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レース名について

  • 2017年01月07日(土) 12時00分


 今週行われるシンザン記念にちなみ、月刊フリーマガジン「うまレター」の連載にシンザンについて書いた。シンザンと、管理した武田文吾の功績について主に記したのだが、脱稿してから、レース名についてもあれこれと思いを巡らせた。

 JRAで馬名がレース名になっているのはセントライトとシンザンだけで、どちらも三冠馬だ。セントライトが日本競馬史上初の三冠馬となったのは太平洋戦争が勃発した1941年、シンザンが史上2頭目の三冠馬となったのは東京オリンピックが開催された1964年のことだった。

 2頭が三冠馬になってから何年後に馬名を冠したレースができたのかというと、セントライト記念は47年創設だから6年後、シンザン記念は67年だから3年後だ。

 セントライトの場合は、三冠達成からレース創設までの間に戦争による開催休止期間があった。44年の競馬は馬券を売らない能力検定競走として行われ、45年は開催中止となり、46年の秋に戦後初の競馬が行われた。馬名を冠したレースをすぐにやりたくてもできる状況ではなかったのだ。

 シンザンの場合は、65年の有馬記念を勝って引退し、翌年1月に引退式が行われ、その1年後の1月にはもう第1回シンザン記念が実施された。

 どちらも感覚的には、引退後、馬に対する関係者やファンの思いが熱いうちに馬名を冠したレースが行われた、と言っていい。

 その伝で言うと、3頭目以降の三冠馬の名を冠したレースがとっくに創設されていてもいいはずだが、今のところ、ない。

 史上3頭目の三冠馬は83年のミスターシービー、4頭目は84年のシンボリルドルフ、5頭目は94年のナリタブライアン、6頭目は2005年のディープインパクト、そして、直近の7頭目は11年のオルフェーヴルだ。

 セントライト記念とシンザン記念があるのにミスターシービー記念やシンボリルドルフ記念がないのはなぜだろう。

 セントライトは史上初、シンザンは戦後初の三冠馬といったように「初」がつく特別な存在だからか。

 人名を冠したレースは安田記念と有馬記念だけだ。「日本競馬の父」と言われたJRA初代理事長の安田伊左衛門と、ファン投票で出走馬を決めるグランプリを発案するなどした2代目理事長の有馬頼寧の功績をたたえて命名された。が、3代目以降の理事長はレース名になっていない。

 人名を冠したレースがふたつだから、馬名を冠したレースもふたつ、といったように統一したのか。

 では、競馬場名や、競馬場のあった地名を冠したレースはどうか。

 札幌記念、函館記念、福島記念、新潟記念、中山記念、目黒記念、中京記念、京都記念、鳴尾記念、小倉記念と10場すべて、過不足なく揃っている。いや、阪神には宝塚記念、新潟には関屋記念がある(北九州記念は違うかな)。阪神と新潟だけ、地名を冠したレースがふたつあるのはなぜだろう。

 これは不公平だとか、おかしいと言うつもりはない。また、「なぜだろう」と自分で言っておきながら、それほど真剣に理由を知りたいとも思わない。話のタネになれば充分だと思っている。

 ほかに「記念」とつくレースは高松宮記念だけか。これは宮家のことであって個人名ではないから、人名を冠したレースは安田記念と有馬記念のふたつ、ということでいいと思われる。

 今年も初っぱなから「だから何なんだ」という話になってしまった。

 人が生きていくうえでどうしても必要なわけではなくても、読んでくれた人が「へえ」と思えたり、気持ちの余裕の部分における好奇心をいくらかでも満たすことができるものを書いていけるよう頑張りたい。

 ということで、本年もどうぞよろしくお願いします。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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