

 ところで、同日の午前に到着したアジアエクスプレスも、廊下に出された際には、リラックスしており、落ち着いていた。こちらは、現役時代に550キロ前後で走っていたように、見るからにマッチョな体型である。脚部不安と闘いながら12戦4勝の成績で引退を余儀なくされた悲運の名馬だが、馬体は素晴らしい。ヘニーヒューズの後継種牡馬として、期待が持てそうだ。この馬も温和な表情で、むしろ可愛い顔をしている。

 こうして無事に引退し、種牡馬入りできる馬はほんのわずか。ともに今後は種牡馬として第二の人生ならぬ「馬生」が始まるわけだが、一年でも長く生き長らえることを願わずにはいられない。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング