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種牡馬スキャンの旅立ち(2)『2016年12月31日 日本の地で安らかに生涯を閉じた』

  • 2017年01月17日(火) 18時01分

(前回のつづき)

「栃木の怪物」「無敗の南関東三冠馬」も繋養中


 スキャンが晩年を過ごした北海道新ひだか町にある荒木貴宏さんの牧場は、サラブレッドの生産の傍ら、引退馬の繋養を行っている。引退馬を繋養するきっかけは、イグレッド軽種馬フォスターペアレントの会(現・認定NPO法人引退馬協会)のアンケートだった。

「“引退馬を受け入れますか”という質問があったんです。ちょうどその頃、馬がなかなか売れなかったり、売れても値段が思わしくない時代でしたので、空き馬房の活用ができたらというのもありました。引退した馬の場合、セン馬や牝馬は受け入れてもらいやすいのですが、牡馬を受け入れるという所は少ないんですよね。ウチは牡馬でも受け入れますと回答しました」

 最初に受け入れた馬は、マイネルスティングという馬だった。当初は個人の馬主が所有していたが、のちに会員を募ってその馬を支える「マイネルスティングの会」が発足し、それを機にスティングは静内坂本牧場へと移動していった(マイネルスティングは2013年に21歳で死亡)。

 現在は「栃木の怪物」と呼ばれたブライアンズロマン(牡26)、無敗で南関東の三冠を制したトーシンブリザード(牡19)、秋の天皇賞馬ネーハイシーザー(セン27)が引退功労馬として、羽田盃、東京ダービーを逃げ切って南関東二冠馬となり、第1回のジャパンダートダービーに優勝したオリオンザサンクス(牡21)が種牡馬として繋養されている。

第二のストーリー

▲ブライアンズロマン、馬服を着せてもらい冬でも元気(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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▲昨年18歳の誕生日の迎えた時のトーシンブリザード(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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▲1994年の秋の天皇賞馬ネーハイシーザー(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


 かつては平地競走歴代2位の54勝の記録を持つアングロアラブのエスケープハッチ(現在は埼玉県のつばさ乗馬苑)、東京新聞杯や中山金杯勝ちのセキテイリュウオー(2011年に22歳で死亡)も荒木さんの牧場で暮らしていた。

 荒木牧場功労馬サポーターズで支援を受けるネーハイシーザーは、種牡馬を引退してからはBTC(現ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)の引退名馬繋養展示事業の助成金を受け、とある牧場で余生を送っていたが、助成金が月3万円から月2万円に減額されたのが一因となり、繋養し続けるのが困難となり、荒木さんに相談が持ちかけられた。

「その当時、セキテイリュウオーが亡くなった頃で、たまたまネーハイシーザーの話が来ました。僕も引退した功労馬を預かるようになってから、そのような馬たちを消息不明にするのは忍びないという気持ちがあり、まずは受け入れてからその後どうするかを考えることにしました」

 それまではブライアンズロマンの会のように、1頭の馬に1つの会が組織され、会員を募って支援するという形が一般的だったが、会を作るたびに会員を集めるのが難しいケースもある。

「それなら牧場をサポートしてくれる会員を募集して、新たに受け入れた馬を支援したり、次の行き先が見つかるまで預かる馬たちの中間支援をしていくという形にしようと、荒木牧場功労馬サポーターズを作りました。これで少しでも、馬たちへの恩返しができればと思っています」

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▲昨年の12月、北風にも負けず元気に過ごしていたスキャン(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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▲荒木牧場に移動してきて丸1年が過ぎた(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


引退功労馬を預かる上で大事なこと


 そんな荒木さんのもとに、当初は中間支援の予定で日高スタリオンステーションからスキャンがやって来たのは、2015年の暮れだった。

「ウチに来る前の年までは種牡馬登録をされていましたので、牝馬を見るとヒンヒン鳴いたりしていましたし、精神的には最後まで現役種牡馬のつもりだったのだと思います。人間も、特に男性の場合は年齢を重ねても色気があった方が若々しいですよね(笑)。馬も同じで、スキャンのように牝馬を見て反応しているうちは元気な証拠なんだろうなと思っていました。それでも普段はとても扱いやすく穏やかな性格でしたし、ファンの方が訪れると近寄っていって愛想をふりまいたりしていましたよ」

 日本で競走馬として走っていない輸入種牡馬たちは、ファンに馴染みも愛着もあまりないというハンデがある。前回紹介したように処分されてしまった米国の名馬・ファーディナンドの例もある。けれども、その負の歴史があったからこそ、スキャンの晩年は穏やかなものとなったとも言えよう。

 牧場に直接訪ねる以外にも、スキャンには様々な形で愛情が注がれた。

「人参やリンゴ以外にも青草を箱で送ってきてくださる方もいましたし、スキャンが亡くなってからは、たくさんお花が届いています。亡くなって1週間以上たってからも、お花が届くんですよね。ファンの方の気持ちがヒシヒシと伝わってきます。

 以前いた日高スタリオンさんは見学に訪れるファンをとても温かく受け入れていたようですね。日高スタリオンさんにとってもスキャンは思い入れのある種牡馬だったようですし、スタリオン時代からのスキャンのファンもいたと思いますよ。

 つくづく馬は、出会った人や過ごした環境によって、運命が左右されるなと思いますね。スキャンと前後して中間支援をしていたのが、響輝(競走馬名ロードシンフォニー)君という騎馬隊で活躍していた馬ですけど、今は埼玉でとても幸せにしていますし、本当に人との縁が大切だと感じますね」

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▲ファンの皆様からのたくさんの贈り物(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


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 早朝から午後3時くらいまで放牧地で気ままに過ごす日々。自らの脚で歩み、自らの力で草を食む。時には牝馬に色目を使ったりしつつ、スキャンはとても馬らしい時間を満喫していたと想像する。荒木さんは言う。

「引退功労馬を預かる上で、自分で食べたり飲んだりすることや、健康なうちは自らの力で歩けたりするのは、とても重要に思います。そしてできれば自然な形で、最後を迎えさせてあげるというのが1番の理想ですね」

 荒木さんのその気持ちが伝わったのだろうか。スキャンの死は実に自然で、安らかなものだった。

「亡くなる前の日までは普通に朝放牧に出て、厩舎に帰ってきて、飼い葉もそれなりに食べていました。夜7時に夜飼をつけて、翌朝3時過ぎに朝飼に行った時には既に息を引き取っていました。

 日高スタリオンがまだあって、そこで最後を迎えられたらスキャンにとっても更に良かったのかなと思いましたけど、こちらに移動してきて皆さんにご支援いただいて、人参やリンゴなどたくさんの贈り物を頂きました。約1年の短い間でしたけど、そういう意味では充実した日々だったのかなと思いますね」

 事切れて馬房で横たわったその姿は、荒木さんの目にはとても安らかに映ったという。

 2016年12月31日、多くの人に愛された米国生まれの名種牡馬スキャンは、日本の地で静かにその生涯の幕を閉じた。

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▲スキャンの祭壇は花や御供え物で溢れている(提供:荒木牧場功労馬サポーターズ)


(了)


ネーハイシーザー、ブライアンズロマン、トーシンブリザード、オリオンザサンクスは見学可です。

荒木貴宏
〒059-2566 北海道日高郡新ひだか町静内東別71
電話 0146-48-2749
時間 8時〜15時

なるべく事前に連絡をしてください。
自由に見学できますが、見学前に一声かけるようにして下さい。

荒木牧場功労馬サポーターズ HP
https://akbks.jimdo.com

荒木牧場功労馬サポーターズ Facebook
https://www.facebook.com/荒木牧場功労馬サポーターズ-1590776117800623/?fref=ts

※参考文献
馬の命を守れ!〜引退馬協会活動記録〜
(認定NPO法人引退馬協会著 認定NPO法人引退馬協会・代表理事沼田恭子発行)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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