第二のストーリー 〜あの馬はいま〜/佐々木祥恵

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【有馬記念】チーム・テイオー「皇帝から帝王に受け継がれた血脈を絶やしてはならない」/前編

2016年12月19日(月)18時01分

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第二のストーリー

▲1993年の有馬記念で奇跡の復活を遂げたトウカイテイオー(撮影:下野雄規)


見事な復活劇にファンの興奮は最高潮に達した


 およそ1年のブランクを経て、トウカイテイオーが有馬記念を制したのは、今から23年前。1993年のことだった。休み明けで、しかも1年もレースから遠ざかっていた馬が、暮れの大一番、有馬記念を制する。誰もがその奇跡の場面に驚き、感動した。364日振りの実戦でGI勝利という記録は、未だ破られてはいない。

 1988年4月20日、北海道新冠町の長浜牧場で、額に流星のある鹿毛の牡馬が誕生した。父は皇帝と呼ばれたシンボリルドルフ、母はオークス馬トウカイローマンの半妹トウカイナチュラル。これがのちのトウカイテイオーである。

 トウカイローマンとトウカイナチュラルのオーナー内村正則氏は、当初は姉ローマンにルドルフを交配する予定でいた。けれども競走馬として長く活躍した姉の引退は延期され、かわりに妹に白羽の矢が立った。もしローマンの引退が延期されなかったら…。あのトウカイテイオーは、存在していなかった。運命の不思議、巡り合わせの不思議を感じずにはいられない。

 成長したトウカイテイオーは、栗東の松元省一厩舎に入厩した。1990年12月1日に中京競馬場でデビューした同馬は初陣を飾ると、その後も勝ち続けた。尋常ではない繋ぎの柔らかさが同馬の類まれなバネを生みだし、お尻が跳ね上がるような独特の歩様は、のちに「テイオー・ウォーク」と呼ばれるようになる。そして父の足跡をたどるように、無敗のまま皐月賞、日本ダービーに優勝し、連勝街道を突き進んだ。

 しかしダービー後に骨折が判明。父子2代の三冠馬の夢は早くも潰えた。栄光から一転、テイオーの苦難の道のりが始まる。

 骨折が癒えたテイオーは、1992年4月の産経大阪杯で復帰戦を白星で飾り、連勝を7に伸ばすも、天皇賞(春)で5着と初めての敗北を喫した。しかもレース後に骨折がわかり、再び休養に入る。秋には天皇賞(秋)に出走するも、1000m通過が57秒5という超ハイペースをうまく乗り切れず、7着と馬群に沈んだ。

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▲日本ダービーから約1年ぶりの大阪杯を勝利 (C)netkeiba.com


 だがテイオーは終わってはいなかった。史上最強のメンバーとなったジャパンCで、外国馬を含む強豪を退けて、見事に帝王の座に返り咲いたのだ。続く有馬記念では当然のごとく1番人気に支持されたが、見せ場を1度も作れず11着に終わった。のちにレース直前、寄生虫駆除の下剤を服用したことが、調教師より明かされている。

 翌年1月、左中臀筋を痛めていることが分かり、放牧に出た。3月に帰厩して宝塚記念を目指したが、またしても骨折が判明し、休養に入った。だがこの骨折休養こそが、冒頭に書いた364日振りの実戦で有馬記念に優勝という、奇跡への序章となったのだった。

 前年の有馬記念でのまさかの大敗から1年振りの実戦で、見事な復活劇をテイオーが演じたその時、ファンの興奮は最高潮に達した。

 名は体を表すとはよく言ったもので、シンボリルドルフも皇帝にふさわしい戦績と、誇り高さを持ち合わせていた。息子トウカイテイオーは、その圧倒的な強さもさることながら、貴公子のようなルックスと弾むようなフットワークで、多くのファンを魅了した。皇帝の血を受け継ぐにふさわしい、強さと美しさを兼ね備えた、正に帝王だった。

 翌年には4度目の骨折をしたテイオーは、出走が叶わぬまま多くのファン、関係者に惜しまれつつターフに別れを告げて、北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。その産駒の中からは、トウカイポイントがマイルCSを、ヤマニンシュクルが阪神JFを、ストロングブラッドがかしわ記念をそれぞれ優勝。3頭のGIウイナーを輩出している。

 父シンボリルドルフが30歳で亡くなったのは、2011年10月4日。テイオーが23歳の時であった。そのルドルフの訃報に接し「皇帝から帝王に受け継がれた血脈を絶やしてはならない、そのために何かしらの活動をしていこう」と、有志が集まって設立されたのが「チーム・テイオー」だった。

「まずは横断幕を作って、競馬場のパドックに出す活動から始めました。当時は現役の産駒たちがまだ多頭数いましたので、その子たちを応援しようというのと、幕を見た人がテイオーを再認識してくれれば…そういう気持ちからでした」と話すのは、チーム・テイオーのリーダー、Sさんだ。

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▲パドックに張られた「チーム・テイオー」の横断幕


 Sさんはトウカイテイオーに魅せられ、テイオーによって人生が変わった1人だった。

「テイオーのファンになったのは、ダービーの時からなので、25年前ですね。競馬を見始めたのもこの年からでした。テイオーに出会えていなければ、競走馬たちとも無縁の生活を送っていたことでしょう」

 テイオーが引退して種牡馬となり、やがてテイオーの子供たちがデビューし始めた。

「この頃には、引退した競走馬たちがどうなるかがわかっていました。素晴らしい感動と生き甲斐を私に与えてくれた、テイオーとその子供たちに何かできないだろうかと考え、2000年にイグレット軽種馬フォスターペアレントの会(現・認定NPO法人引退馬協会)に入会しました。引退馬の引き取り方やどのように繋養するかなど、わからないことばかりでしたので、協会本部を訪ねて相談に乗って頂きました」

 引き取りたいテイオーの子供が出てきたSさんは、引退馬協会で学んだノウハウをもとに、相談しながら行動に移した。Sさんが最初に引き取ったテイオーの子供は、1歳の時から競走馬引退までSさんがずっと見守り続け、引退後は乗馬になり、現在も幸せに暮らしている。

 またチーム・テイオーを立ち上げ横断幕を出し始めると、一層子供たちへの愛着が湧き、厩舎や牧場にその産駒たちを訪ね歩いた。

「ただ個人的に次々と子供たちを引き取っていたら、経済的にも破たんしますので、仲間たちと一緒に支援する『チーム・テイオー』の活動の一環として『トウカイテイオー産駒の会』を作りました。その活動の中で1頭目を支援して、現在は2頭目を支援しています」

 ちなみに1頭目のサポート馬は、ヤマニンバッスル(セン10)。中央では準オープンクラスまで出世し、通算成績29戦4勝と競走馬としても活躍していた。

「額に流星がきれいに入っていて、風貌がものすごくテイオーと似ているんですよ。中央から地方に移籍した時に、引退後はどうなるのだろうと気になっていました。体高があり見栄えのする馬ですし、乗馬に適しているのではないかなと個人的には思っていました」

 Sさんは厩舎を訪ね「こちらで面倒を見て、乗馬にしてあげたい」旨を調教師に伝えて、オーナーからの快諾を得た。

 幸い乗馬としての素質に恵まれ、競技会にも出場できるようになり、ぜひ乗馬として引き取りたいという声が出てきた。支援がなくても独り立ちができる段階まできていたが、大切な産駒なので大事にしてもらえることなどを条件に、現在は繋養先での譲渡トライアル期間を過ごしている。

 2頭目は、栗毛のゴールドショット(セン10)という馬で、2006年3月9日、桜花賞馬テイエムオーシャンなどを生産した浦河町の川越ファームで生まれた。2歳時はパドックで大暴れするなど気性の激しさが目立ったが、古馬になってからは気性的にも落ち着き、これからという矢先、2010年9月のレース中に骨折が判明し、長期休養に入った。

 ショットのオーナーは、もう1度走ってほしいと願い、傷が癒えるのを気長に待った。ショットが復帰したのは、2012年4月。チーム・テイオーとしての活動を始めていたSさんは、1年7か月の休養を経てレースに臨むショットに横断幕を掲げて応援しようと、出走のたびに大井競馬場に通うようになった。そしてショットは、オーナーの期待に応えるかのように5連勝するなど、競走馬としての輝きを取り戻した。

 何度も口取りをご一緒させてもらうなど、オーナーとも交流を持っていたSさんは、思い切って引退した後について尋ねてみた。すると「乗馬として生かしてあげたい」という嬉しい答えを得た。

 だがホッとしたのも束の間、2014年6月のレースに出走したショットは、現地で一緒に応援していたオーナーとSさんの見ている前で、再び骨折をしてしまう。ゴールはしたものの、競走能力喪失が明らかな重度の骨折で、通常なら競走馬登録抹消及び処分の道が待っていてもおかしくないものだった。骨折後のショットを見舞ったSさんは、諦めきれずにオーナーに申し出た。

「何とか脚が治るまで面倒を見ていただけないかとお願いしてみたんですね。オーナーさんも頑張ってくれたショットを生かしてやりたいと言ってくださいました」

 こうしてショットは、第二の馬生を手に入れたのだった。

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▲ゴールドショットの勝利ゼッケン


(明日の後編へつづく)


※チーム・テイオー、トウカイテイオー産駒の会については、以下のサイト、Facebookをご覧ください。

チーム・テイオー公式サイト
http://team-teio.jimdo.com

チーム・テイオー&トウカイテイオー産駒の会 Facebook
https://www.facebook.com/tokaiteiosannku.teamteio
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コラムニストプロフィール

佐々木祥恵
佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。